第九話 中山の大商人
恩師、慮植が去ってから数年の月日が経った。劉備はは二十四歳という立派な若者に成長した。皆、それぞれの道へと進み離れ離れになったが、今でも文通は続いている。
黄巾の乱が起こったと言う情報は入っていたが、この辺りはまだ平和である。
劉備は筵を売って生計を立て、旧友・張飛と飲むのが日課となっていた。
張飛はあの頃のあどけなさはなくなり、どんぐり眼に虎髭を生やしていた。しかし、豪快な性格は変わらずそれがまた可愛らしい。
「おーい、玄徳!迎えに来たぞー!」
張飛は威勢良く劉備の家の前で叫んだ。玄徳は劉備の字である。張飛は益徳を名乗っていた。
「益徳、いつも言うが夜に人の家の前で大声を上げるのはやめてくれないか?」
劉備は張飛をたしなめた。
「ははは、悪かったよ。それよりも、いつものように飲みに行こうじゃないか」
劉備は小さく頷くと飲み屋に歩き出した。
なんといっても張飛の飲みっぷりはすごい。
この頃は蒸留の技術がなく、アルコール濃度が低かったため、今よりも酒は多く飲めた。それでも、甕まるごと一気に飲み干す張飛を見ていると不安になってくる。
「益徳、少し酒を抑えたらどうだ?」
劉備は心配そうな顔をした。しかし、
「なあに、こんなもん、俺にとっては水も同じさ」
とまるで聞こうともせずに飲み続ける。
結局、酒代はとんでもないことになった。
その帰り道のこと。
劉備は体の大きな張飛を連れて帰るのに一苦労だ。いつものことなので慣れたつもりではあるが、まだ重い。
疲れて、そのへんにへばろうとしたその時。
チャキ…
嫌な音が前から聞こえる。
賊か…、と呟いた。月光が賊の頭に巻かれた黄色い頭巾を照らした。
黄巾賊がついにこの村にもやってきたか。と、なればまだ仲間はいるはずだ。幸いここにいるのはほんの数人のようだ。
「命が惜しければ金を置いていけ」
一つの方向から声が聞こえた。
「芽は小さいうちに摘み取るとしようじゃないか」
いつの間に起きたのか、張飛が蛇矛を構えていた。
一思いにやるぞ。そう言って劉備も剣を抜く。
えい、やあ!
二つの怒号が重なり、辺りの敵を切り裂いた。三日月の光が鮮血を照らす。また、静けさが辺りを支配した。
「助けてくだされ…」
静寂を打ち破ったのは小さなうめき声だった。急いで声の方向へ向かうと、そこには男性が倒れていた。
「大丈夫ですか⁉︎」
劉備はそう叫んだ。頭部から血が流れている。強打したようだ。劉備は服の布を千切って止血を試みた。幸い、男性の傷は浅くすぐに血は止まった。
男性は顔には気品が溢れている。その一方で身なりは貧相であった。
二人は商人を急いでさっきの酒屋へ連れて行った。家より酒屋の方が近い。事態は一刻を争うため、より早くつける方を選んだのだ。
「助けていただき有難うございます。私は中山と都を行き来して商売をしている張世平と申します」
中山とは涿郡の西の隣郡である。涿よりも栄えたこの郡は商人の町として有名だった。
「何故このようなところに商人殿が参られたのですか?」
劉備がそう問うと、張世平は黄巾賊に連れてこられたと告げた。
「それで、持ち物全て奪われたってわけか」
張飛が頷きながら言う。
「よし、わかりました。我々が黄巾賊を退治し、奪われたものを取り返しましょう」
本気か、と張飛が問う。
「困っている人を助けないのは義侠の精神に反する。会ったのも何かの縁、助ける他ないだろう」
仕方がない、と張飛が言った。
「玄徳は昔から無茶しかしねえ」
二人が立ち上がった時。
「お待ち頂きたい」
その声がかかった。
訂正などございましたらご報告よろしくお願いします