第七話 屠殺の外戚
宦官と外戚はいつでも中国史の悪の代名詞である。二つの勢力は己の利を求め合い、王朝の衰退に直結する。
宦官とは子供を残せなくなる代わりに後宮の管理など要職につくことができる。古くは宮刑という死刑の次に重い罰を与えられた者がなったが時を経て宦官の権力が上がると自らなる者が現れた。
有名なのは趙広だろうか。秦の時代に権威を振るった趙広は有能な者たちを排除し、皇太子を廃嫡して秦の滅亡を早めた。
逆に外戚とは皇帝の妻の一族のことだ。皇帝の妻の寵愛は皇帝の寵愛に直結するため、外戚は宦官と相当の権力を築いた。
有名なのは楊国忠。唐の玄宗の寵姫、楊貴妃の従兄である。楊貴妃を寵愛するあまり、その寵愛は楊一族に渡り、楊国忠はその権力を集中させた。
無論、司馬遷や鄭和などの有能な人物もいるが後漢の末期にいたのは残念ながら自分の権力を最重要視する人たちであった。
後漢末期の外戚とえば、何進である。
何進はもともと都の南、荊州の南陽郡で屠殺業をする男であった。
卑しい身分とされた屠殺の仕事は捗らず、何進も悩んでいた。
そこで出てくるのが何思である。何思は何進の妹だ。美女として有名で、荊州中で知らぬ者はいなかった。
時の皇帝、十二代皇帝の霊帝はその噂を耳にするとすぐに「娶りたい」と言い出した。しかしいくら美女とはいえ屠殺の家の子。家臣たちは許さない。
何進は宮中で起こっていることのあらましを聞くとすぐに金を用意した。
この頃、衰えた経済を立て直そうと霊帝が「売官」という政策が行われていた。読んで字の如く、「官」を売る、という意だ。当然、これは賄賂である。しかもそれが公然と行われるのだからタチが悪い。
ある者は司空(日本の総理大臣的役職)の位を五百万銭使って買ったという。この頃使われていた「五銖銭」は一銭約三百三十円相当。五百万銭は約十六億五千万円となる。総理大臣の位を大金かけて買うと考えて貰えばこの政策のマズさは容易に想像できよう。
十常侍の中の郭勝という人物は何進と同郷であった。中国では古来より「同郷」の親交を大事にするところがある。長い間漢民族が結託し、異民族たちと戦っていた記憶がそうさせたのだろうか。
ともかくとして、何進はこの郭勝に目をつけた。
早速、何進は郭勝に賄賂を送った。
郭勝はすぐにこれに食いついた。買ったのは「貴妃」の職だ。貴妃とは皇帝の妻の位の一つだ。地位は皇后に次いで二番目となる。
しかし、これだけでは止まらない。何進はこの後、益々出世していくのだ。
霊帝の正室、つまり皇后は宋皇后といった。
一七〇年に立てられたこの皇后は気弱で霊帝からの寵愛は全くと言っていいほどなかった。女という者はいつの時代も怖いもので、霊帝の妃たちは宋皇后のことをけなしまくった。皆、自分が寵愛をゲットして皇后になっちゃおう、という希望(野望)に満ち溢れていたのだ。
話は五年遡る。一六五年、時の皇帝・桓帝の弟、渤海王劉悝は漢に対して謀反を計画したとして捕らえられた。桓帝は腹を同じくした弟の首を飛ばすのは忍びず、移封するだけの罰とした。
渤海王復帰を夢見る劉悝は宦官、王甫の力を借りて裏で手を回し渤海王に返り咲いた。
しかし、桓帝は死去にあたり、遺言で劉悝を渤海王にすると遺したため、劉悝は王甫へ何も恩賞を与えなかった。
これを恨んだ王甫は無実の罪をでっち上げて劉悝を斬首に処した。そして、同族の宋皇后やその同族をも死に追いやったのだ。
これがこの五年の流れである。
宋皇后の死にあたり、次の皇后として白羽の矢が立ったのが何思であった。貴妃の位にあった何思が皇后になるのはある意味当然であったのかもしれない。
この瞬間、何進は皇后の兄となったのである。
それは、何進が十常侍からの警戒心を益々集めることも意味するのであった。
今回は文字だけの説明となってしまいました
次回は何進と十常侍の歪みについてセリフのある物語を書きますので