5『二人きりの屋上』
皆様はどの季節がお好きですか?
僕は秋が涼しくて好きですねえ
もう、秋だ。
夏に遭った廃墟での出来事は、あれからもう数カ月たった今現在でも、僕の頭の実に四割を占めていた。
別に、懐かしがっている訳じゃない。
ただ、あそこにあったモノがあまりにも異質で、異様で、衝撃が大きかっただけだ。
べ、別に四階にあったアレのことを言っているわけじゃないんだからね!
僕があの廃墟について思うのは、最後に会った三原さんのあの言葉だ。
『このビルになにがあったか知りたいですか』
あのときは素直に「いやだ」と言えたのに、今もし同じ事を聞かれたら、同じように言える自信がしない。
やはり気になるのだ。あのビルの事。
あの黒い染みは一体何だったのか。
あの破壊の跡は、一体どう作られたのか。
あまりにも謎が多すぎて、頭から離れなくなっていた。
あそこで撮った写真はまだ現像していない。
正直、再びあれを見るのが、怖いのだ。
この世界の別の側面、いや、この世界を根源からぶち壊してしまうような何かが、あそこにはある。そんな気がするから。
何があるのか、知りたい。
でも知れない。知ってはいけないんだ。
でも………………
ボキッ!
「っあ……………」
考え事をしているうちに宿題をしているペンを握る腕の力が強くなってしまった。芯が折れてしまった。
シャカシャカとペンを振って、芯を出す。最近流行っている、振って芯が出る機能が付いたシャープペンシルだ。
ちなみに、もうすぐ期末テストがある。おかげでテスト勉強尽くしだ。
テストは国語、数学、英語、理科、社会、保健体育、技術、家庭、美術の九教科で、家庭、技術は二教科で、一教科分の扱いとなっている。
テストは、授業ではあんな難しい事をやっているから、難しいことやっていると勘違いしそうだが、案外そういう訳ではなく、内容は普通の中学生で習う範囲そのものだ。
だから、とにかく、ワーク、暗記、ワーク、暗記である。
しかし、それでもやはり頭から離れない。
「うう……畜生、全然頭に入らない!」
唸って、頭を掻いた。しかたない、コーヒーでも飲もう―――
テスト当日。
成果は最悪だった。
正直、結果は見たくない。
他のやつに解答を聞いて、全ての問題を100パーセント正解の解答してくれたので、結果はよく分かっているからだ。
「気分転換にファミレスでも行こうかな……」
こういうときは自棄食いしたい気分なので、ある程度貯めていた貯金を使って、ファミレスに行く事がある。
この時ばかりは日々の修練を休み、戦士は休息を得るのだ。
……などと勝手な事を言ってみたが、僕は戦士なんかじゃない。せいぜい衛生兵ぐらいだ。
なんて自嘲しつつも、いくらなんでも一人自棄食いは悲しすぎるので、数人の友人を誘って、近所のファミレスへと向かう。
「チーズINハンバーグセット、お持ちいたしました」
営業スマイルを欠かしてはいけないはずのファミレスで、完全無表情な店員さんが僕の前にハンバーグの乗った皿を置いた。
「美味しそうですね」
オムライスを前に、友人である男子生徒の一人が、無表情で呟く。お前は天使園の修道士かよ。
気を取り直すように、僕は一度咳払いをして、
「じゃあ、いただきますか」
食事開始、だが………
「………」
「…………」
「……………」
「このチーズがとろける感じ、良いなあ………って、三人ともオムライス食べないのか?」
僕は連れてきた三人の様子を見る。食欲が進まないというよりかは、そもそも食べる気が無いという感じで、箸すら手に持っていない。疑問に思い、聞いてみた。
「はい」
素直に答えてくれた。
そういえば、長年付き合っているくせに、未だにお互い分からないことも多い気がする。この際だから、聞いてみようかな。
「そういえばさ、いつも昼食の時、どうしてるの? 食堂には雑談する時ぐらいしかいないよね」
そうなのだ。昼食の時、食堂で食事をしている人を見かけない。大抵は、雑談をしに来ている生徒しかおらず、食堂で食事しているのは実質僕だけのようなのだ。
弁当が駄目という訳ではないので、一度早起きして自分で作り(冷凍食品のオンパレード)、皆と食事しようとした事がある。
しかし、昼休みになると、皆、僕を避けるようにどこかへ行ってしまい、結局は普段と変わらず食堂で弁当を食べる羽目となった。
「それは………」
友人は言葉を濁す。表情に変化はないが、どうしたものかと迷っている様子だ。
僕は、なかなか答えてくれないので、まず食べることにした。ハンバーグ超旨い。
ふいに、友人が声を発した。
「聞く覚悟はおありですか?」
「は?」
奇妙な言い回しに、僕は違和感を感じえなかった。
友人は、ハンバーグの欠片をフォークに刺して呆けている僕の顔をじっと見つめ、それから、
「いいえ、なんでもありません。我々は、いつも屋上で食事をしているのですよ」
いいえ? なぜ向こうから聞いて来たくせになんなんだ? と訝しみつつも、口ではまったく別の質問をしていた。
「屋上で? そりゃまたなんで」
「風が気持ち良いので、そこで食事をしているのです」
「へぇ――――――」
と適当に相槌を打ちつつも、今の友人の言葉について、色々と考えを巡らせていた。
いろいろと気になる点がある。
まず私、ではなく我々、と言った点。まさか学校生徒全員が屋上で食事をしている訳ではないはずだ。だから言い回しに違和感がある。まあ、これはもしかしたら考えすぎかもしれないけど。
もう一点。彼らは雨の日であっても食堂で食事はしないし、よくよく考えれば、教室でも食事をとっていない。食事が許されている場所は、教室、食堂、屋上、運動場にある屋外型テラスだけで、内二つの運動場とテラスは雨の日は使えない。だから雨天の時はどうしているのかという点。
雨の時はどうしているかは結構聞きやすいので、遠慮せず聞いてみると、
「雨の時は、そもそも何も食べていません」
とよく解らないことを言ってくれた。
「え? 食べてないってどういう事?」
訳がわからない。雨だとどうして何も食べられないんだ?
「雨の時は、食べるものが無いのです。だから何も食べられない」
「食べるものは無いって、それなら食堂で食券買えばいいんじゃ」
「お金がないので」
「そいつは……なんというか、ご愁傷さま」
……ますます訳が分からないなあ、と僕は首を傾げた。
突然雨が降ってきたならともかく、天気予報とか、今日の空の様子を見ればなんとなく天候を予測できる。
そういった事前情報をもとに、母親から事前に金を借りるくらいはできるはずだ。……いくらなんでも子がなにも食べられないのをよしとする親はあまりいないだろう。
それに、だ。
先ほども言ったが、食堂にも教室にも、居る人があまりにも少ないのだ。雨の日も、例外なく。
そこまで思考を進めて、ふと気付いた。
こいつらもしかして、なにか僕から隠してないだろうか?
「さてと……食事も終わった事だし、君ら、本当にオムライス食べないの?」
「はい」
三人が頷いた。
「……まあいいや、この辺でお開きってことで。以上、かいさーん!」
僕は会話の終わりを告げ、席を立ち、カウンターで会計をする。うへ、小遣いが一気に減った。
思考は先ほどの会話がくるくると回っていた。どうも引っかかる。一体昼休み皆で何をしているんだ。
そこまで考えて、自分が今考えている事を大いに後悔した。
あいつらは僕の友達なんだぞ? 疑ってどうする?
しかし、一度動き出した思考は止まらない。
今まで、よく知っていると思っていた、友人。
だけど、それは違うと、今回の会話で思い直した。
それに、この違和感は、何度か味わったことがある。
例えば、普通に授業をする時。
例えば、一年の春。
例えば、この前の東部ビルディング。
それらのそれぞれが、何かが欠落している気がする。
それは――――人間?
ばかな、と僕は思う。
でも、心の声が、気付かせようとしているかのように、言う。
この世界は、あまりにも、人間性が、抜け落ちている。
まさか、でも、そんな。
否定したいと思った。だけど、何一つ否定できない気がした。
少しずつ、この世界が、僕のなかで壊れていく。
一日後。
まだ、疑い続ける自分がいる。
まだ信じようとする自分もいる。
どちらにせよ、疑問は解決しなければいけなかった。
今日の授業を完全に聞かずに、頭の中では今日やる事を頭の中で計画していった。
昼休みだ。例の昼休みの謎を解決するために、クラスメイトの後を付ける。具体的な計画はいらない。
午前の授業が終わり、昼休みに突入する。
標的は教室を一番最後に出る生徒。そうでもしないと後続の人間に何してるの? なんて問われかねない。そんなことで時間食っては意味がないのだ。
待っていると、突然、後ろから肩を叩かれた。
三原さんだ。
何の用なのか分からず、訝しがる僕だったが、三原さんは両手を持ちあげて二つの弁当箱を目の前にだした。
余計に訳が分からなくなる僕に、三原さんは相変わらずの無表情でこう言った。
「お弁当、一緒に食べませんか? 余分に作ってしまったんですよ」
女の子に誘われたのに、しかも弁当までくれると言ったのに、断るわけがないだろう!
というわけで三原さんの後ろ姿を追いかけている。
三原さんは三階へ階段を登って行った。
食堂は二階の北校舎。テラスは言わずもがな降りる必要があるので、どうやら行先は屋上のようだ。
三原さんには悪いが、こちらとしては好都合だった。
どちらにせよ本当に屋上に彼らがいるのかを確かめる必要があったのだ。
階段を上がって行き、ついに屋上へとつながる扉へと到達する。
三原さんがドアノブに手を掛けた。
ガチャリ、とドアが開いた。
そこには――――――
たくさんの、人が、いた。
この校舎の向こう側、北舎の屋上に。
「ってなんで!? なんでこっち誰もいないのに、向こうはあんなたくさんいるの!? 人数比がおかしいでしょ!?」
……思わず突っ込んでいた。
三原さんはそんな僕に一瞥もくれずに、背中を向けたまま、無感情で話しかけてくる。
「今日は二人で会話したかったので、他の私達にはどいてもらったんですよ」
ふ、二人でぅえ!?
顔が赤面してくるのが分かる。だってこんなモテナイサエナイダサ男に人生の春がこうも唐突に訪れるなど誰が予想できただろうか。
しっかし、三原さんには正直、今までそういう対象として見ていなかった。
だから戸惑う。
よく解らなくて、どうすればいいのか分からなくて。
完全にパニクっていた僕の足元が、爪先数センチぐらいの距離で抉れた。
え? と足元を見る。上履きには目立った外傷はないから足は大丈夫だが、その爪先のコンクリートが抉れた後に、どうしようもなく悪寒が身をよぎった。
「しずかに、してください」
はっきりしたもの言いと、そこに込められた無感情。
その二つを受け取った僕は感覚的に――ああ、この人、そういうつもりで誘いを掛けたのか――と理解した。
僕が慄いていたら、三原さんは振り返って、弁当を差し出した。
「どうぞ」
有無を言わさぬ物言いに、多少気押されつつ、僕は「あ、ありがとう」と礼を言って、受け取る。
三原さんは僕が弁当を受け取ったのを確認すると、すぐに一ヵ所を指さして言った。
「あそこで食べましょう」
そこは校舎の縁、ではなくど真ん中。
「え、ああ、う」
「では早く行きましょう」
「え、おわわわ」
腕を引っ張られ、眩しい太陽光の中を彼女に先導される形で歩いていく。
完全に向こうペースだ。思えば前と同じく、言葉が途中で遮られた。
「ここで食べましょう」
―――そこは本当に屋上のど真ん中で、よくよく考えてみると立った二人で屋上に居るだけでも目立つのに、ど真ん中なんて死ぬほど目だっていて、それが男女二人きりという状況もあってさらに羞恥度が増している。しかも校舎の向こう側では大勢の観客が僕らの様子を見守っており―――僕としては真っ赤になりすぎて沸騰でもするのではないかと思ったくらいだ。
「座ってください」
有無を言わさないこの口調。僕は完全にこの口調のいいなりとなってしまった。彼女が示した場所に正座する。
そこは、彼女の目の前だった。
改めて対面すると、さらに恥ずかしくなってくる。相手にそういうつもりがあるのかないのか良く解らないが、僕としては三原さんは結構―――
結構―――――……………………
あれ?
今、初めて気付いた事がある。
僕、今まで、
誰が、好き、だったんだ?
ウチのクラスは結構可愛い子も多いと思うし、その中の一人に恋ぐらいしたって良いはずなのに。
僕は彼女達に何故か魅力を感じない。
これはよく解らない感情だった。
自分でも分からない、今までの自分。
これは一体、どういう事なんだよ―――
男とは普通、本能が女性を求めるため、最悪でも気になる人一人は存在する。もしいない場合は、そいつはきっと他人に全く興味のない奴か、二次元オタ
クとかそんなもんだ。
もちろん僕は、そのどちらでもない自信がある。
でも今まで、そんな感情を抱いたことは全くない気がする。
一体全体、どうしてなんだ――――僕?
「食べないのですか?」
三原さんが無感情かつ無表情に言ったその言葉が、僕を現実に引き戻した。
「え、ああ、うん。食べるよ」
見ると三原さんはもう弁当を食べ始めている。その食べ方はまるでゴミ箱に放り込むかのようで、味が全く楽しめなさそうだ。
「えっと……いただきます」
僕は手を合わせてから、弁当箱の蓋を開けた。
弁当は二段構造で、一段目にはかぼちゃの蒸したもの、小松菜の和え物。後は豚肉の生姜焼きのキャベツ添え。
二段目は日本伝統の真っ白なご飯に、ど真ん中に梅干し乗っけた日ノ丸弁当だった。
香りが鼻腔をつつき、一気に食欲をそそる。
豚肉を一枚箸で掴み、一口。
「美味しい!」
純粋な感想が、口から自然と零れた。
味付けがしっかりされていて、焼き加減もちょうどいい。出来は最高だ。
しかし……母親の料理と同じく、このなんともいえない物足りなさはなんだろう?
首を傾げながらも、箸を進めた。
しかし、二人きり、という状況は彼女が意図して作ったものだ。
それが恋愛がらみの話では無さそうということは……
「三原さん、もしかして僕に何か用事があるの?」
「はい、あなたにもう一度、確認したいのです」
やっぱり、そういうことか、と僕は納得した。
彼女とは別にクラス内で親しくしている訳ではない。だから、僕と一緒にご飯を食べようなんて、最初から不自然だったんだ。
そして、彼女の確認したいこととは、やはり……
「東都ビルディングのことについて、本当に何も知りたくはないのか、だろう?」
「はい」
彼女は無表情に答えて、頷いた。彼女のおさげが風に少し揺れた。
「……あれからずっと考えていたんだ。どうしてあそこに三原さんがいたのかを。僕がその質問に答える前に、まずこっちの質問に答えてくれないかい?」
そう、それが一番気になっていたんだ。
あの時、三原さんがあそこに居た理由―――それをまず、はっきりさせたい。
三原さんは無表情のまま、答えた。
「あそこはあまりにも危険です。特に、あなたにとっては。だから、あなたがそこに向かっているのを見て、その後を付いて来たんです」
「後を? でも僕がビルに入っていった時、誰もいなかったような気がするけど」
「それは単純に私が見つかりにくい場所にいただけです。ビル内でもずっと付いていました」
「でもなんで後を?」
「それはあそこの危険から、あなたを守るためです」
「危険? でももし危険っていうなら、後を付けなくても僕がビルに入る前に教えに来てくれればよかったのに」
「あなたの行動を妨げることは、私にはできませんので」
聞けば聞くほど、三原さんの事情がよく分からなくなってくる。
後を付けていった? 行動を妨げられない? あんたストーカーかよ。
でもそれだけじゃない理由というものがあるのだろうか?
「ねえ、一体どうして、僕を守ってくれるのさ?」
「それは、いくらあなたであっても、直接お伝えできません。あなたがそれに気付いた時、しっかりお教えします」
教えることができない? なんだよ、それ。
なにがなんだかさっぱりだ。自分を取り巻く環境が、いかに異常かを思い知らされる。
「どうしても?」
僕は諦めきれずに問い詰めるが、
「それだけは、お答えできません」
断固として弾き返された。これはもう無理そうだ。
話を変える事にした。
「仕方ないな。それで結局、どうして僕にあんなことを聞いたんだよ?」
「それは、あなたに最低限の危険を知ってもらうためです」
最低限の危険?
「どういう意味だよ。それ?」
「それを答えるのは、最初に私が聞いた質問に戻ります。あなたは、東都ビルディングの事について、知りたいですか?」
僕は少し考える。
最初は、怖かった。
理由をしれば、きっと後悔すると分かっていたからだ。
それが自分をどれだけ傷つけるのか分からないから、それが怖かった。
だけど。
きっと怖がっていたら、ここから先には進めない。
僕は知りたい。
知るべきなんだ。きっと。そして、いつか嫌でも知る事になるのかもしれない。
それならいっそ。
どれだけ絶望し、傷つくのか分からないけど。
自分から聞くほうが、ショックの度合いは少なくなる。
だから。
「教えてほしい。あのビルで何があったのか。もしそれが、僕自身に関わることなら」
決意は出来た。
「……わかりました」
後は、話を聞くだけだ。
何やら思わせぶり。