望んだもの
※不快な思いを持たれるかも知れません。どんなストーリーでもばっちこいという方だけどうぞ。
私には愛する人がいる。
そして、政略で決められた婚約者がいる。
「調子はどうだい、ミレーヌ」
「まあまあね、レオナルド。あなたの方は?」
「僕もいたって順調さ」
「そう、それはよかった」
週に一度催される婚約者レオナルドとの会合。毎日貴族学院で顔を合わせているというのに昔から行われているこの顔合わせがなくなることはなかった。
空のように青い美しい髪と、そこに浮かぶ太陽のような色ときらめきの目をもつ貴族の令息、レオナルドはとても整った容姿をしている。この婚約者は昔から綺麗な顔していたものだ。……幼い頃、彼と私が初めて会ったときに、私は彼が天の使いか海の妖精なのかと思ったくらい。
そしてそれはそのまま崩れることなく、いや更に輝きを増して成長したレオナルドは同学年の子女たちはもちろん、先輩方や後輩たち、果ては教師たちまでも魅力する美男子になった。
その瞳の色の如く周りを照らし出す彼はいつも話題の中心にいる。そして、その婚約者である私もその渦の中にいつも引きずりこまれていく。それは関係が近いからだけではない。身分が釣り合わない婚約者な上に、私自身が彼と並んで歩けないほど平凡でつまらない容姿だからだ。
私の身分が男爵家ではなくもう少し高いものであったら。
並び歩く姿がもう少し見れるものであったら。
そうすれば私は不要な火の粉を振り払うことができたのだろうか。なんてつい考えてしまうが、仮定の話をしたところで現実に釣り合わない身分であることや相応しくない様相であることは揺るぎない事実だ。
「ミレーヌ?どうした、ぼうっとして。君らしくないぞ」
「ああ、ごめんなさい私ったら。昨夜少し試験勉強に熱中しすぎて、寝不足なのよ」
「そうなのか。そんなことをしなくても君はいつも良い成績じゃないか。柄にもないな」
──柄にもない、か。
何もかもトップクラスである彼。身分や容姿が釣り合わなくとも、せめて成績だけでも合わせようと私が必死に励んでいることなど彼は知らない。教えようとも思わない。これは私の矜持だから。
私は美しい白鳥なんかじゃないけれど、湖面の下で遮二無二掻いている姿を見せるわけにはいかない。
しかしそんな必死の努力も結局は「身分も顔も下の下くせして成績だけはいいなんてほんと鼻持ちならないわね」と影で聞こえるように言われてしまうので無意味だということも知っている。
けれど、私は努力をやめるつもりはない。
もともと力を持ってること自覚している者の多い学院では勉学を鑑みない者は多いが、知識は力だ。弱者だからこそ私はその力を手に入れる。自分を守るために、そして守りたい大事なもののために。
力がなければ弱い者は虐げられるしかなく、そこに甘んじることしかできないと、私は学院で知ったから。
「じゃあ今日はここらで失礼するよ」
「ええ、わかったわ。気をつけて」
「ではまた学院で」
レオナルドが自室から出るのを見計らったように部屋の隅で待機していた従僕のマティアスが音もなくハーブティーを差し出す。
「ありがとう、マティアス。今日もいい香りだわ」
タイミングもお茶の温度もいつもながら完璧で私はほっと息を吐く。すると常に無表情のマティアスが静かに笑った。…ような気がする。些細な変化すぎて彼の表情はイマイチ掴めないのだ。それこそ、レオナルドと出会う前から世話になっているというのに。
一見穏やかなような、その実、針の筵のような学院生活があと一年で終わるというころ。それは長きに渡って続いていた婚約が終わり結婚という二文字が見えてくるころでもあった。
「聞きまして?ついにレオナルド様も、あの方に陥落したそうよ」
「まあ。ということは学院の"プリンス"たち皆様があの方に盗られてしまったということ?」
「そうよ、王太子殿下も宰相閣下のご子息も公爵家のご嫡男も殿下の護衛騎士も魔法部の麒麟児もみんな皆。この学院の将来有望とされる方すべてよ!」
「なんてことなの!」
「いや、そんなの!」
「ありえませんわ!あのレオナルド様までなんて…」
「………まあでも、」
「「「あの女よりはマシよね」」」
風雲急を告ぐ、というのだろうか。その噂は風より早く学院に広がった。
以前より交流のある南の国からきた留学生の皇女殿下に、学院の誉れであり何れは我が国の将来を担う王族貴族の子息ら〈皆揃いも揃って美形である〉通称"プリンス"と呼ばれる者たち全員が傾倒してしまったというのだ。
その中には宰相閣下の子息であるレオナルドも入っていて、ひそひそと噂好きの令嬢たちは私の顔をチラチラ─いやそんなかわいいものじゃない─ジロジロと見ながらクスクス笑っている。
その顔は可哀想という憐憫ですらなく、もはや悪意に満ちたものだ。……まあ今に始まったことじゃないけれど。
そんな中、私はレオナルドに中庭へと呼び出された。こうして会うことは決して珍しいことではないがこの時期に呼び出す理由など考えなくてもわかった。
「急に呼び出してすまない」
「いいえ……」
「要件はもうわかっているかもしれないが…」
彼の整った眉がヒクヒクとしている。私に悪いと思っていても自分の我を通そうとするときはいつもこうだ。
言いにくそうにしたって彼は自分の意思を変えたりしないのに。私に申し訳ないと感じたって結局彼は思う通りするのに。
こういうことは短いとは言えない付き合いの中で何度もあったから、私は身を持って知っていた。
そのくせこんな風に気まずそうな顔をするのだから、彼は私たちがどれほどの付き合いかちゃんとわかっていないのかもしれない。
私はあえて急かすことなく、相槌もしないままただ彼が話すのを待っていた。
「その、──……婚約を解消してほしい」
私がいうことは一つだ。
「わかりました」
もともと侯爵家と男爵家など無理があったのだ。そう告げられてから数週間もしない内に私たちの婚約解消は成立した。
あのとき私が彼を急き立てなかったのは、彼の方から婚約破棄を申し立てたのだと証明するためだ。私に非が一切ないのにこちらのせいにされてはたまらない。権力差のある婚約だからそういうことも起きかねないと私は警戒していた。
彼は貴族らしくプライドの高い男だ。自分が言った言葉は違えない。言い切った手前、家の者が私のせいにしろと言っても彼はうんとは言わないだろうと踏んでいた。
隠したり嘘をつくというのは彼の中でもっとも恥ずべき行為である。ああやって私をわざわざ呼び出して直接告げたこともそうだ。上位貴族の彼なら格下のウチに書面一つで解消だってやろうと思えばできたのに、正義感が強くて真正直なレオナルドはそうはしなかった。
彼のそういうところを私はずっと好ましいと思っていた。伝えたことは、なかったけれど。
でも、もうそんなこと。どうだっていい。
正式に処断されるまで外聞を気にして休学していた学院を訪れる。手に一枚の紙切れを持って。
ピンと背筋を張り、聞こえてくる影口、噂、悪態を振り払うように風を切って廊下の真ん中を堂々と歩いた。
これまでは人の目を避けるように人通りの少ない場所、時間を狙ってひそひそと移動していたけれど、もうそんなことする必要もない。
目的の部屋に着いた私は、持っていた紙を中にいた人物に差し出して、学院の門を出た。
これで、煩わしいことはすべて終わった。
「ミレーヌが自主退学した、だと?!」
「ええ、そのようです」
「何故だ!俺には一言も言ってなかったぞ」
「学院長は『一身上の都合』だと…」
「まさか婚約解消が原因で!?」
「さあ……私にはわかりませんが、学院長が言付けを預かったと」
「俺にか!なんといったんだ、ミレーヌは!」
「『妙な勘違いはおやめくださいね』…だそうです」
「なっ」
「では、失礼いたします」
それだけ言って俺の侍従は慇懃な様子で部屋から下がった。
謹厳実直な彼女が何故こんな急に退学だなんて……!
婚約解消で居心地が悪くなったからか?いや彼女が心無い人間からやっかみを受けていたのは知っていたが今に始まったことじゃないだろう!
それに彼女は一言も俺に言わなかった。
なんでもいい、一言、俺に助けを求めてくれれば俺は喜んで手を差し出したのに!
俺はミレーヌを愛していた。でも俺がどんなに瞳を熱くしても彼女のそれは変わることがなかった。それでも俺たちは小さい頃から一緒にいてこれからも永遠に一緒にいるのだと思っていた。その長い時の中で彼女もいつかその色を変えるだろうと、願っていた。いや妙な確信を持っていた。
しかし、この仮初めの関係もあと一年で真実のものになるというのに、彼女は変わらなかったのだ。
報われない鬱屈とした想いを抱えていた俺は、留学生としてこの国に訪れた南の国の皇女殿下と出会ってしまった。
彼女は思慮深く静かなミレーヌとは違い天真爛漫で好奇心旺盛な可愛い方だった。きゃらきゃらと明るく素直な彼女は好きなものは好きとはっきり言う。………俺のことも。
婚約者にはない魅力に俺はあっという間に虜になった。皇女のそばにいれば乾いた心が潤うようだった。
だからミレーヌとはもう終わりにしようと思ったんだ。長く報われないその想いを捨てようとした。
──もしかしたら、
もしかしたら彼女が泣いて引き止めてくれるかも、と心のどこかで期待していた。
いや泣かなくてもいい、俺との繋がりを無くしたくないと、少しでも縋ってくれれば。そうしたら俺は彼女を抱きしめてごめんと言って許してもらうつもりだった。
だがどうだ。現実は、わかりましたというたった一言で、俺が十年以上積み重ねたモノは終わったんだ。
終わったと、思っていた。
でもこうやって自分の手元から彼女がいなくなって、もう簡単には会えないと知って。俺に残ったものはなんだ。
「まだ、愛しているのに……!」
俺は、やけに広く感じる部屋の中で、無くしたものの大きさに、ひとり膝をつくしかなった。
「ようやくすべて終わったわ」
「お疲れ様でした、お嬢様。お茶をどうぞ」
「ありがとうマティアス。あ、ねえマティアス」
「なんですか?お嬢様」
私の完璧な従僕。整いすぎたその顔は美しさを通り越して無機質にすら見える。黒の燕尾服は彼の引き締まった身体をより精悍に、そしてどこか妖艶さを感じさせる。仕事ぶりも容姿に関してもマティアスは何一つ欠けるところがない。
一切隙のない彼は、私の、
「貴方を愛しているわ、だから私と結婚してくださらない?」
カップを持つ手が震えているのに気づかないふりをして、いつも通りを装って微笑む私。
「……………私で宜しければ、喜んで」
少しだけ静止した彼は長い睫毛が彩るその目を細めて恭しく笑みを浮かべた。
この作品に関して感想を閉じていましたが、色々考えて開くことにしました。ただし返信は致しません。
もし仮に荒れそうになれば作品ごと消させていただきます。ご了承ください。
詳しいことは活動報告に書いておきます。
2016/05/29 月鳴