どうしても今欲しいものがあるんだ
小説を続けることなんて容易なことでは内容に今でも思ったりする。そう、小説を書くなんてだれにでもできることなんかじゃない。才能には限界があるというのも、確かなことだろう。小説家になろうなんてサイトもあるが正直言ってほとんどの人が他の作家の真似だったり下手くそな文章で自分の世界を創ってるにすぎない。今読んでる人はサイト内で小説を書いてる人だろうか?悪いことは言わないからやめておきなさい大したものなんて完成しやしないから。だがそんなことを言ってるこの俺の書くものがまさしくそれかもしれない。そんな風におもわれてもかまいやしない。だがもし少しでも面白い文章をこいつは書くなとおもってくれたのならば1でもいいんで評価をしていただきたい。評価こそがたった今俺がほしいものだからである。今回も何かテーマにそっておもしろいことでも書いてみるとするか、おもしろくないかもしれないが付き合ってもらいたい。そもそもほしいものなんてものは簡単に手にはいらないというのが世の常だろうから、期待はいたしません。どこかのだれかが時間を割いてこれを読んでくれただけで十分だろうともおもえてしまうからだ。そこだけは感謝するとして、そもそも人間誰しも欲しいものなんて限りなくあるものだ、俺にも欲しいものがある。それは面白い小説や面白い文章を書く才能だ。ここまで読んだ人は理解できるとはおもうが俺は文才がないのである。誰にだって自分を変えたい、新しい自分の力に気付きたい、願望はさまざまだと思う。そのようなどのような凡人のなかにでもあるような欲求が最大限に高まった時期が俺にもあったのだ。それは高校を卒業して暇な時期だった。自分が今本当にするべきことは果たしてなんなのだろうと漠然と考えてしまった頃があった。そうただ暇だったからそんなろくでもない考えにとらわれていたのだ。俺は街を歩いていたとき怪しい外人二人に呼び止められた。彼らは「あなたは今どうして生きてるかわかりますか」「自分の役目に気付いていますか」「あなたにも使命があるのですよ」などとカタコトの日本語で俺に語ってきた。俺はあの時無知だった。そもそもそんな怪しい奴らについて行って教会までのこのこ入ってしまったこと自体人生の汚点だったのだけれども、その時俺はその外人二人と出会わせてくれた神様にも感謝していたのだ。簡単な話洗脳だったのだ。俺がその教会に偶然はいったことも神様の仕組みであり、神様が喜んでいるそんな風に誘導されてしまった。しかも冬だというのに水の中に入って罪や穢れを落とす儀式までする約束までさせられてしまったのだ。とんだ馬鹿野郎だろう。そのころに戻って自分を殴ってやりたいとさえ思う。 教会内で様々な約束をさせられた。結婚までセックスするな、働き出したら寄付しろ、酒を飲むな、賭け事をするな、外食をするな、まだまだあるが今思い出してもその外人二人を殴ってやりたくなるので、これくらいにしておこうと思う。とにかく戒律がすごかった。二人とも独身で教会内ですんでいたらしい。その外人二人はそれを守っていると言っていた。30過ぎた男二人で童貞か。笑える。俺は家に帰った後だんだん正気に戻り洗脳が解け、二度と教会に行かないことに決めた。もうあの童貞やろうどもに二度と会いたくなかったのだ。2月後俺は奴らと再会した。寿司まるで。奴らは外食してたのだ。しかも酒も飲んでた。おそらくセックスもしているだろう。教会内で。あの外人2人はゲイだ。今も神を利用して人をだまし男同士でフェラでもしてることだろう。アーメン。いや、二人とも精液まみれだろうから、ザーメンか。