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月影華  作者: 六条せり
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深い闇が街を支配し、青白い月を雲が覆う。

史蓮しれんは息を殺し、機を伺っていた。

まさか天井裏に彼女が潜んでいるなど、この男は気付いていないだろう。

黒衣を纏い、帯にさしているのは刃に毒を塗った匕首(ひしゅ、鍔のない短刀)。

漆黒の長い髪は邪魔にならないように一つに束ね、史蓮は冷静な冷たい目で目標である男の様子をうかがう。

大柄な男は、重そうな腹を抱えてふんぞり返って、一人の楽女の奏でるゆったりとした胡弓の音色に耳傾けている。

調べによると、おそらくこの楽女は男の寵姫である華宝芳かほうほうという楽女だろう。

街の酒楼で楽女として雇われていた華宝芳の胡弓の腕をいたく気に入り、家妓として買い取った男は毎晩彼女を召し、休む前に必ず一曲奏でさせる。

夜の闇に流れる、どこか悲しげにも感じる音色。

やがて、曲が終わると男が華宝芳になにやら声をかけ、それにつづく扉の閉じる音。

気配をうかがうと、どうやら男は華宝芳をさがらせたようだ。

機は、今だ!

史蓮は腰に差した匕首に手をかけると、室に飛び降りた。

「なにっ!」

突然天井より飛び降りてきた黒衣の娘に、男は目を瞠って飛びのく。

見かけによらず、その身のこなしは速かった。

金鵬きんほう、覚悟!」

鞘をはらい、史蓮はそのまま踏み込むと確実に任務を遂行する為に金鵬の口を左手でふさぎ、右手に持った匕首を太い首に押し当てる。

「ま、まて!」

必死に金鵬が史蓮に訴えようと、口を塞ぐ彼女の手の隙間から声を発するが、史蓮はそのまま、何の躊躇いもなく刃で金鵬の喉を掻き切った。

一瞬の金鵬の見開いた目。

血が彼女の漆黒の衣装と顔にかかるが、かまわずに袖で顔の血を拭った史蓮の耳に「ひっ」という、女の息を飲む声が聞こえた。

振り返れば、華宝芳が真っ青な顔で立っていた。

「だ…誰か!金鵬様がっっ!」

止めようとするより早く、華宝芳が悲鳴にも似た声で叫ぶ。

しまった!!

すぐに衛士たちが駆けつけてくるだろう。

「早く、早く来てぇ!!!」

「くっ!」

史蓮は華宝芳を突き飛ばすと、回廊へでる。

「いたぞ、賊だ!」

「捕らえろ!」

すでに衛士たちが槍や剣を抜いて、史蓮目指し向かってくる。

捕まるわけには行かない!

突破口を見出さんと、回廊に目を走らせるも衛士たちは反対の回廊からも挟み撃ちにしようと、走ってきている。

さすがに、この数の敵と戦うのは無理だ。

唇をかみ締めて、史蓮は回廊の手すりに手をかけて下を覗き込む。

楼の三階。

下は池になっている。

……このまま、捕らえられるくらいなら…っ!

次の瞬間、彼女の右肩に熱が走った。

「くっ!」

「やったぞ!」

衛士の槍が肩を斬りつけ、温かい血が腕を伝ってくるのがわかる。

さらにもう一撃、斬りつけようとするのを咄嗟にかわした史蓮は、手すりに足をかけるとそのまま宙に身を躍らせる。

少しの間をおいて、響く水音。

「飛び降りただと!」

「さがせ!絶対に逃がすな!!」

衛士たちはざわめき、すぐさま池に向かうべく階下へ走りだした。


史蓮は池の中から這い出ると、激痛に右肩を押さえる。

思ったよりも深いのかもしれない。

きゅっと唇をかみしめ、屋敷の庭をぬける。

今、衛士たちに追いつかれたら明らかに不利だ。

史蓮は右腕をかばいながら塀を越える。

利き腕である右を痛めたのが失敗だった。

塀を飛び降りて暗闇を走り、屋敷から離れる。

濡れた着物が足元に纏わりつくのもかまわず、ただ、ひたすら走った。

月が雲に覆われて、闇一面に染まった道を駆け抜ける。

肩も足も、ひどく痛い。

どれくらい、走っただろうか。

史蓮はがっくりと膝をついた。

もう、街からは随分と離れたはず。

これ以上は走れなかった。三階から飛び降りた際に、足も痛めたのかもしれない。

ひどく、右足が痛い。

「…っ!」

右の肩の激痛。

史蓮は肩を押さえたまま、崩れるように草の上に倒れこんだ。



薄暗い部屋の中、史蓮は黒衣の男たちと共に、1人の老人を取り囲んでいた。

「史蓮、お前の初仕事だ。やってみろ」

全洪ぜんこう様…」

ためらうように、まだ十歳の史蓮は頭目を見上げていた。

「殺すんだ、史蓮。」

匕首を握らせ、史蓮の背中を押して促す。

「お前も我ら黒虎の一員ならできるはずだ。」

目の前には、深手を負った黒衣の老人が彼女に何かを訴えようと、震える手を差し伸べる。

「殺せ!」

冷たく、拒否を許さぬ威圧感を持って命じる全洪。

「…っ、ううっ…っ」

しゃくりをあげて史蓮は泣きながら老人の前に押しやられる。

できない…。殺したくない!

「…蓮…」

かすかに聞こえた老人の声。

「殺れ、史蓮」

全洪の言葉は、絶対だった。

あふれる涙を止めることができないまま、史蓮は硬く目をつぶって、教えられたとおり匕首で老人の首を斬りつけた。

……明らかに人の命を奪う厭な感触と、顔にかかる熱い血。

忘れたいと思っても、一生忘れることはできないだろう。

「よくやった、史蓮。…裏切り者の始末はこれで完了した。いくぞ」

全洪は史蓮の肩を叩く。

ごめんなさい、ごめんなさい…ごめんなさい。

涙が止まらなかった。

黒虎という暗殺集団にまだ物心のつく前に拾われて育てられた史蓮の、まるで祖父のように彼女に接してくれた人物を頭目の全洪は彼女に殺させたのだ。

そして、それが、史蓮の初めての任務であった。

「……おじいちゃん…っ…」


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