落ちました、穴に。
翌朝、土曜日。
夕輝と会うことになっていたので、希愛は朝食を済ませると間に合う時間より早めに家を出た。
(…早めに連絡くれると良いんだけどな)
今日来るという面接結果は、ほぼあきらめている。
だが、万が一受かっていたら……という変な緊張を早く無くしてほしい。
「もういっそ携帯の電源を切っておくか?……いや、落ちるにしてもかかってくるんだから、切っておくのは失礼だし……。なら、携帯を夕輝に預かっておいてもらって……うーん、すぐに出ないというのも失礼に当たるような…」
女子にしては短めに切った黒髪をかき回しながら、独り言とともに希愛は歩いていく。
ショートパンツに包んだ長い足で颯爽と歩く姿は、人々の視線をひきつけるほどかっこいい。
――――のだが、女子の視線が多いのも考えものである。
駅前の広場に着くと、すでに多くの人が集まっていた。誰かを待っているような人もいれば、休日出勤なのかスーツ姿のサラリーマンもいる。ここでよく待ち合わせする希愛にとっては見慣れた光景だ。
(夕輝は………まだか)
あたりをきょろきょろと見渡すが、友人の姿は見えない。
待ち合わせの時間よりも早く着いてしまったので当たり前だが、この変な緊張を持ったままじっと待っているのも落ち着かない。
(どっか、コンビニでも入って――――………え?)
時間つぶしの方法を考えながら、もう一度あたりを見渡した時、彼女の眼におかしなものが飛び込んできた。
(なんだ、あれ……?地面の、模様?)
ちょうど希愛の真正面、広場にあるよくわからない武将の銅像の前の地面に大きな『丸』があった。
大きさは希愛が両手を広げたくらいで、色は黒。
謝って墨汁をこぼしてしまったような黒々とした『丸』だ。
(昨日はあんなの、なかった…よな?)
しかし、周囲の人々は特に気にする様子もなく、見向きもせず側を通ったり、それどころかその上で待ち合わせをしている人もいる。
希愛は首をかしげながらその『丸』に近づいた。
ヒュオォォォォォ…。
「……………え!?」
近付くと聞こえた風の音に、思わず声が出る。
その上で待っていた女の人が少し不審げな目で希愛を見るが、それに気付かず希愛は『丸』に顔を近づけた。
(あ、穴………穴だ……!)
柔らかい下方からの風が希愛の顔を撫でる。
間違いなくその風は『丸』――――もとい、『穴』から吹いていた。
(な、なんでこんなところに穴が…!?というか、上に人…!?な、なんで??)
もはや、パニックだ。
希愛は混乱する頭を必死で落ちつけようする。
(落ちつけー、落ち着けー……自分の頭……。きっと勘違い、これは錯覚だ、うん。触ってみよう。きっと地面に模様が書いてあるだけで……)
自分に言い聞かせながら、そろそろと指先を伸ばしてみる。
「………………」
(きっと模様……もしくは誰かがこぼしたペンキ……)
希愛の指先があと少しで『穴』に触れる………その時。
「おう、はよ。何しゃがみこんでんだ?」
「……………っ!?」
聞きなれた声と共に、背中に軽い衝撃が加えられた。
ごくごく軽い衝撃。
しかし、しゃがんで前のめりになっていた希愛にはそれで十分だった。
ビュオオォォォォォォオオォォォォッ
「……………っ~~~~~~~~!!!!」
ものすごい風の音を聞きながら、希愛は声にならない声を上げて落ちた。
(落ちるのはバイトだけでいいってーーーーーー!!)
頭のどこかの冷静な部分がそう叫んでいたが、なすすべもなく.
相戸希愛、16歳。
バイトの面接に落ち続けて49敗。
生まれて初めて―――――『穴』に落ちました。