張り切る花 相変わらず情けない俺
突然だがギャルゲーのヒロインたちは、比較的ドジっ子が多い。階段から落ちてうっかりキスをしてしまったり、ぶつかった拍子に見えたスカートの中身がチラ見せどころかモロ見せだったり、料理に砂糖と塩を間違えたり。
しかし実際問題としてこれらのことが起こったらたまったものではない。階段から女子が落ちてきたらキスになる前にどう考えても歯が割れるだろうし、スカートの中身がもろチラだった暁にはどう考えてもこっちに罪がない状態でも100%警察に連れていかれるだろうし、料理で失敗する人間というのは砂糖と塩を間違えるなんてそんなレベルで終わらない。
世界中の『ちょっと料理下手な彼女』を持つ男を全員敵に回してでも言いたい。俺は失敗した料理なんぞ絶対食わん。不味い手料理を食うくらいならインスタントで十分だ。最近のインスタントを舐めるな、料亭のお墨付きまであるぞ。
「今日はね、ヤナの為に料理作ったの…ひまちゃんだと思って美味しく食べてね!」
「わー」
俺はつい最近までそんな決意を固くしていたのだが、実際目の前に並べられてみると気が引ける。男というものは基本的に気が小さい生き物で、可愛い女の子が目を潤ませながらお皿を並べてくれて、くれるかこんなもんとちゃぶ台をひっくり返せるような猛者は全人口の一握りではないだろうか。ここ最近の男子の草食化で、その人口はもっと少なくなっているかもしれない。
つまり言いたいことは、俺はこの料理を拒否できそうにないということだ。今日も今日とて学習能力が高すぎる俺の部屋の花は、今度はどこのゲームで覚えてきたのか知らないが、まあ台詞は置いておいて、問題はこの料理だ。これは絶対砂糖と塩を間違えたなどというようなレベルではない。何せ色が紫だ。料理名は、というかそもそも原料は何だ。
正直に言おう。死んでも食いたくない。が、目の前の期待している向日葵に怒鳴って立ち上がれるほど俺は気が強くない。俺は神に祈り、せーのっと口の中に一口放りこんだ。
「…あれ」
美味い。
「美味いよ!?」
「本当か!?」
はしゃぐ向日葵に、俺も思わず笑顔で頷き返したが、何だか恥ずかしくなり、思わず目線を反らした。
「いやまあ…まあまあだな。これどうやって作ったんだ」
「忘れた!」
「よし、そのまま思い出すな!」
ほら、やっぱり腹を下した。
朝からずっと教室とトイレを行き来する俺を、樫田が少し同情気味に見ていた。そして何度目か分からない凱旋を果たした俺に、樫田がこそっとあるものを渡してきた。胃薬か何かだと思ったが、とんでもない、コンドウさん-一般的に避妊具と言われる物だ。女子が朝っぱらからこんなものを持つなよ、と俺の視線の訴えに、樫田はなぜか嫌に笑っていた。
「大丈夫、ヤナ君がネコでも私いけるよ!ちっちゃい子×大きい子の需要もあるよ!」
「頼むから俺の分かる言葉で話せ」
何の誤解をしているか知らないが、なんだか馬鹿にされているような気がして、俺は秘密兵器をハンカチから出した。新鮮な土である。それをさらさらと机の上に軽くふりかけてやると、樫田は分かりやすく体をびくつかせた。
「どうした、ほら食えよ。犬のように」
「そ、そんなもん食べるわけないんだからね!」
「おい、ヨダレ、ヨダレ」
何となくそのままの流れで樫田と供に昼食を食べていると、遠くから真緖がやってきた。俺と目が合うなり、なぜか親指を立て、満足そうに遠のいた。どうしてみんな、本人を置いてけぼりにして訳の分からないことで盛り上がれるのか本当に不思議だ。
樫田の昼食をなんとなく見ると、ベジタリアンのように、草や果物ばかりだった。なるほど、かろうじてダイエット食と見えなくもない。しかし色とりどりの果物よりも、ペットボトルの水を一番美味そうに飲んでいる。
「なんでばれたかなぁ」
「うちのが気づいたんだよ」
「あーなるほど…あの子、やっぱりそうかい」
しかしどいつもこいつも否定しないな、いいけど別に。俺が焼きそばパンにかじりついていると、樫田は何かをじっと考え込んでいた。何を考えているのか、何となく聞きたくない。
「なあ、何か同士で共鳴する何かがあるのか?」
「あー、ほらあれだよ。オタクはオタクに分かるでしょう?ほら本屋で腐った店員を見つけられるのと同じ理屈で」
「すまん、その例えは分からん」
バイトが残業になったらいいのに、何て思ったのは始めてのことかもしれない。今日出かける前に、向日葵がとびきり笑顔でこう言ったのだった。
『今日、夕飯作って待ってるからな!』
先日俺が手料理を褒めたのが気に入ったのだろう、その張り切りように、俺はパスと叫べなかった。正体不明だがまあ味は美味かった、しかし問題はあの腹の下しだ。そんなに毎日腹をこわしたい物好きはいない。少なくても俺は違う。
俺がため息混じりに皿を磨いていると、後ろから『菊』がやってきた。彼女の名札には、菊川と記されてあった。なるほど、そう落ち着いたか。
「どうしたのヤナ君。ぼーっとして」
「…いや、それが。向日葵が手料理に目覚めちゃって」
「まあ」
そう呟いて、菊川さんは俺の隣で皿磨きを手伝い始めてくれた。
「同情するわ。花と人間じゃ味覚が違うもの。もし口に合ったとしても、人間に耐えられる産物とは思えないからね」
「あんたはエスパーですか…にしても、何で突然料理なんて」
俺が軽く頭を抱えていると、菊川さんは、あ、と呟いて人差し指を立てた。
「昨日、深夜にテレビで、料理できる女は結婚率が上がるって」
「それだ!!」
寄り道する金もなければ、真緖ん家に泊まって回避する勇気も俺にはない。バイトが終わって比較的まっすぐ部屋に帰ると、玄関でピンクのエプロンを身につけた向日葵が待っていてくれていた。
「お帰りなさい。私にします?私にします?それとも」
「風呂!!」
私しか選択肢がねぇじゃねぇか、俺はぶつくさ呟きながらシャワーを浴びると、エプロンを身につけた向日葵がいそいそと夕食の準備をしてくれていた。覚悟を決めて俺が座ると、思わず料理を凝視した。
「…おお?」
今度は何色だ、なんて予想していた俺は意表を突かれた。目の前には、美味そうなカレーとこれまた美味そうなサラダが並べてあった。俺が驚いて顔を上げると、向日葵はえへへと頭をかいた。
「昨日ヤナが食べてくれた料理をおすそわけしたら、見た目が最悪だって言われちゃってな…だから今日は、見た目も美味そうになるように、一緒に作ってもらったんだ。どうだ、今日は美味そうか?」
「ああ、美味そうだ…ええと。いただきます」
「おう!」
そんな目で見つめられたら、食べにくい。が、ここまできたら食べんわけにもいかんだろう。今日は覚悟をすることもなく、俺は気楽に一口食べた。
「ぶぁっほ!!!」
我ながらコントのように吹き出した、真向かいで向日葵が涙目でびくついていたが、俺の咳き込みは止まらなかった。
「お、お前…誰と一緒に作った」
「お隣のお姉さん…」
「ああ、あの人か…」
そりゃ仕方ないな、思った俺は水を一気に飲み、そしてそういやあの人も花じゃねぇかと思った瞬間、倒れこんだ。
文字通り寝込んだ俺を、向日葵は涙目でじっと覗き込んでいた。いいと言うのに、もうずっとだ。
「ヤナ、ヤナごめんな。私のせいで」
「いやいいよ…あのなぁ、向日葵。何を見たか知らんが、俺は別に料理作って欲しいわけじゃないから。あんま無理すんな。火とか危ないだろ」
な、となるべく優しく声をかけてやると、向日葵の目は余計に目を潤ませていった。選択肢は失敗したようだ。
「けど、それじゃあ結婚が」
「今時料理出来んでも、嫁にくらい行けるだろう」
次の選択肢は、間違ってはなかったようだが、喜ばせすぎて向日葵はベッドにダイブしてきたので、俺は慌てて枕ではたき落とした。
「誰だ、美少女は料理上手いって言ってた奴…!」
「全部食ったのか、お前!」
翌朝、なぜか真緖が朝一で俺ん部屋に迎えにきて、めざとく昨日の恐怖カレーを発見した。俺たちの止める声空しく、真緖はこれでもかと口に放り込んだ。結果、素晴らしいノックアウトだった。
「お前だって食ってたじゃねぇか」
「そりゃ多分頑張って作ってくれたからな」
そして今日も今日で、俺は元気に腹を下し、さっきからずっと真緖とトイレを取り合っている。男は本当に馬鹿だと、心の底から改めて思う。
やっと胃が落ち着いた翌朝、目が覚めると向日葵がいた。すごい笑顔で、よりによってセーラー服を着ていた。
「おはよう!ヤナ」
「…ああ、おは」
俺の体から少し離れた向日葵のスカートがふいに少しめくれ、とんでもないものが見えた。胃は治ったが、今度は頭が割れるかと思った。
「頼むからパンツくらい履け!」
「う?」
そういえば以前、まだしゃべれない向日葵が俺の風呂に入ってきたことがあった。その時俺は向日葵の裸も見たし、抱きしめてしまったりもした。が、もちろん全て見たわけでもない。人間の女性と全て同じ造りなのか、探求心に似た疑問があった。しかしまさか聞くわけにもいかないし、見せてもらうなんてもってのほかだ。まず断らないだろうこいつが怖い。
そんなことを考えながら俺がなんとなく向日葵を見ていると、彼女は嬉しそうに俺の腕を組みながら隣を歩いていた。なぜかセーラー服のまま。
「おいお前、いつまでついてくるんだよ」
「今日はヤナと学校に行くんだ!真緖が、一人くらい混じっても分からないって言ってたぞ」
「なんつうこと教えてるんだあいつは…」
ま、いいけど、と俺が呟くと、喜んだ向日葵の頭から耳が生えたような気がした俺は、病院にさえ追い返されるかもしれない。
やってきた向日葵は、すぐさま樫田に歓迎された。彼女は嬉しそうに向日葵に勉強を教え始めた。彼女を世話してもらうのはとても助かるので、任せっきりで講義を終わらせていった。
ようやく授業が全部終わって迎えに行くと、向日葵は教科書を抱いて俺の前に駆け込んできた。
「ヤナ!すごいぞ!私、賢くなったぞ!」
「ほお、じゃあ何か賢いこと言ってみろ」
「知ってたか、サンタは本っ当にいるんだぞ!」
「…樫田さん」
俺が死にそうな顔で彼女を見ると、彼女もまた似たような顔で首を横に振っていた。
「駄目だ…算数もままならなかったよ。もうこのままお馬鹿美少女キャラとして売りだそう」
「どこにだよ」
すっかり樫田と仲良くなった向日葵は、何やら部屋に二人して閉じこもってしまった。嫌な予感しかしなかったが俺が待っていると、扉の向こうから呼ぶ声がした。
俺が嫌々扉を開けると、そのまま閉めて逃げだそうかと思った。恐らく全て樫田の趣味だろう、向日葵はどう見てもギリギリアウトなスカートに、なぜかヒョウ柄の耳をつけていた。
「にゃああああ萌えー!!やばくない、ヤナ君!やばくなくなくない!?」
「おお、萌えてるかヤナ!」
「萌えるか馬鹿、服を着ろ!」
「やぁ!!」
俺が服を着せようとすると、向日葵は激しく拒絶した。こんなに拒絶されたのは始めてで、俺は少なからずショックを受けていた。しかし目の前の向日葵は、本当に今にも泣いてしまいそうだった。
「だって…もう、どうしたらいいんだ。可愛い服着ても、料理作っても、ヤナ、全然私のこと」
「…っ!お前、いい加減に」
「お、おい!ヤナが可愛い女の子に乱暴してるぞ!」
後の言い訳が許されるのならば、俺は乱暴しようとしていたわけではない。確かに正体不明の怒りに翻弄され怒鳴ろうとしていたところだったが、俺は服を脱がしているわけではなく、服を着せようとしていた。
俺の罪は問われることはなかったが、俺は怒鳴られたかった。いっそ警察に行ってもよかったかもしれない。それぐらい頭を冷やしたかった。
俺は何を言おうとしていた。向日葵に、何を言おうとしていた?
その日、向日葵は俺の部屋に帰ってこなかった。俺はある程度予想していたし、特に驚きもしなかった。しかしバイトから帰ってきても向日葵はいなかった為、さすがに心配した。向日葵は当然携帯を持っていないし、あてもなく探し回るにはあまりにもあてがなさすぎた。今日一緒にいた樫田、真緖、美貴さん、店にまだいてくれていた菊川さんにも連絡してみたが、誰も知らなかった。もうあてもない。
もう真っ暗だ。どこかでまた一人で真っ暗の中、突っ立ってるんじゃないかって、俺はいてもたってもいられず部屋を跳びだそうとしてが、雨が降るかも知れない曇り空に気づき、傘を取ろうと押し入れを開けた。
「…っ、はは。はははは」
『花』を見て、こんなに笑ったのは始めてだった。向日葵は『向日葵』になって、押し入れの中、そっぽを向いていたように見えた。
「どうしたら人間に戻ってくれるんだ。言っとくがキスならしないぞ」
「先に言うな馬鹿!」
俺は。俺はキスも出来ない、もっと言えば、感情を言葉に出せないことを責められ逆キレするような臆病な上最悪な男だが、花を抱きしめることくらいなら出来た。どこも折らないように、優しく、優しく。
そしてこれからもどんどん駄目になっていくだろう。この、花のせいで。