スィス
都会の喧騒は補聴器を着けている身としてはかなりきつい。足音や話し声、車の走行音、クラクションの音、本当に色々な音が混ざり合ってノイズがひどく、軽く吐き気を催す。
さっきまで一緒にまわっていた優しい高校生と別れ一人で歩いていると、周りにまで注意が出来ず、また色々な人に迷惑をかけてしまう。
(頭痛い)
しかし補聴器を外すわけにもいかず、やっぱりここは自分の居るところじゃないな、と帰ることにした。
駅へ向かって歩いていると、突然後ろから
「はーるくーんっ!!!」
自分を呼ぶ声がはっきりと聞こえ、どんな馬鹿だと怖くなる。後ろから聞こえるということはかなりな大声でなければならない。前でも聞こえづらいのだから。
本当は振り返りたくなかったのだが、誰が大都会の真ん中で桁外れな大声を張り上げたのか気になって振り返ってみた。
そこで目が点になる。
なんとあの少女のようなシエラである。
「はーるくーんっ!!奇遇だねーっ!!聞こえてるーっ?」
同じ服、恐らく制服を着た男子二人と連れだって?(というより後ろの男子は保護者的なオーラを感じる。視線から既に何かしたらコロスと言っていた)、無邪気な笑顔を惜しみなく送ってくる。
「き、聞こえてるからそんな大声出さないで!」
聞こえないので、まさか自分がシエラよりも大きな声を張り上げたなどということは知る由もない。世の中、知らなくて良いことってあると思う。
叫んだ直後、補聴器からキーーーンという嫌な、頭を揺らすような音がして、顔をしかめて乱暴に外す。外すわけにはいかないと言った割には簡単に外してしまっていることについては無視することにした。
〈だ、大丈夫?〉
目の前にまで来ていたシエラが上目遣いに心配そうな目を向ける。
俺は曖昧に頷いて、また補聴器をぎゅ、ぎゅ、と両耳に押し込んだ。
「ごめんね、大きな声出したりして。」
「いや、大丈夫。シエラのせいじゃない。」
シエラの後ろで男子の一人が何事か呟いていたが、何を言っているのかは分からなかった。ただシエラが注意している辺り、俺に関することだろう。
これ以上邪魔するのも悪い気がして、じゃ、と立ち去ろうとすると、
「あ、待って。今日は何でここに?」
シエラに呼び止められて立ち止まる。
「芸術鑑賞の授業で。ま、正直言って俺来る意味あったのか、っていうやつだったけど。ほとんど聞こえなかった。」
「そっ、か。それは残念だったね。」
気遣わしげに眉尻を下げる。
動きが大袈裟なのに演技っぽくなっていないのが気持ち良い。一種、才能と言えるかもしれない。あまり表情の動かない俺とは対極にいるようなやつだ。
一応俺も、礼儀的に聞いてみる。
「そういうシエラは?」
「今日授業が午前中で終わったから、ネットで話題のケーキ屋巡りしてるんだ。リョータから出された課題。」
「リョータ?」
「あ、ごめん。僕の叔父。」
「あ、宮さんか。」
宮さんはリョウタという名前なのか、と頭の中に記録し、気になっていたことを思い切って言ってみることにした。
「なあ、シエラ。」
「ん?」
「ビックリする程似合ってないな、その制服。ごめん、すごい気になって。」
シエラはひねくれた笑顔でそっぽを向いて、
「平気。皆に言われるから慣れた。」
黒い笑みを浮かべて、ふふ、ふふふふ、と笑っていた。
どういう制服かと言うと、ベージュの上着にこげ茶のズボン、ワインレッドの細いネクタイ、上着の左胸にはエリザベス一世の肖像画で有名な、知性を表す蛇と、平和を表す虹があしらわれた校章が付いている。
それがまあ、似合わない。
制服に着られているきらいがある。
男っぽいデザインが、シエラの女の子っぽいルックスとぶつかってしまうのかもしれない。
「うちの高校男子校だからしょうがないっちゃあしょうがないんだけど。」
沈んだ表情で自虐的にぶつぶつと何かを呟き続けるシエラを、後ろの男子が一生懸命慰めているようだった。