第32話 ~過去との遭遇~
「……はぁ」
なぜ嫌な方向のことを考えると、それが実際に起こってしまうことが多いのだろうか。と、思わずにはいられない今日この頃。
氷室先輩が俺の家を訪れて数日。
桐谷家、いや俺には一応平穏な日常が戻ってきてはいる。
ただ亜衣に氷室先輩とのことを根掘り葉掘り聞かれ……まあこれは本人もいたし、お互い先輩後輩という意識が強いのでそこまで大変ではなかった。氷室先輩はツッコんでばかりいたが。
俺は氷室先輩が帰ってからが大変だった。
亜衣がニコニコと笑いながら「で、実際のところあの人とはどういった関係?」と再度質問をし始めたからだ。
まぁ俺の答えは言うまでもなく
『先輩と後輩という関係で、さっきのことは先輩が俺を慰めてくれてただけだ』
のようなものだった。
すると亜衣はふーんと意味深のようでどうでもいいような反応したよ。
そこまで興味なかったのかよ、と内心でツッコむと……亜衣は再び笑顔になって千夏先輩とのことを聞いてきた。しかも先輩とのツーショットを手に持ちながら。
あのときは血の気が引いた気がしたね。
いつ見つけ出したんだ? まさか氷室先輩関係のやりとりはこのためだけに聞いてきたのか? なんて疑問で心が一杯になったし。
結果、正直に全部言いました。
言ったといっても亜衣に聞かれたことに答えただけだから言ってないこともあるけどね。
千夏先輩の人権にも関わることだろって?
そうだね。でもさ、言わないとツーショットを家族に見せる。言うなら秘密にしとくって、ウキウキして満面の笑みを浮かべた亜衣に脅されたんだもん。
亜衣だけに知られるのと家族に知られるのじゃ段違いじゃないか。
亜衣はちゃんと約束は守るやつだしさ。うっかり言っちゃっても誤魔化すだろうし……多分。いやそもそも亜衣が俺のことを話す相手なんていないはずだ。
去年まで同じ中学に行ってたけど、俺と亜衣が兄妹って認識してるやつそんなにいなかったし。亜衣と由理香が姉妹って思ってる人間は多かったけどね。ふたりは性格とかは違うけど、外見というか顔は似てるから。
「……はぁ」
言っておくけど今のは亜衣たちと似てないことに対してじゃないぞ。
現在、真夏の昼間。天気は快晴。日差しが熱いし、空気はもわっとしてるし、風が吹いたと思っても温風です。
そんな中をビニール袋を何個も引っさげて歩いてたら……言わなくても分かるでしょ?
なんでそんなことをしてるかっていうと、普通に買出しだ。今は買い物を終えて家に向かってる。
こう見えて俺は、昔から桐谷家の家事をこなしてきたから、世間一般の男子高校生よりは主夫である。買出しだけじゃなくて掃除、洗濯など色々やる。
まあ最近は掃除とか洗濯は亜衣がやることが多いけどね。下着とか俺に洗ってほしくないんだってさ……由理香が。
亜衣だと思ったやつ、そんなことあるわけないじゃない。
家の中を平気で下着でうろつくやつだよ。下着洗われることに抵抗があるわけないじゃない。昔から俺が洗ってたわけだし。
だから俺は親よりも成長を知ってるぞ。身に付ける下着やら着る衣服を見てきたからな。
「はぁ~ぁ」
「桐谷どったの? さっきからため息ばかりしてさ」
あれ~疲れてるのかな~。今の状況・状態から1番相手したくないやつの声が聞こえたぞ。
なんて逃避できたら嬉しいのにな。でも買い物中ずっとついてきてたんだよねこいつ。しかもルンルンという擬音語が出そうなほどの笑顔で。
「ダメだぞ。あたしみたいな美少女と一緒に歩いているんだから元気じゃないと。女の子っていうのは些細なことで傷つくんだから」
「はぁ……はぁ~」
「なんで2回もすんの!? しかも2回目はこっちを見た後で!」
なんでってお前がバカだからだよ。
俺はお前と違って炎天下の中、荷物持ってんの。それに夏休みの間に色々とあって精神にもダメージがあんの。
それでお前みたいな無駄に元気な変態を相手しろってなったらため息が出るでしょ。
出ないやつはあれだよ。俺はこいつと同じ変態か、会長みたいなお子様って認定する。
「あのさ」
「なにさ?」
「……なんでお前ついて来んの?」
「ついてきちゃダメ?」
……せめてそこは「こっちに用があるだけ」みたいなこと言ってほしかった。
いまのじゃ完全に俺についてきてるって言ってるようなものだし。
「ダメ」
「え~なんでさ! 桐谷はあたしみたいな美少女と一緒に歩くの嫌なわけ?」
「お前みたいな美少女と歩くのは嫌じゃないが、お前と歩くのは嫌だ」
「ひどっ!? それなら普通に嫌って言われたほうがまだマシだよ!」
お前はこのくそ暑い中元気だね~。
俺も後10年ほど若かったらお前と同じくらい元気だったのかね~。
そんな風に年齢に合わないことを考えていると、秋本は表情を怒りから呆れに変えた。
「まったく、桐谷はもうちょっとあたしに優しくしてもいいと思うんだけど」
「お前がまともになることに比例して優しくなり、まともに扱うと思うが」
「ほんとひどいなぁ。それじゃあたしの個性が死んじゃうじゃん」
変態という個性ならなくなっても問題ない。
むしろなくなったほうが大抵の人間は喜ぶと思うのだが。特にこいつにやたらと絡まれている俺や誠は絶賛するくらい。
「あのさぁ桐谷」
「んだよ?」
「あたしお腹空いちゃった。だから……」
「そのへんの草でも食べてろ」
「せめて最後まで聞け!」
常識から逸脱したこいつのことだから聞かなくても何となく分かるわ。
こいつのことが何となく分かるようになったことは、喜ぶべきことなのか。それとも悲しむべきことなのか……どっちだろうね?
……これまでの経験と今後の流れを考えると悲しむべきことのほうかな。いや、でも事前に対処ができるかもしれないと考えると喜ぶべきことでもあるか。
だがしかし、こいつはさらに斜め上を行きかねないやつだ。
予想して対処すればするほど、さらにランクアップしたものがくるんじゃないだろうか?
そう考えると、やっぱり悲しいことだな。
「聞かなくても予想つくわ。お前のことだから何かおごってじゃなくて……どうせ俺の手料理が食べたい。だから作ってみたいなこと言おうとしたんだろ?」
「おぉ、桐谷ってよくあたしのこと分かってるぅ。女の子的にポイント高いよ」
何がポイントだ。
女の子が異性を好きになるのがポイント制だったら、世の中の男が困るだろ。金のないやつは貢げないんだし、顔が良くないやつは貢ぐくらいしかポイント稼ぐ方法がないんだから。
「なんか桐谷とは良い家庭を築けそうな気がするよ」
「…………」
「ちょっ、無視禁止!」
「お前がどういった理由からそんな思考に至ったのか、またどういう理由で良い家庭が築けそうと思ったのかさっぱり分からない。だからお前とは良い家庭が築けるとは俺は思わない」
「冷たすぎるのも禁止~!」
注文が多いやつだな。
そもそもこいつはちゃんと物事を考えて言葉を発しているのだろうか?
どう考えても自分の考えてることが分かってくれている→良い家庭を築けるかもって発想はぶっ飛びすぎてると思う。
「だったらお前と会話は成立しないな」
「ひどい、ひどすぎる……もうちょっと優しく接してくれればいいだけじゃん。嘘でもいいからこっちのテンションに合わせて会話してくれればいいじゃん。来年まで一緒に生徒会をやっていく仲なんだし」
「なんでお前に合わせないといけないんだよ。お前から絡んでくることがほとんどなんだからお前がこっちに合わせればいいだけだろ」
「そしたらさっきも言ったとおりあたしの個性が」
「無駄な個性は死ねばいい」
「無駄ってなんだ無駄って!」
「怒るとこそっちなのかよ?」
「まあね。そうすれば桐谷がツッコミを入れてくれるし」
……その頭の回転の良さをもっと別のところで役に立てたほうが、お前にも周囲にもいいと思うんだけどなぁ。
普段ならここで怒ってそうなのに、って思った人。ここが冷房の効いた屋内または俺に体力がある状態ならしてるよ。
今は少しでも無駄な体力使いたくない。
今日買出しをした店って俺の家から結構離れたところだったんだ。そこに行った理由は安売りしてたからだよ。少しでも節約しないとね。
まぁだから家に着くまでまだまだ距離あるのよ。
「にしても桐谷疲れてるね。なんか持とうか?」
「いや……いい」
お前に持たせたら家までついてこさせるのを許してしまうから。
というか、俺の疲労の中にお前との会話ってのも入ってるんだぞ。疲れてるって思うなら話しかけないでくれ。つうか自分の家に帰れ。
「優しさから言ったのにバッサリ斬るなんて、日に日に桐谷のドSっぷりが上がってるね」
「人聞きの悪いこと言うな。上がってるんじゃなくて、お前が上げてるんだ。というか……ここまで言ってるのはお前にくらいだ」
「え……それってあたしが特別ってこと?」
「……お前、どんどんMになっていってないか?」
ポジティブとも言えるかも知れないが、会話の流れからして言いたくない。
秋本が「もう、桐谷があたしをこんなにしたんだよ」と照れながら言ってる変態だからという理由もあるが。
「ちょっといい?」
突然誰かに声をかけられた。
秋本は隣を歩いていたし、聞こえたのは後方から。つまり第三者ということになる。
道でも聞かれるのか? と思って振り返ると、短髪の女子が立っていた。カジュアルな服装で、肩にはスポーツバックをかけている。
「ねぇねぇ……桐谷の知り合い?」
「いや違う」
というか秋本、お前はなんで俺に質問したんだよ。
どう見ても彼女の気の強そうな瞳は、真っ直ぐにお前を見据えているのに。どうでもいいけど耳元で囁くな。いくらお前だろうと急に顔を寄せられると思うところがあるんだぞ。
「あんた……秋本恵那だよね?」
「ん、そうだけど……やべぇよ桐谷、この子あたしのストーカーなんじゃない?」
平然と自分が秋本恵那本人だって認めてすぐ、俺に耳打ちしてくるんじゃねぇよ。
それにどうやったらストーカーになるんだ。お前うちの学校なら知られてるけど、彼女はどう見ても他校だろ。他校まで知られるようなことお前はまだしてないはずだ。
いや待てよ、こいつの変態なところを考えると噂が広まってもおかしくないぞ。でも変態をストーカーするってのもおかしいよな。
そもそもストーカーならいきなり話しかけたりするのはおかしい。盗撮とか電話ならまだ分かるけど。
「それはないだろ」
「なんでさ?」
「ストーカーよりはお前の知り合いって感じがするからだ」
いいからお前は俺じゃなくて彼女のほうを向けよ。
なんか俺のほうにも視線を向けてきてるし、相手にされなくてむかついてるのか睨んでるようにも見えるから。
「秋本恵那……あんた、私のこと覚えてる?」
ほら、今のセリフからしてもお前の知り合いっぽいじゃん。昔会ってないと覚えてる? なんて聞かないわけだし。
「あんたのこと? う~ん……」
…………こいつ、推理漫画とかでよくあるように手をあごあたりに当ててみたり、腕を組んで頭を傾けたりしてるけど本当は何も考えてないんじゃないか。
見ている身としては、何となくだが必死に思い出そうとしてる感が伝わってこないし。
「あっ!? ……いや、違うか」
「おい、分からないなら分からないってさっさと言えよ」
短髪の女の子、どんどん不機嫌になっていってるしさ。
分からないときは素直に分からないって言えって先生から教わっただろ。授業時間がもったいないからって。まあ先生によっては、分からなくてもちゃんと考えてから分からないって言えって理不尽な展開になったりもするけど。
「……分かんないの?」
「あはは、そうカリカリしないでよ。ちゃんとあんたが誰か分かってるからさ。去年の陸上の全国大会、女子100mで1位になった風祭涼子でしょ?」
……なんですと!?
陸上とか興味ないから知らないけど、秋本が言ったことが事実なら目の前にいる女の子は日本一走るのが速い子ってことになるんですけど。中学生でなのか高校生でなのかは分からないけどね。
でも秋本の知り合いってことは同い年って可能性のほうが高いか……いや、今はそんなことはどうだっていい。
日本一速い子が、いまどきの女子高生で変態の秋本にいったい何の用なんだ? まったく予想すらできないぞ。
「で、あたしに何の用?」
「何の用って……私が言いたいこと分かってるんじゃないの?」
おい秋本!
お前、本当は彼女の言いたいこと分かってるんじゃないのか。分かってるならさっさと話を進めろ! 彼女の表情がどんどん良くない方向に行ってるんだから!
「あのさぁ~……分からないから聞いてるんじゃん」
嘘だろてめぇ!
なんでそう思うかっていうとだ、秋本はいま人をバカにしたような顔をしているからだ。
状況から察するに、風祭涼子という人物をイラ立たせている最大の原因と言ってもいいかもしれない。
「……秋本恵那。なんで……なんで去年の大会に出なかった?」
風祭涼子という女子は話を進めてくれたものの、その声には苛立ちが滲み出ている。
去年の大会に出なかった……ってことは、秋本は中学の頃陸上をやっていたってことだよな。秋本の体型から何かしらスポーツをしていたとは思ってはいたので驚きはしないが……
「あはははは! なんで出なかったって? そんなの今のあたしを見たら分かるでしょ。陸上なんかやめたからに決まってんじゃん!」
「――ッ!」
風祭という女の子は、スポーツバックを地面に投げ捨てるように置くと秋本に走り寄って胸倉を掴んだ。
「陸上……『なんか』だって! あんた、誰よりも陸上に打ち込んでただろ!」
「……だからなに? 打ち込んでることをやめちゃいけないわけ?」
「――ッ! あんた、私と約束しただろ! また来年勝負しようって……今度も負けないって。……あれは嘘だったのかよ!」
激しい怒りをぶつける彼女に対して、秋本はどこ吹く風という態度を崩さない。それどころか鬱陶しそうな表情を浮かべる始末だ。
「はぁ……別にいいじゃん。もう過去のことだし、それにあんたにとってはライバルのひとりが減ったんだから喜ばしいことなんだしさ」
「な……」
「というか……今にして思えばあたしってバカなことしてたなぁ。陸上ばっかやって、女の子らしいことはほとんどしてなかったし。陸上なんてただ汗かくだけなの……」
秋本が言い終わる前に風祭が手を振り抜き、乾いた音が響き渡る。
風祭は怒りの表情のまま、秋本を睨みつけている。だが先ほどまでと違って彼女の目には、涙が浮かんでいた。
対して秋本は、何も思っていないのではと思うほど無表情で……ただぶたれた頬を手で押さえているだけ。
「あんたは……あんたは私の知る秋本恵那じゃない!」
否定の言葉を投げつけ、風祭は自分のバックを拾い上げると走り去って行く。
すると先ほどまで無表情に近かった秋本は、彼女の後姿を悲しげな瞳で見つめ……
「そうだよ……今のあたしはあんたの知ってるあたしじゃない。あんたの知ってる秋本恵那は……もう死んだんだ」
今にも崩れてしまうのではないかと思うほど力のない自嘲した声でそう呟いた。




