アン
初めてボーイズラブというものを書くので、ちっがああああう!!という所があっても寛大に、大目に見てください。
“よく”耳が聞こえないというのは厄介なもので、周りにどの程度なのか理解してもらうのがなかなか難しい。
「……んが…た…どな!あれって…らしぃ…」
俺の場合、離れた人の声はほとんど聞こえない。
ただ、面と向かって話している人の声は、なんとかだが聴こえる。
授業は先生にマイクを持ってもらってしのいでいる。
今は帰りの会の最中で、先生が明日の予定について話しているのだが、隣の席の男子がペラペラとお喋りをして、イヤホンの先生の声に見事に被せてくる。
そこで考える。
男子に注意をして「聞こえないんじゃねーのかよ。」とうざがられ、いじめが始まるのと。
後で先生に、ある種特権の「よく聞こえませんでした。」と言ってもう一度話してもらうのと。
(後者だな。)
そう決めて、その後の先生の話は適当に聞き流すことにして、放課後どうしようかと色々な場所を思い浮かべる。
出来れば人のいない所がいい。
苛々した視線から逃れられる所。
誰とも会わず、一人心安らかに過ごせる―――そんな場所。
とりあえず妹に会わなきゃいいか、と結論が出た頃、周りが立ち上がった。
〈あ・い・さ・つ!〉
目を瞬く俺に隣の女子がそういった。
この女子は海野といって、父親が俺と“同じ”で、何かと便利だろうということ(だと思う)でいつも隣になる。
「何でウチが!?もうほんっと面倒くさっ!」
と言いつつやってくれるちょっと面倒くさいお節介なギャルだ。
聞き直してもちゃんと答えてくれる。
顔をしかめる人も多いのに、彼女はむしろ聞こえているかの確認をしてくる。
「聞こえてる?」とか、
「平気?あの爺ぃ早ぇーんだよな。」とか、照れ隠しなのか何なのか、言う時はいつも先生への愚痴がついてくる。
それが結構的を射ていて、内心尊敬すらしている。
唯一の理解者であるからして、重宝したい人物である。
〈ありがと。〉
声に出さずに返すと、素っ気なく、軽く頷いた。
家から少し離れた高校に通っているので通学は電車だ。
五つ駅を通り過ぎれば家の最寄りの駅に着くのだが、今日は余計に乗って喫茶店の多い駅で降りた。
人はまあまあという具合で、多すぎずしかし寂れた感じのしない、心落ち着く人混みが気に入っている。
(さて、どうしようか。また《喫茶オノヤ》にするかな。)
とりあえず行きつけの喫茶店へ足を運んだ。
「お、そうだ。」
足を止め、補聴器を外して鞄にしまいイヤホンを出す。
最近のお気に入りは“パレット”というアイドルグループの『蝉』だ。
どうでもいいことを繰り返し繰り返し歌っているのが阿呆らしくて何となく気に入った。
音量を最大にして、スマホを鞄にしまい、出口から外へ出た。
今日はかなり暖かく歩いていると上着が要らなくなる程で、街行く人たちの格好もかなり薄くなっていた。
桜の見頃はとうに過ぎ、初夏に差し掛かっているのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
頭上に広がる空は澄み、真っ青で、茂ってきた街路樹の葉との色合いが初夏を感じさせる。
かなり気持ちがいい午後だ。
こんな日は静かに過ごしたい。
意を決して、ぽんっと片方、イヤホンを外した。
続いてもう一方。
ふっ、と音が絶えた。
無音で歩く人、無音で走る車、無音でくねる道端の草花。
いつもなら感じる、不安や心細さが、初夏の陽気のせいか全く無い。
(なんか、いいな。)
その先を予感するように、俺の心はいつになく明るく、浮き立っていた。
(イヤホン無しって、初めてじゃねぇか?)
思わず微笑んだ顔そのままに、道を歩み始めた。