どこまでも最低な俺とまさかの展開
小一時間後、顔色がずいぶんよくなった菊川さんが目を覚まし、大事を取って早退することになった。店先に祖父母が迎えに来てくれているらしい。俺が店先まで送ると、彼女は小さく、ありがとうと微笑んだ。
「あの」
声をかけたはいいが、その先は何を言ったらいいか分からなかった。彼女の気持ちに応えることも応えないことも出来ずに、俺は一体何を言うつもりなんだろう。
立っているしかない俺に、彼女はまたね、と呟いて去っていった。もう一度呼び戻すことは、しなかった。俺は最低の意気地なしだ。こんなでかい図体して。
俺がゆっくりと自身に絶望していっていると、店長に挨拶をしていたらしいご老人が、こちらに向かって会釈してきた。きっと菊川さんの保護者だろう。
「すいません、孫がご迷惑を」
「いえ、俺は何も」
そうかこの人が彼女を孫だと勘違いしてる-
「あなたはあの子と親しいんですかな?」
「まぁ…悪くはないです」
「…あの子は、このまま、私たちが愛していても問題ないんでしょうかね」
「え?」
「あなたー。タクシーの運転手さんが待ちくたびれてしまいますよ」
「お…おうおう。今行く」
先ほどまでしゃきしゃきしゃべっていたはずの彼は、急に老人めいたしゃべり方になり、タクシーへ乗り込んでいった。一瞬菊川さんと目が合うと、彼女は笑ってくれていた。俺はといえば、目を反らしてしまった。
世の中には、色んな愛の形がある。それを否定も肯定もする気もない。ぼけたふりをして彼女を可愛がる彼らの愛を美しいと、生意気にも思うくらいだから。
ではここで問題だ。俺のは一体何だ。俺はどうしたら正解だった。世の中のこういうことに秀でた男、もてもて男、もうこうなったらギャルゲーの主人公でもいい。俺を殴ってでもいいから教えてくれ。こういうときはどう言ったら、どんな態度を取ったら正解だったんだ。
「あ…ヤナ、みっけ!やーな!」
少なくても、これは絶対に間違いだ。選択ミス、バッドエンド決定だ。どうして俺が、すがるように向日葵を抱きしめなければいけないんだ。
その夜、向日葵は、俺に何も言わず、何も聞かず、ただじっと側にいてくれた。夜は頼んでもないのに布団の中に入り、俺を抱き寄せた。覆い隠すように。俺も俺で、向日葵の腕の中で朝まで熟睡してしまった。
夢を見た。昔、何かの番組で聞いた話だ。花は、人間の陰気を吸って枯れてくれるのだという。
汗ばんだのは決して夏だけのせいではないだろう、俺は飛び起きるように目を覚ました。同時に、すごい勢いで鼻を蹴られた。
「いって!!」
だからどうしてこいつは花のくせにこんなに寝相が悪いんだ-俺は鼻をこすりながら、目の前の向日葵を見て、笑って、そしてまた暗くなっていった。
向日葵がいてよかったと思ってしまった。もう一人でいた頃のことを忘れてしまった。落ち込んで帰ってきたとき、どうやって消化していたか思い出せない。
向日葵が俺を大学まで送ると言い出したため、俺は無言でそのわがままを許した。甘えてるのはさて、どっちの方だろう。手を繋いで歩いていると、向こうからめざとく真緖が見つけてきた。こいつはどうして俺のこういう恥ずかしい場面をいつも目撃するんだ。
「かぁー…朝から美少女と手を繋いで登校とはうらやましいねぇ。ヤナ、幸せか?幸せだって叫んだら、焼きそばパンを奢らせてやるのを免除してやろう」
「ちょっと待て、どうして奢る話になってるんだ」
「そりゃお前、朝からこんな可愛い子を連れ回してることを黙ってやる対価だ。向日葵ちゃん、ヤナに変なことされてないかぁ?恐いことされそうになったらすぐ電話しろ、俺の電話は110番だ!すぐに国家権力が駆けつけるぞ」
「おお、すごい!」
「こら、こいつに妙なこと教えるな。俺が逆に通報されるわ」
そういえば、こいつは俺よりずっと恋愛経験が豊富だ。付き合ったり別れたり繰り返してるし、本当かどうか知らんが不倫経験もあるらしい。かといって今までのもろもろを相談するには気が引けた。男が男に恋の相談するなんて寒すぎる。女子同士はどうしてああも楽しそうに恥ずかしげもなく出来るのか、是非お聞きしたい。
かといって樫田に言ったら、また要らん話が始まるだろう。よし友達100人作ろう、と俺は大学生にもなって小学生のような目標を立てた。100人も作れば、まともな奴が何人かはいるだろう。
「お、女子高生が登校してるぜ…よしヤナ、ナンパしてこい!そして俺にくれ!」
「馬鹿、お前が行って」
あ。
「あー!!!」
「お、な、なんだヤナ、敵襲か!?」
「すまん真緖、こいつをとりあえず大学まで連れてって樫田あたりにでも預けといてくれ!コロッケパンでも焼きそばパンでも奢ってやる!」
「ヤナ!?」
「おい、どこに行くんだよ!」
女子高生で思い出した、今の今まで忘れていた。精神的に落ち着かなかったとはいえ、俺は本当に最低最悪だ。どこまで落ちぶれればいいんだ、この世界に勇者がいたらまず真っ先に殺されるだろう。
先日見知らぬ女子高生にいきなり渡された手紙には、こう書かれていた。
―×日、○○駅にてお待ちしております。
それはまさに本日だ。指定された時間から一時間以上経ってしまった、この炎天下の下、待っている保証はなかったが、俺は絶対に待っている自信があった。待たせたお詫びにコンビニで美味しい水ペットボトルを買い、とにかく急いだ。
汗ばみながらなんとか駅までたどり着くと、目の前に女子高生が立っていて、俺に向かって微笑んだ。この前は暗くてよく分からなかったが、正直に言おう。可愛い。
「…あ、あの…おっ!おはようございます」
「おはようございます…すいません、遅くなって」
「いえそんな…えっと、来てくれて…ありがとうございます!」
こんなに可愛い子が俺をこんな炎天下で待っていて、更に何か用事があるようだ。この表情、この態度、間違いなく告白だ。ここから導かれる答えは一つ、目の前にいる彼女は仮の姿だということだ。
「これよかったら」
「え?」
俺が水を差し出すと、彼女は意表を突かれたようで、首をかしげ、俺も思わず真似た。なぜだ、なぜ飲まない。美味そうにも見ない。もしかして水を摂取しなくていい花があるんだろうか、なんて考えたところで、俺の花知識なんて、水さえあげれば何とかなる、そんなレベルだ。
「あの…ありがとうございます」
彼女はお礼を言い、一口飲んで、美味しいです、と笑ってみせたが、なんだか欲しくもないのに無理に飲んだようだった。さて彼女は一体何の花なんだろう、俺が注意深く彼女を見ていると、彼女は真っ赤になりながら、ペットボトルを大事にカバンにしまい、そして俺を強いまなざしで見つめた。
「す…好きになってしまいました!お友達でもいいので…お願いします!」
一瞬の間の後。
「ひゃああああああ!言っちゃった!言っちゃった!!」
彼女は先ほどよりもっと真っ赤になり、頭を抱えてへたりこんだ。俺もつられて赤くなりそうになったが、いやいや、と首を横に振った。流されてどうする、昨日の反省をもう忘れたか。
「それで…あなたは何の花なんですか?」
彼女は俺の方を、なんともいえない表情で見つめていた。ばれて焦っている様子も、驚いている様子もなく、ただじっと俺を見ている。俺も彼女を見返した。
今時黒髪の女子高生、俺の少ない知識の中で、当然黒い花など浮かんでくるわけがなかった。向日葵はそのまんまだが、菊川さんなんて白髪だし、あれ白い菊あったっけ。樫田は花のくせに絶対髪染めてやがるし、美貴さんは-そういえばあの人何の花なんだ。
結論。見た目じゃ分からん。俺がもう一度同じ質問を目ですると、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「か、からかわないで下さい」
「は?」
「花なんて…そんな…褒め、あの、困ります…っ」
「え?」
ちょっと待て。待て待て待て。
真っ赤になっていく顔。全く水を飲まない様子。花だと認めない。俺はまさかの予感に、嫌な汗がどっと額から吹き出た。
「…大変失礼ですが」
「え?」
「もしかして、人間ですか?」
「…っ、う、うわああああああん!」
「わぁ泣いた!そりゃ泣くよ!す、すいません!マジですいません!!」
多感な女子高生に、トラウマものの傷を作ってしまった。まさか日常的に人に化けた花に生活を狂わせられています、なんて言えなかったため、とにかく謝り倒すしかなかった。とりあえず俺が買ってきたジュースを差し出すと、彼女はしゃくり上げながら一気に飲んだ。
まだどこか信じられない俺は、花が絶対駄目そうな、どう見ても体に悪そうなメロンソーダを買ってきたが、彼女は飲む時も飲んだ後も平気そうだった。参った、本当に人間様らしい。
困った。本当に困った。花にでさえ困っているのに、人間なんて、いきなりレベルが高すぎる。レベル1でひのき棒とお鍋の蓋で、魔王を倒せと迫られている気分だ。
俺と目が合うと、彼女は真っ赤な顔で目を反らした。そう照れるな、つられるから。俺は必死で会話を探した。
「えと…はじめまして、かな」
敬語はやめてくれと頼まれたので、いきなり砕けた口調で話し始めたら余計照れた。しかし彼女は笑ってくれた。
「やっぱり覚えてないんですね」
「え?」
「覚えてませんか?痴漢から助けてくれたこと」
「…っ、ああ!」
俺は本当に漫画のように、手を叩いて思い出した。
―数日前。
いきなり電車デートをしたいとわけの分からんおねだりをしてきた向日葵と、ほぼ強制的に俺は電車に乗った。その日はどこかでイベントがあった帰りだったらしく、平日夕方にしてはものすごく混んでいた。何かを期待している向日葵をはいはいと軽く抱きしめ、俺は奥へ奥へ押し込んだ。こんなとんでも花でも、一応可愛いのだ。痴漢が狙って泣かれでもしたらたまらない。
胸元の向日葵をちらりと見ると、彼女はしたり顔で笑っていた。混んでなければ怒鳴っていたところだ。こいつ、絶対分かっていたな。
こいつの今日の水には塩を入れてやろうか、俺がとても大学生とは思えない仕返しの案を練っていると、ふと向日葵が俺の服を引っ張ってきた。なんだよ、俺が目線で睨み付けると、向日葵が何かを指さしていた。俺がその指先を追うと、目を疑った。息づかいが荒いオヤジが、女子高生の腰元を撫でていた。
おいおい痴漢なんて本当にいるんだな-俺が呆けて見入っていると、向日葵は更に俺の服を引っ張った。俺はため息一つ、混み合う電車の中でどうにかオヤジまで近づき、彼の手を強く引いた。俺の身長と目つきに驚いたのか、彼は逃げるように次の駅で降りてしまい、そして俺はといえば、向日葵に手を引っ張られ、また引っ込んだのだ。
以上、俺の情けないなんちゃって正義のストーリーだ。
「もしかして…えっと、水曜日の」
「そう、そうです。よかった、覚えててくれて。たまたま、私の友達も同じ電車に乗ってて、あなたの姿を見てて。知り合いを頼ってるうちに、思ったよりあっさり見つけられたんです。ごめんなさい…ストーカーみたい。気持ち悪いですよね」
「ああ、いや」
むしろその行動力には尊敬さえ覚えるが、ただ一つ残念なのは、相手が俺だったということだ。さっきからずっと、上手い逃げ文句を探してる、情けない俺。
「それで…あの…よかったら…連絡先とか」
「…え、と」
「…っ、あ、あの!本当に!友達で、友達でいいので!あの迷惑なの本当に分かってるんですけど…」
「この…嘘つきめ!!」
現れたのは向日葵で、俺は倒れてしまいたかった。どうしてここにいるんだ、つうか話を聞いていたのか、だとしたらいつからだ、ていうか真緖はどうしたおい-
色々言いたいことはあったがもう俺はうなだれるしかなかった。向日葵は怒りで顔を赤くさせ、つかつかと彼女に歩み寄った。
「ヤナのこと本当に好きなのか!?」
「え!?」
「おい、止めろ向日葵!」
「だったらどうして友達でいいなんて言うんだ!好きなら友達でいいわけないだろう!友達でいいっていうなら、それは恋じゃない!告白なんてするな!」
「お前!」
いい加減にしろ、怒鳴ろうとしたが止まってしまった。彼女は泣いていた。かと思えば、思い切り向日葵に頭突いた。驚いている俺の前で、向日葵はもっと驚いていた。
「分かってまっ…分かってる!本気だもん!本気だけど…いきなり恋人なんて重いから、嘘ついただけ!」
「だったら最初からそう言え!言っとくが、ヤナは渡さないぞ!」
「私だって譲らない!」
「ヤナが好きだ!」
「私もよ!」
男の夢代表、美少女が自分を奪い合う。そんな夢のような状況下で、俺は赤くなるどころか青くなる一方だった。
誰か穴を掘ってくれ。俺はそこへ落ちるから。Bダッシュで。