人と、蛇と、猿と
例えばある一人物の生涯を一冊の本と定義したならば、この世界は本に満ち溢れていると言えるだろう。
そして本の一冊一冊は互いに関わり合うこともあるし、一つの物語を分け合うこともある。
であるならば当然その逆も存在する。誰かの物語が進む裏で、別の誰かによる別の物語が進む事は当然の摂理である。
であるからこそ、ただ一匹の蛇を発端とする大きな物語は分岐し、それぞれが異なる物語を紡ぎ、そしてそれらは始点と終点で繋がりこそすれ全く別の物語として周囲を巻き込んでいく。
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これは運営を除けば本当に一人握りのプレイヤー達だけが知っている事実であるが。
新大陸のモンスターにはとある共通点が存在する。
それは新大陸全域に分布する多種多様なモンスター達の中でも、唯一の例外であるシグモニア前線渓谷に存在する規格外規模のモンスター達を除けば西側に生息するモンスターほど巨大化していくという点だ。
そして狼の傷を刻んだとあるプレイヤーとは別の、とある男の物語は新大陸の西南端に存在する「ボンゴロッソ熱浜帯」で急展開を迎えていた……
「や、やめて、くれ……彼らは、とても繊細で……心優しい、んだ。無用にテリトリーを荒らさなければ、何もしない……!!」
「ドうだか、初めから皆殺しにしてしまえばそんな心配もしなくていいと思わなァい?」
ボンゴロッソ熱帯浜はとあるモンスター達のテリトリーである、それ故に「人」と「蛇」はそこにいる事そのものが根本的に異質であった。
「人間、お前があの猿どモを庇う理由が分からないわァ? 養殖して食べるつもり?」
「家族……なんて言うつもりはないけれど、それでも……僕は、彼らを……友達、だと、思ってる。だから、僕は……ここを、退かない」
男の姿はあまりに貧相であった。
痩せぎすの身体にボロボロのシャツ、意図的なダメージファッションと呼ぶのも憚られる穴だらけのズボン。
それは彼がかれこれ数週間は「一切のプレイヤー、及び「人」種族NPC」と視線すら合わせていない、当然装備の修復すらしていないが故の惨状である事を示している。
構える手は……無手、木の棒すら持たぬ、正真正銘の素手である。
対する「蛇」は五両連結の電車程はある双頭の大蛇を引き連れ、その手には荊を申し訳程度に加工したのだろう鞭が握られていた。
「そんな無様な姿で、私とアンフィに勝つつもりぃ?」
「試して、みればいい……!」
沈黙は数秒、一切のためらいなく振るわれた荊の鞭が男の左頬を狙って宙を裂く。
「ぐっ!」
命中。だが「蛇」は鞭から伝わる感触に眉をひそめる。
「ぬ……ぐ……う、ふぅ………半信半疑だったけど、これは中々……」
「妙ねェ、お前……硬い?」
荊の鞭は当然金属製ではない、だが運動エネルギーの乗った一撃は棘の生えた鞭という点を差し引いても僅かに身体がぐらつく程度で済むはずがない。
「どうやら隠し職業を引き当てたらしくてね……今の僕は、結構……打たれ強い」
双頭の大蛇と「蛇」、猜疑を核とするそれらが敵意を疑い滅ぼしに来たボンゴロッソ熱帯浜に生息するモンスター、ロアミング・コング達を背後にただ一人立つ男。
言うまでもない事だが、ロアミング・コングの成体と男どちらが上かと聞かれればロアミング・コングである。だがどこぞの蠍種とは違い、穏やかな気性と敵意に対して強いストレスを抱く性質を持つロアミング・コングは争いを好まない。
だからこそ男はただ一人「蛇」の前に立っていた。たかがゲーム、されどゲーム。現実から逃げるように、未踏の暗闇の先にある断崖へと自ら追い詰められるように走っていた男の心を癒したのは、飢えで死にかけていた男へバナナを差し出したロアミング・コング達なのだから。
「野生闘気……大猿。」
そのジョブを発生させる条件は二つ。
一つは一定期間如何なるプレイヤー、NPCとも遭遇しない事。
もう一つは……特定のモンスター一種に対してのみ隠しパラメータ「野生値」を一定以上にすること。
隠し職業「野生闘士」、その真髄は無手の時にこそ発揮される。
「人? 猿? なンだか面白いわァねェ……?」
「最後通告だ。どうか……退いて、欲しい」
心通わせたゴリラの形をしたオーラを纏った男の言葉に、しかし「蛇」は嘲るような笑みを浮かべる。
「笑わせなイでほしいわァ?」
「そうか……なら、やるしかない、か」
「アンフィを相手に、どこまで耐えてくれるのかしらねェ?」
今ここに、男の孤独な戦いが始まる─────
時は流れて、現在。
「シユー? 誰が口答えを許したタのかしらァ?」
バシィン!!
「おっぐ……!? ぐ、ぬっ、ご褒美の先払い……!!」
「……アンフィ相手に耐えてたのが面白かったからァ、下僕にしタけどォ……間違いだったかしらァ?」
「ウホッ」
「ちょっともォ阿保猿ゥ! バナナはいらなイって言ってるでしょォ!? もうっ! アンフィもアンフィよォっ! そんナに食べたいなら食べなサいよォ!?」
「と、時にお嬢様……他の「蛇」に会いに行く、というのは……時期尚早では?」
バシィン!!
「あいつが動き始めた時点でェ……手を打たねば死ぬノは私よォ? 「始まりの八」以外の奴ラなんて、どう足掻いテも勝ち目は無いんだからァ……分かったァ?」
「おかわり、ごちそうさまです……っ!」
「……なァんでこんナことになってるのかしらァ?」
猜疑とは違う、疑問符を浮かべて「蛇」はぽつりと呟くのだった。
どうしてこうなったキャラ堂々の一位シユーさん(登場はまだ先)
ちなみに現在の設定に着地するまで五回くらい性格が変わってます




