Aから始まる物語
気が付くと目の前が真っ暗だった。口が柔らかいもので塞がれている。
同時に腰回りをまさぐられている。嫌っ! 気持ち悪い!
「んーーーーっ!!!」
混乱して私たちはお互いを突き放した。ん? 私たち? お互い?
明るくなった私の視野には、見覚えのない少年がいた。
俺は田中誠司。学年に二人はいるタナカ君だ。
ややこしいので略してタナセと呼ばれることもしばしば。ちなみにもう一人の田中君は田中氏と呼ばれていた。だったら俺は田中君のままでいいと思うのだが。
それなりの知名度を誇る中堅私立高校に通う俺たちは先生や親の期待も空しく、しかし世間一般の高校生らしく、放課後ボウリングに向かっていた。
「じゃ、今日最下位になるタナセは牛丼おごりな!」
「なんで俺負ける前提なんだよ!」
まぁ勝ち負けに関わらず○屋の牛丼くらいなら奢ってやってもいいか、と思っている。なぜなら彼らは俺にボウリングを教えるために付き添ってくれているからだ。俺はボウリングがうまくなりたい。ストライクを出してハイタッチを決めたい。そして女の子にもてはやされたい。
四月、入学してクラスの面子をみて落胆した。というのも大半が同じ塾か同じ中学校に通っていた顔なじみばかりだったからだ。それは皆も同じようで、期待外れな顔をしている者、ほっとしている者、と三者三様だった。遠方から来た者にとっては突然のアウェイに緊張した面持ちであったが。
そんなわけで、さっそく懇親会企画が立ち上がった。他の高校に進学した友人からは驚かれたのだが、こうも知り合いが多いと不安も緊張もなくただ新しい身分に酔いしれ、羽目を外すばかりであった。向かったのはランドワンなボウリング。俺の苦手なボウリングだ。内心、うぇぇ、とげんなりし、ガータ無しを積極的に提案したのだが、もう高校生なんだし! と意味不明な言い分に突っぱねられ、いじけながらも参加した。高校生でも大人でも、ボールはガーターに吸い込まれるものなんだぜ。
日曜の昼、さっそく俺らは集まった。
(ほらな、やっぱりガーターじゃないか。実はボールが超強力な磁石でガーターは鉄でできているのではないだろうか。納得だ。だから俺だけ毎度ガーターなんだ)
吸い込まれるようにガーターの先に落ちていったボールを見送って席に座る。
隣のレーンで歓声が起こった。
「きゃーっ! ストライク! ストライク出たぁ!」
「すげぇ! めっちゃうまいじゃん!」
青春さながらにハイタッチを決めているのは荒川アリサだ。彼女とは中学校も塾も違ったので、面識はない。スコアを見ると、三回目にしてスペア、スペア、ストライク。驚異のスコアをたたき出していた。俺なんてガーター、ガーター、ガーターだぞ。
ちょうど目が合った。
「タナセ君だっけ? 順調?」
「あぁ、今日もガーターは絶好調で仕事してくれてるよ。全部もってかれた」
彼女が俺のスコアを覗いた。マジやめて。案の定彼女はかわいそうなものを見る目で俺を見た。
「あ、その、ごめん」
そのリアクションが刺さるんだってば。穴があったら入りたい。あ、なんかもぐれそうな穴あるじゃないか。
フラフラとレーンの奥に目をやる。その奥に吸い込まれたはずのボールがガラガラっと手元に戻ってきた。どういう仕組みになっているのだろう。
そうこうしているうちに俺の番が再びめぐってきた。あぁ、どうせガーター落ちだろ。わかってるって。はいはい。
ボールをひっつかむと、スッと手が添えられた。なんと荒川さんだ。
「持ち方間違ってるよ。それじゃ手を痛めるだけだし、だから斜めに進んじゃうんじゃないかな?」
そう言って、余ったボールで見本を示してくれた。
女神だ。俺はガーター落ちをやめるぞ、ジョジョーッ!
おそるおそるボールを転がした。カラカラーンと二本ほどピンが倒れた。
初 ス コ ア キ タ コ レ
うおおおおおおおおおおおっ!
俺は叫んだ。周りも叫んだ。若気の至りだ。
「ガーター男が! ピンを! 倒したぞおおおおおおおお!」
その後、ときどきガーター落ちしながらも二本、三本とピンを倒し、底辺ながらもスコアを伸ばしていった。最終ゲームでスペアを出したときは俺もみんなも半狂乱で騒いだ。
荒川さんが俺の両手を握った。それを持ち上げて手を放す。そして「イエーイ」と景気よくハイタッチしてくれた。彼女の笑顔はとてもまぶしく、しっとりとした手の感触がいつまでも残っていて意識せずにはいられない。そうか、彼女は女神なんだ。
結局、ボウリング大会は荒川さんが圧倒的スコアで一位を飾り、締めくくられた。もちろん俺は圧倒的最下位。
その日俺は決めた。ボウリング上手くなろう、と。そして、荒川さんをボウリングに誘うのだ、と。
で、ボウリング場に来たはずだったんだが。こんな自然いっぱいな場所でキャンプをしに来たわけではないんだが。
気づけば右頬にもみじ色の手形がついていてヒリヒリしている。見ず知らずの美少女が激おこだ。
確かボウリング場に行ったら停電騒ぎになって明かりを確保しようとスマホを手探りしていたはずだったんだ。
理性を無くした少女は、ものすごい形相でにらんでいる。手にはギャグマンガでしか見ないようなでっかいハンマー。
(あ、俺、死ぬんじゃね?)
「こ、この、変態、よよよくも、よくも、アタシのファーストキスゥゥゥゥゥゥ」
「誤解だ何の事だか分からないとりあえずごめんなさい命だけは助けて何でもしますやめてそのハンマー洒落にならないからやめてくださいお願いしますごめんなさい」
土下座、謝罪、土下座。とっさの困難にD・S・D。状況が把握できないが、今は命が先だ。少し顔を上げて様子を伺おうとしたら、目の前にハンマーが落ちてきた。ひぃぃと情けない声をこらえる。
(武器を手放した。つまり、俺は赦しを得た。そうだろう?)
希望をもって少女を見上げた瞬間、俺は左頬をぶたれた。