ストーカーになった俺と焦らす謎の解答
得たのが突然なら、失うのも突然だった。助けた向日葵の花が人間になって、俺を好きだと言ってくれて、流れで彼女になって、そして、当たり前だったものが当たり前のように消えていった。
というと誤解を受けそうなので先に言っておくが、『俺が好きでなくなった』宣言をした向日葵を家からたたき出したわけではないし、向日葵がまさか出ていったわけではない。あいかわらず一緒に暮らしてる。しかし、明かに前と距離感が違っていた。四畳半が広くなるか、精神面での話だ。
向日葵は『なんだかよく分からないが悪いことを言ってしまった』ような空気を永遠醸しだし、そして俺はといえばショックな自分に更にショックを抱えながら、まあ要は、お互い気まずかった。ドキドキしたりするアレではない。そんなピンク色の空気ではない。あえて色とつけるなら青色だ。暗めの。まあ、色なんてどうでもいい。
向日葵が俺を好きではなくなった宣言をして早3日、俺はといえば、ストーカーになりはてていた。
続く。
いやいや、続かねえよ。俺は慌てて首を自分で横にぶんぶん振り、そして、目の前の向日葵を確認した。始めに言っておくが、家からずっと着けてていたわけではない。こんなことあえて言うと更に疑われそうだが、それは断じてない。買い物から帰る途中、どこかに出かけている向日葵を発見したのだ。何が驚いたって、声をかけられなかた挙げ句に、こそこそついていった自分に驚いた。女々しくて女々しくて涙が出る。これじゃあ、俺、ほんとにストーカーじゃねえか。そうだ、いつまでも気まずいわけじゃない。今日だって全然大丈夫だったじゃねえか-…
「ヤナ、おはよう!」
「お、おう、おはよう」
今朝。向日葵はにこにこ笑ってこそいるが、その目の奥の光が前と少し違うことくらい、鈍い俺でも分かっていた。いや、もうマイナス思考寄りの思い込みも入ってるかもしれないが。
「ヤナ、ちょっとお願いがあるんだ」
「何だよ」
「キスをしてみようと思う」
「ストップ、向日葵さん」
またこいつは突拍子もないことを-焦る俺の向かいで、向日葵は照れるどころか、どちらかというと戦地に向かう兵士のような顔をしていた。頼むから、もう少し俺を傷つけない方法を学ぼう。俺の唇はそんなにハードル高いか。
「何でまた、そうなったんだ」
「初心に帰ってみようと思って!ヤナとキスしたら、また、あの頃みたいに、ヤナと一緒にいると、こう、きらきらしてくるかなって」
言うまでもないが、俺はこのとき既に泣きそうだった。実際泣いていても不思議ではない。こいつの頭の中には最高に頭おかしい絶対神みたいのがいて、俺を好きでい続けなさいビームでも出しているのだろうか。なんでこうも義務感にかられてるんだ。
「そこまでして戻らなかった場合、どうするんだよ」
「え、ど、どうって?」
「好きでもない女の子にチューして、万が一お前に泣かれたら、気の小さい俺は窓から飛び降りるレベルなんだがな」
「ふおおおおおおヤナ、死んだら駄目だ!!」
良かった、まだ、死ぬのは心配されてる。て、何もよくねえよ。プラス思考になっていってるふりして、おかしい方向にいっちゃってるよ。
「で、でも…私は…ヤナとキスしたかったときの方が楽しかった…楽しかったから…」
「…今は楽しくないのか」
「?うん」
「じゃあ、出て行く?」
それはまるで、飯温める?みたいなノリで聞いてしまった。向日葵は少し驚いたように大きなまんまるな目で俺を見つめ続け、そして、俺は。
「うわああああああああああ!」
「ヤナああああああああああ!!」
出てったのは、俺の方だった。
まあ、家出なんて出来る解消もない俺は、こうして買い物して帰ってくるわけだが。そして、家にいるだろうと思っていた向日葵が外にいたらほいほい尾行するわけだが。度胸があるのかないのか分かんなくなっていた。向日葵は明かに誰かを待っているようだった。
瞬間、我ながら、最悪な予感がよぎった。まさか-男。そんな馬鹿なと思いながら心臓はやかましく、変な汗が出て来た。帰ろう、帰った方がいい。ここにいても、俺にいいことなんて一つもない。
「あら、あいかわらずぶっさいくな顔ね。同じ空気吸ってると思うだけで嫌になるわ」
「おお、かすみ!元気そうだな!」
いつも耳障りな嫌味な声が、今日ばかりは天使の歌声に聞こえたような気がした。かすみーかすみか。そういえばあいつは、花たちの中でも、俺の花からのもてっぷりについて何か知ってる風だった。聞くのか、ここで、それを、聞く、のか。俺は、ここで、盗み聞きしていいのか。
「あ、あのなかすみ…ヤナとキスしたくなくなったんだけど、どういうことだ!」
(向日葵いいいいいいいいいいいい!!!)
恥ずかしいから今すぐこっちに帰ってきなさい、言えない、叫べない、悲しき盗み聞き。しかし、かなり恥ずかしい聞き方ではあるが、謎の回答には近づけるかもしれない。俺が今度こそ覚悟を持って待っていると、あきらかにかすみの目線を感じた。気づいている。俺が聞いていることに。
「…そうね。もう時間切れみたいね」
じかん。
その単語が、俺に刃物のように突き刺さった。時間、時間ってなんだ。例えば土フェロモンみたいなものがあったとして、それは期間限定だったのか。魔法みたいに解けたのか。
「かすみは、かすみはどうだ?ヤナのこと好きか?」
「わっ、私は最初から好きじゃないわよ、あんなデカ物!」
「おお、まだ好きみたいだな!」
向日葵、謎究明にはありがたいが、少し言葉選ぼうか。そして俺は俺としてちょっとほっとしてるんじゃねえよ。
よし、顔もう赤くない。気をとりなおして-…時間か。なんだろう。一番長くいるのは向日葵だ。じゃあ、向日葵から魔法が解けていくのか?順々に?じゃあ、次もし解けるとしたら-…菊川さんか?
ん。
あれ、ちょっと待て。一番付き合いが長いのって樫田じゃないか?真緖のやつが、樫田が俺に気があるってのは前から知ってたみたいだったし…じゃあ樫田はとっくに…でもクッキー持って来てくれたの、つい最近だよな。
分からん、ギブです、かすみ様。もう開き直った盗み聞きの俺は、とうとう壁から身を乗り出した。アホな向日葵は気づいてないが、かすみは明かに鬱陶しそうだった。構わん、どうせ嫌われるなら今、嫌え。
「かすみは?かすみはヤナにキスしたくなるか?」
「…っ、し、しししししたいわけないでしょう!止めてよ、こんなところで!」
「え、人気のないところを選んだつもりなんだが」
「ありまくりよ!早くどっか行ってよ!」
はい消えます、すいませんでした!!
しかし、あいつやっぱり根は良い奴だよな。俺が隠れてることを向日葵に言わなかった。ずず、と、缶コーラを飲み干し、ちょっと落ち着いて、空を仰いだ。結局謎は解けたんだが、解けてないんだが、まあともあれ、金輪際向日葵が俺をもう好きになることはないだろうなと思ったら。目がコーラにしみた。
さて、どんな顔して向日葵を迎えよう。俺がふらふら家に帰ると、自分の家なのに悲鳴を揚げそうになった。ぼろぼろに泣いた向日葵が先に帰っていた。
「ど、どうしたんだよ」
「ヤナあああああああ」
「あー、もう」
ティッシュをやり、水をやり、甲斐甲斐しく世話をする俺。抱きついてこないからまさか抱きしめない。頭くらいは撫でていいのか、ああもう、行動一つ一つに気を使うな。
「なんだ、かすみと喧嘩したのか」
やばい、名前出した。また汗が拭きだした俺の向かいで、向日葵はしゃくりあげながら顔を横に振った。疑いゼロ、アホの子で助かった。
「わ、私は、ヤナに酷いことを」
「………は?」
「あんなに好きだ好きだ、キスしろキスしろ言ってたのに、その気持ちはどっかに消えちゃうし、なのに、なのに、私、まだ、ここにいたいって思うし、ヤナは命の恩人だし、でも、もう、好きって思わないし、だから、あの、その」
「落ち着け、向日葵」
あれ。
こいつ抱きしめるのってこんな緊張したっけ。こいつ、こんなに体温高かったけ。いや、違うな、発火してるのは俺だ。
「…ヤナ?」
「話し終わるまで、我慢してろ。向日葵、俺はもう、十分お前に恩は返してもらったよ。楽しかった、本当に楽しかったよ。だから、もう、そんなわけの分からん義務感はいいから」
「じゃあヤナと結婚する!」
「話聞いてたか、お前!」
「だ、だって、結婚は思い込みだって!気持ちより慣れだって!ヤナと一緒にいたいんだ!だから籍を入れれば」
「だから、そんな恩なんてもうどうでも」
「違う!ヤナと一緒にいたいんだ!それは、それだけはずっと変わらないんだ!!」
偉い人は言いました。愛というものが消えたとしても、情は消えないと。むしろ積み重なっていくものだと。そうして家族は出来上がっていくのだと。
「…おまえ、ほんと、もう」
「…ヤナ?」
花のくせに、こんなどうしようもない男に、情抱えてどうるんだ。もうそれでもいいなんて俺に思わせて、ほんと、どうしてくれるんだ。
ばん!!
「ヤナくーん、おっはろーん!なあなあ、あのハゲの講義のノート取って」
沈黙。
「ご、ごめんなさい!!」
ばん!!
出て行った。真緖が、来た、うん、真緖が来たな。何を焦っていたんだ。何を見たんだ。つうかそもそも、俺たち何をしてたっけ。
「飯にするか」
「う、うん」
それから、何事もなかったかのように、俺はバイトに行くことにした。話し合いは延期した。いつ再開するかは分からん。全く、俺はどこまで情けないんだ。要するに、向日葵がいなくなったら俺が寂しいだけじゃないか。
「じゃあ、バイトだから」
「う、うん。いってらっしゃい」
扉を閉め、息を吐く。何だろう、寂しいくせに、1人になると、ほっとしたりする自分もいる。どこまでもどうしようもない男だな、俺は。それにしても-向日葵、何か変じゃなかったか?顔が赤かったような-
まあ気のせいだろう、今はともかくバイトだ。
バイト、といえば。また俺が緊張モードに入らなくてはならない人がいるのを思い出した。菊川さんだ。かすみの話が本当なら、俺の考えが正しければ、とりあえず樫田のことは置いといて、菊川さんは、俺にどんな顔して-
「あら、ヤナ君。こんばんは」
「ああ、こんばんは。お疲れ様です」
どんな、顔、して。
どんな顔してるんだ!目ぇ合わせろよ俺!何をでかいナリを一生懸命縮こませて顔見えないようにしてるんだよ!顔上げろよ!あれ上がらない!おかしいな、俺の体内、操縦士でも住み着いたかな!?
「…ヤナ君、どうしたの?」
「いやあ、今日もいいお天気ですね!」
「もう夜だけれど…体が痛いの?」
「新しい健康法です、お気になさらず」
「そう…ほんとにどうしちゃったの?何だか、かっこよくなくなったように見える」
するり、と、ほどけるような言葉の後に。
「………でも、あいかわらず刺したい」
「要らんもん残っちゃったよ!!」
でも、そうか。殺意は残ってくれてるんだ。すげえな俺、これでほっとするんだ。新生のマゾじゃないのか。いやもういっそマゾにすら失礼に思えてきた。
「そう…向日葵ちゃんが…かすみちゃんもそんなことを」
「そう、そうなんですよ」
かなり迷った、嘘、全然迷ってなかった。もう俺はお手上げだった。今の向日葵との状況も、かすみの言葉も、洗いざらい菊川さんに話してしまった。話し終わってようやく菊川さんの顔を見たら、やっぱりというか何というか、この人は今日も最高に綺麗だった。
「…そうね。私もヤナ君に轢かれたのは偶然に思えないのは確か。私、そんなに一目惚れとかしないのよ。そもそも好きになりづらいかも。ソラ君のときだって、気づくのどれだけかかったか…ううん、違うわ、自分に鈍いだけなのね…でも。ヤナ君は。神様に導かれたみたいに、思ったの。この人が好きだって。この人を刺しちゃいたいって」
最後の台詞さえなければ赤面ものだったが、ところどころ既に過去形になっていたので、俺の心臓を抉るには十分だった。もう精神的に刺しまくってます、菊川さん。
「向日葵ちゃんとは別れないの?」
「別れるというか…そもそも付き合うたって、ままごとみたいなもんだったし、あいつは俺に恋人通り越して家族愛みたいなの抱いちゃって…俺は俺で…まあ、あいつがいなくなったら静かになるなあ、くらい…」
「…じゃあ。私に殺されてくれる?」
「いや、何でそうなるんすか!?」
「冗談」
笑った。笑って、くれた。
本当に、少しの間だけでも、どんだけすごかったんだ俺の土フェロモン(仮)は。こんなに綺麗な人に恋してもらってたなんて、それこそ、それ事態が魔法だったのに。