第三話 盧植の教え
劉備が塾に行く、と家族に伝えた時、劉完と母は箸を落とした。
「二人とも、失礼ですよ。従兄上だって決心はします」
劉冀が劉備をとりなした。
「俺、今日の遊びで一つ決めたことがあるんだ」
「なんだ、それは」
劉完が可笑しそうに聞く。全く真面目になってくれない叔父に少しムッとしたが、それでも引き退る気はない。
「俺、歴史に名を残すような立派な奴になりたい」
劉備の一言にやっと拾い上げた箸がまた落ちた。
「俺、英雄になりたい」
劉備が言葉を変えてもう一度言う。
「そうか!英雄になりたいか!それなら頑張れよ、備!」
劉完が背中を思いっきり叩いたので劉備はおもわずむせた。
次の日、劉備は早速塾の経営者、盧植の元へ会いに行った。費用を払っていたとはいえ行ったことはない。これから教えを請う身として、塾長への挨拶や人となりを知ること、知らせることは必要だと考えていた。
盧植はもう年は五十も過ぎた人であった。顔には何本もの皺が刻まれている。その皺は、年よりもこれまで重ねてきたであろう苦労を物語っていた。
「楼桑村の劉備です」
劉備は恭しく頭を下げた。
「儂がこの塾の経営者、慮植じゃ」
盧植の声は嗄れているが、決して老いているわけではなく、その声の中にまだ溢れる活気と才知を感じる。
「お主、これまで金を払いながら来ていなかったそうではないか。何故じゃ?」
盧植はそう切り出した。
「私は、これから天下は乱れると見ております。その世の中では学問よりも武術が大切だと思います。それ故、私は学問にあてる時間を剣の稽古に回し、いずれ役に立つことをしていたのであります」
劉備は盧植の質問に淡々と答える。盧植は劉備の答えに満足そうにうなずいた。
「確かにお前の言う通り今後天下は乱れる。十常侍の剣もあるしのう。しかし、それを理由に学問をすっぽ抜かすのはいかん。剣も大切じゃが学問も同じように大切じゃ。お前の夢はなんじゃ?」
盧植の突然の質問に狼狽えたが、
「歴史に名を残す、周の武王や漢の高祖のような立派な英雄になることです」
と答えた。
「確かに武王や高祖は英雄だ。しかし、英雄になるためには必要なことがある」
劉備は身を乗り出し
「それは一体なんですか」
ときいた。英雄になる条件を聞かずに終われるほど劉備も志が無くはない。
「それは勇と徳と智じゃ」
盧植はそう答えた。
「勇と徳と智でございますか?」
劉備の頭の上に?マークが浮かぶ。
「そう。勇とは即ち武勇とそれを活かせる勇気。徳とは人を惹きつけ、人を信用する仁徳。智とは自分のすべきことを考えられる智謀じゃ」
劉備はしばらく考え、慮植の目をまっすぐに見た。
「お主には勇と徳がある。剣の腕があり、人が惹かれる雰囲気が備わっておる。しかし、智が足りぬ。勇と徳があってもそれは智がないことによってうまく生かせない。お主が英雄を志すのであればこれら全て、かけること無く有するべしじゃ」
劉備はその言葉に衝撃を覚えた。盧植の言葉はまさに今の劉備と古代の英雄について的を得ていた。
今まで自分のことを馬鹿にする人や応援する人はいたが自分への指摘はなかった。だからこそ、この師が生涯の師だと思うようになった。