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トゥロワ

ベイクドチーズタルトを買ってからというもの、俺は毎日のようにこのケーキ屋に通っている。

二回目に行ったときは王道のいちごショートケーキ、三回目にはチョコレートケーキ、四回目にはシュークリーム、五回目にはロールケーキを買った。

一応メジャーなものは全部食べたので、今日は食べたことのないものを買おうと、ケースを眺めているのだが、いかんせん、食べたことが無いのでよく分からない。

キッシュだの、ミルフィーユだの、ブリュレだの、難しい横文字がズラッと並んでいる。

名前だけ聞けばどれも美味しそうだとは思うが。


(うーん……いや、分かんないんだから悩むことないんじゃないか?)


当たり前のことに気づいて苦笑した。

分からないのに悩むとは。

食べてみるのが一番だ。


(じゃあこれと、あ、ミックスベリータルトもうまそう。うー…ん。)


結局買ったのは、悩んでいたものと全く違うマフィンだった。

俺なりの、悩んだときの解決策、『全く別のものを買う』を行使した結果である。

箱詰めされ、袋に入れられたマフィンを緩み気味の顔で眺めながら店の入り口のドアを引いた。


〈マジか。〉


外はバケツをひっくり返したような土砂降りだった。

思わず口走った声が聞こえたらしく、トントンと肩を叩かれ振り向くと店員が奥を指差して、


〈雨宿り、していきませんか。〉


と言ったのが見えた。


〈あの、少し待っててもらっていいですか。〉


手のひらを見せて言い、慌てて鞄の中身を乱暴に掻き回し、補聴器をぎゅ、ぎゅと両耳に押し込んだ。


「ここ、イートインなんて、あるんですか?」

「いえ、ありませんが、家も兼ねていまして。そちらで、待ってはどうかと思ったのですが、どうしますか?」

「いいんですか?」

「ええ。もちろん。」

「あ、じゃあお言葉に甘えて。」


店員は前から知っていたかのように、俺が補聴器を出しても驚かなかった。

むしろ出すのを待っていてくれた気さえする。

案内してくれる背中に、


「あの、知ってたんですか。」


と聞くと、何がと聞き返さずに、わざわざ振り返って、


「そりゃあまあ。僕が言ったことに困ったような顔をされることが多かったですし、口を凝視されていたのでもしかしたらと。」


気を遣ってくれているらしい、ゆっくりとした速さで話してくれた。


「すみません。着けるべきでしたね。」


そりゃそうだよなと思いつつわがままだったと申し訳なくて、しゅんとしていうと、その人はやんわり微笑んで、


「大丈夫ですよ。僕は聞こえますから、想像するしかないのてすが、色々あるのでしょう。少し聞こえると聞こえると思われて、話すのに苦労されているのかなと、そんなことを思ったりしまして。…慢心ですね、僕の。こんな偉そうなことを言うつもりは無かったんですが。すみません。」


そう言った。


「いえ。――その通りですよ。」


何となく、さっきよりこの店員の笑顔が優しく見えた。


「僕はみやです。あの、途中で甥っ子が帰ってくると思いますが気にせずくつろいでください。こんな雨ではお客さんも来ないでしょうし、ぼくもお茶しようかな。一緒にどうぞ。」

「ありがとうございます。」


俺は深く頭を下げた。



通されたのは十畳くらいある和室で、しばらく待っているとみやさんが紅茶とケーキをふたつずつ載せたお盆を持って入ってきた。


「これ、甥っ子が作ったんです。まだぼくも食べてないんですが、一般の人にも食べてみてもらいたくて。すみませんが食べてもらって良いですか。不味いことは無いと思います。」

「もちろんいただきます。」


ケーキは、レアチーズケーキにブルーベリーのソースがかかっているものらしかった。


「いただきます。」


ひとくち、口に入れる。

チーズの塩気を含んだ甘さをブルーベリーソースの甘酸っぱさが飾ってより強調し、溶けるようにほどけて、甘いのにさっぱりとした後味が口に広がった。


「美味しい。」


焼いてあるのも良いが生も美味しいと初めて知った。


「うん。悪くない。」


みやさんもまんざらでもなさそうな顔だ。

二人でもう一口、口に入れたとき、みやさんが振り返って、「帰ってきたらしいです。」と言いフォークを置いて立ち上がった。


「!…ああ、甥っ子さんですか。」


そういえばそんなことを言っていたな、と思い出し、


「少し外しますね。」

「あ、はい。」


みやさんを見送って、またケーキを食べ始めた。


(うまい。見た目も綺麗だし、店頭に並べても売れるんじゃないか?)


本気でそう思えるくらい、濃厚で美味しい。

ふんふん、と感心しつつ、食べ終え紅茶を飲むと、紅茶もまた美味しく渋さや苦さが全く無い。


(さすがお菓子屋は違うな。)


毎日飲めると思うと羨ましい気もする。


「うまい。」


ティーカップをかちゃ、と置いて手を後ろに持っていき、ふぅ、と一息ついた。

それとほぼ同時にすっとふすまが開いて、外国人と目が合った。

高いところでくくった小麦色の髪から水を滴らせて、その髪をタオルで拭きながら碧い目で俺を見ている。


(え、甥っ子って。)


「――、―し―た?」


甥っ子が口を開いた。


(よく聞こえないな。)


後ろからみやさんが遅れて来て、そちらに顔を少し向け、納得顔で頷いて、手を動かしつつ人懐こそうな笑顔を浮かべて入って来た。


「えっと。シエラです。」

「お邪魔してます。佐倉はるです。」

「その、僕のケーキ、どうでしたか。」


シエラが緊張した面持ちでそう言い、探るような心配そうな目でこちらを見る。


「すごく美味しかった。特に後味が良くて、甘いのにさっぱりしてました。ブルーベリーの酸っぱさも良かったです…」

「ほんとですか!?」

「うわっ」


卓に手をついて飛びかからんばかりの勢いで身を乗り出してきて、咄嗟に後ろへのけぞった。


「あ、ごめん。」


そう言いつつシエラが手を伸ばしてきた。


「やっぱり美味しいって言ってもらうと嬉しくて。大丈夫?」


頷いて、


「大丈夫。」


と言うと、シエラははにかんだ。


「?」

「あの。」

「はい?」

「メ、メアド、交換しませんか。」

「ああ。うん。ちょっと待って。」


俺は内心の興奮をおくびにもださず、いたって冷静に返事をした。

アドレス帳に家族以外の名前が入った、記念すべき日となったのである。


(……やった。)


いつの間にか雨は止んでいた。

《シエラ》とある欄が嬉しかった。


後半何だか波に乗れませんでした。

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