三
史蓮は幽玄先生と村の人たちに呼ばれている青年に助けられる。そして、その村で傷を癒すことに。
幽玄の庵での時間は、今までの史蓮の暮らしとはまったく違うものだった。
穏やかで緩やかな時間で、心が安らぐのを感じていた。
この村や、庵では、人々は支えあって、みなでお互いを思いやりながら過ごしている。
人を殺めることも、誰かに命を狙われることも、逃げることも、襲うこともしなくていい。
もしも、この村に生まれてきていたのなら、もっと違った自分になっていただろう。
史蓮は、微かに胸が痛んだ。
ないものねだりなのはわかっている。
時間を戻せないのもわかっている。
自分が、この暮らしにそぐわないのもわかっている。
それに。
史蓮は幽玄が一切素性を聞かずに、黒衣や匕首を見ても怪しむそぶりすら見せず、穏やかな物腰で接してくるのに戸惑いを感じていた。
こんなに、人に優しくされたのは、彼女を育ててくれた…そして自らの手で殺めなくてはならなかった史寿以来だった。
幽玄の優しさが、気遣いが、史蓮にはそのあとに待つ、つらさを思い起こさせる。
劉おばさんが持ってきた夕食を済ませたあと、史蓮は薬草を調合している幽玄をぼんやりと見つめていた。
「…幽玄先生」
「何ですか?史蓮さん」
「うん……わたしの素性…聞かないの?」
史蓮は微かに胸が痛むのを感じながら切り出す。
聞かれないことは黙っておいてもいいのではないか。
そう思う反面、これ以上自分を隠しておくのはつらい気もする。
「…そうですねぇ…」
彼女の言葉に、乾燥させた薬草を煎じ薬を作るために鍋に入れながら幽玄は顔を向ける。
「…まあ、言いたくないことは誰にでも一つや二つあるものです。」
にっこりと笑う。
「…うん」
そう、答えたが、いっそのこと聞いてくれたほうがよかった。
暗殺団の一員で、何人もの人間を殺してきた。
それは、決して消えることのない事実。
史蓮は膝を抱え、燭の明かりの中、別の薬草のすりつぶす作業をはじめた幽玄を見つめる。
自分が助けた人物が暗殺者と知ったら、後悔するかも知れない。
いや、そればかりか…。
あの穏やかな幽玄の表情が冷たく自分に向けられるのが恐ろしい。
何も言わないで、明日早々に立ち去ったほうがいいかもしれない。
史蓮は膝に顔をうずめる。
―――……でも、どうしてだろう……。
……何だか、つらい。
「……史蓮さん、」
幽玄からの呼びかけ。
「…はい」
「……私は別に素性は気にしませんよ。…たとえ、あなたが人を殺めることを生業としていても、ですね。」
その言葉に、史蓮ははっと顔をあげる。
幽玄のまっすぐな眼差しと史蓮の視線がかち合う。
自分の表情が強張るのがわかる。
「…幽玄……せんせ…い…」
「……例えば、ですよ」
そういう幽玄の表情は、いつもの柔和なもので。
「……。」
「でもですね。」
静かな幽玄の声。
「私はあなたを助けたいと思ったから、助けたのですよ」
幽玄は立ち上がり、煎じていた薬湯を器に移して史蓮に手渡す。
「もう遅いですから、これを飲んで休んでください。痛み止めですから」
「うん…」
幽玄の言葉に頷いて、史蓮は薬湯を受け取る。
「明日は早いですよ、ゆっくり休んでくださいね」
微笑む幽玄。
彼の微笑みだけは、失いたくなかった。
こくん、と頷いた史蓮は薬湯に口をつけた。