勇気を出してくれた花とほんの少しの勇気も持てない俺
♪ある日
「おお、菖蒲!偶然だな!聞いてくれ!」
「あ、向日葵さん、こんにちは」
♪町中で
「どうしたんですか?」
「私、ヤナと付き合うことになったぞ!!」
♪俺が 公開死刑♪
悲しすぎる森のくまさんの替え歌を歌っている場合ではなかった。俺は顔を両手で覆い、まるで今さっき彼氏にふられてしまった女の子のように伏せっていた。そうしてみたところで、俺は男だし、あと今更だが背はでかいし、あとついでに言えば、可愛い可愛い人生初の彼女が出来たのに。
どうして、こんな絶望的な気持ちにならないといけないんだ。楽しそうなのは向日葵ばかり、それこそ頭から花が生えてるようなテンションで、うきうきと道でばったり会った菖蒲ちゃんに自慢してくれていた。
いつまでも女々しい真似をしているわけにもいかず、俺が覚悟を決めて彼女を見ると、菖蒲ちゃんは笑ってこそいたが、固まっていた。本当に見事なまでに固まっていた。このまま石像になれるのではないかと思うくらい。
恐らくおつかいの途中だったんだろう、買い物袋からものを落とす落とす、嬉々として自慢を続ける向日葵が拾っているが、拾っている先から、また落ちていっていた。見かねて俺が拾っていると、また向日葵は誰かを見つけたらしく、自慢するべく鉄砲玉のように飛び出していった。俺にはもう、追いかける元気もなかった。
「菖蒲ちゃん」
かなり迷ったが話しかけてみると、彼女ははっと石化を解いた。泣かれるかと我ながら嫌になるくらい自惚れたが、彼女はしっかりと強い目でこちらを見ていた。
「ええと…お、おめでとうございます」
「あー、うん、ありとう。でも、多分、すぐ止めると思う」
「そうですか、え!?」
菖蒲ちゃんが驚くが、俺は気にせずしゃべり続けた。しゃべり続けることで、動揺する自分を押さえつけようとどこかで思っていたかもしれない。
「別に何かこう、恋だの愛だのそういうのじゃなくて、ちょっとしたきっかけで、まあ俺が馬鹿だったんだけど、付き合え付き合えってしつこくて。まあ、肩書きだけでも付き合うってなったら、そのうち向日葵も飽きるかなと」
「ヤナさんヤナさん!何だかすごい悪い男に聞こえますよ!」
「いや俺だって付き合いたいわけじゃないけど、向日葵がほんっとに」
「しつこくて付き合うなら、私にしてほしかったです!」
俺は、誤解をしてほしくなかっただけだったかもしれない。
「でも…そんな気持ちで付き合ってもらっても、怒りましたけど!」
そうして走っていってしまう菖蒲ちゃんを、俺は追いかけることもしなかった。
いい年こして、女子高生を泣かせてしまった。もうやだ人間止めたい。まさか花になりたいなんて贅沢言わん、草になりたい。草になって牛に反芻されるんだ。
「ヤナ-」
「今度は何だよ」
「彼氏って、好きなもの何でも買ってくれるって本当か!?」
「よし別れる!」
「ヤナぁ!!!!!!!!」
こいつは俺が別れるって繰り返しても絶対に傷つかない。それだけは何か知らんが妙に自信がある。いやもう例え泣かれてももう知らん、俺はどこまでも最低の最高地点を探し続けてやろうじゃないか。
そんな空しすぎる高いんだか低いんだかよく分からない目標を立てたはいいが。俺は生存問題に関わる重大なことを、頭の中からすこんと飛ばしていた。
「ヤナ君…少し、ぽっちゃりしたんじゃない?幸せ太りかしら」
「いや、痩せました!心労で!!」
最終兵器・菊川様の存在をすっかり忘れていた。妙なところで勘が良いことに加えて、何もないうちから疑り深いこの人が、俺と向日葵の肩書きだけの変化に気づいてないわけがない。さっきから恐すぎて、俺は菊川さんの顔どころか髪も見れないでいる。だから何で俺はこの人といつも皿洗ってんだよ。
「え、えーと…まあ、罰ゲームみたいなもんで、ちょっと、まあ、冗談の延長みたいな感じで、彼氏とか向日葵が言いふらしてますけど、あいつもそのうち飽きると思うんで」
取調室で警察に追い詰められているというのはこういう気分だろうか。あることないこと無駄に吐いてしまいそうだ。恐すぎる。汗が止まらん。さっきから俺は何枚皿を滑らせてるんだよ。意地でも割らんけど。だから、俺はいつも、何でこの人と皿洗ってんだよ!
「そう…それでお弁当…ハートの…」
「ああ、あれハートだったんですか、ははは、形が悪すぎて日の丸弁当かと」
「美味しい?向日葵ちゃんの料理」
「ロシアンルーレット状態です」
「まあ」
そして、この人は、いつまで、同じ包丁を洗ったり磨いたりしてるんでしょう。
「ヤナ君…包丁入れが見あたらないから、あなたにしまっていいかしら?」
「すいません、腹痛いんで早退します!!」
死ぬかと思った。本気で。まあ、まさかあの人も本気で刺さないと思うが。思いたい、の方が近いかもしれないが。
「向日葵、お前、言いふらしまくるの止めろよ」
「何で」
「何でじゃないだろ、俺の苦労もちったあ考えろ。こういうのは、あんまりべらべらしゃべらないもんなんだよ」
「でも私は自慢しまくりたいぞ!」
「…止めるぞ」
「えええ!?」
付き合う付き合わない騒動以来、ずっとこの調子だ。向日葵がちょっとでも調子に乗りだしたら、こうやって脅す。少々、いやかなり汚いが、効くもんだから止められない。気分は仮の彼氏というより、幼い聞き分けのない娘がいる父親だ。
「なあ、向日葵。もういいだろ、お前でもいい加減分かっただろ。何が違うんだよ。何も変わらないだろ、彼氏になっても。俺はお前と一緒に住んでるし、お前が大事だってオーラ出してるつもりだ」
最後の台詞はかなり恥ずかしかった上に言いたくなかったが、これは俺なりの隠し球だった。これで向日葵がうなずいてくれなきゃ、俺はただの馬鹿だ。
見つめ合いというよりはにらみ合いにも似た時間が続いた中、向日葵がいきなり覚悟を決めたように顔を上げた。
「でも、恋人同士じゃないと、しちゃ駄目だって美貴さんが言ってた」
「何を」
「…す」
「え、何だよ」
「…っ、えっち!!な、こと!」
倒れるかと。倒れるかと。よく倒れなかったな、俺!!
「…したいんですか」
「し、したいです」
赤くなるな。赤くなるな。冷静に話し合え。
「欲情するのか、花なのに」
「花は乱交の代表だぞ!」
「お前、花に謝れよ」
よし、ちょっと萎えた。いくら童貞とはいえ、簡単に燃えすぎだ。中学生か。
「欲情…とかは、よく分かんない。けど、ヤナと、もっと、近くになりたい。好きとか、大事だけじゃ、不安だ。私は人間になりきれないから、余計」
体の中の、タイムリミットが聞こえた気がした。
「私とそういうことするのは、気持ち悪いか?駄目そうか?」
それは嫌になるくらい早足で限界を刻み、俺は気がつけば、向日葵を床にたたきつけるように押し倒した。
そして、脳裏に浮かんだのは、よりによって、無理矢理女の子に迫るAV映像だった。
「ヤナ!?」
で、逃げ出すか、普通!!
そんで。すぐ戻ってくるか普通。
最低でも、何でも、いいんです。俺はこういう奴なんです。結局、あいつが五月蠅くて鬱陶しくて黙らせたくて、それから。
「うえええええ!」
「もう泣くなって、向日葵ちゃん」
「や、ヤナが、押し倒してくれたけど、何もしないで出てったぁ」
「…かける言葉もねえな」
「うええええええええ」
「よしよし」
ああ、良かった、美貴さんとこに行ったか-これじゃまるで、本当に、年頃の娘をもてあます父親だ。
「ヤナが何考えてるか全然分からん!」
「そうだな、予想も想像も出来るけど、正解かどうかは私も分からねえな。だって私もお前も、ヤナじゃないだろ。だから本人に聞け」
「でも、出てっちゃったぞ」
「そう遠く行ってないよ。案外近くにいるんじゃない?」
美貴さんの視線を扉の向こうから感じて、俺は慌てて立ち上がり、深呼吸一つ、思い切り美貴さんの部屋のチャイムを鳴らした。
「向日葵。帰るぞ」
五月蠅くて。鬱陶しくて。黙らせたくて。それから。
「向日葵」
俺は、こいつが離れるのが恐いんだ。もうずっと、変わってない。変われない。やれば変わるのか。体が繋がれば、近くなれば変わるのか。安心するのか。こいつが泣くかもしれなくても、俺を怖がっても。
こいつは何をしても、俺を好きだと笑ってくれているだろう。だから、余計恐い。その安心さが恐い。上手く言えないけど、俺は自分が思っている以上にずっと、こいつが、もうどうしようもないくらい、大事なんだと思う。
「お前が嫌いじゃないし、気持ち悪いわけでもない。だからって、お前を勢いでやりたいわけでもない」
「…うん」
「だから別に、無理して、そんな歯がちがちにさせて、俺に襲ってもらおうなんてするな」
「…っ、うん…」
こいつが馬鹿なら、俺は大馬鹿だ。男の俺が恐いくらいだ、女のこいつが恐くないわけがない。胸の中に収まるほど小さくて、泣いてばっかなのに。
おまけに下半身は情けない状態のまま、泣きたいのはこっちだ。
こんな状態でこいつ抱きしめるの二度目だな-向日葵にばれないように、ふっと笑った。本当に変わってない。ヘタレのまんま、何も変わってない。
あー恥ずかしい。向日葵抱きしめたまんま熟睡して何やってんだよ俺は。だから中学生か。中学生でももうちょっと行動起こすわ。
そして、足、重い。バイト先ってこんなに扉重かっただろうか。どうして今日に限って講義が短かったんだろうか。菊川さんシフトにいませんように、シフトにいませんように-
情けなくも祈りながら張り切って扉を開ける。挨拶と着替えと消毒の後、俺は何気なく店内を見回した。女性スタッフの中で、目立つ銀髪はいなかった。
「あー菊川さん、今日休みっすか?」
何気なく、自然に、聞けたつもりだった。我ながらかなり合格点だった。すると掃除をしていた女の子が、こちらを見てあーっと呟いた。
「辞めたみたい」
「…はい!?」
「店長泣いてたよ。本気で狙ってたみたいだから。相手にされてなかったけど。あの子目当てのお客さんもいたのにな-、惜しい人材亡くした」
辞めた。辞めた。辞めた。
俺のせい-だよな。
どうして、喜んでないんだ。どうして、寂しいような気持ちがしてしまうんだ。俺はあの人に、何も、出来ないのに。そのくせ、向日葵も失いたくないのに。
どうして、菊川さんのことが脳裏から離れなくて、随分久しぶりに皿を割ったんだ。
「…で?私の部屋に来たんかい」
「…いや、もう本当すいません、真緖がこういうときに限って連絡通じなくて」
「薔薇の姉さんとハッスルしてたりして」
「止めろ想像したくない!もう2人とも身内みたいなもんだよ、身内同士でもう勘弁してくれよ!」
「かかかかか!!」
あーあー、もう、格好いいなあ、樫田は。
こんないきなり尋ねてきて、ままごとみたいな恋愛相談ぶちまけたのをそのまま聞いてくれるし。おまけにこいつも、気持ちが変わってないままならば、こんな俺なんかのことを好意的に思ってくれてるのに。
「意外と友達いないよね、ヤナ君って」
「意外でも何でもねえよ、この目つきとこのでかさだ、我ながら愛想ないし社交的でもない。俺につきまとってくれのって真緖くらいじゃねぇか?」
「…あの…後ろの穴とか狙ったり狙われたり…」
「そんな楽しいことはしてねぇよ。ヨダレ拭けよ、お前」
何か-何も。解決してないけど。少しは、すっきりしたかも。
「菊ちゃん、どうするの」
「どうするもこうするも…このまま会えないのは落ち着かん。さっきなんて、部屋中に俺の名前を血文字で書いてる菊川さんの白昼夢を見た」
「ヤナ君、それで実は菊ちゃんが好きだったら、大変美味しいルートだよ。すごいハート占拠だよ!」
「何占拠でもいいよ…ほんと。何やってんだかなぁ」
「…ヤナ君は最低だけどさ」
あ、痛。改めて人に言われると痛。
「でも、すごく、それが普通だと思うよ。普通って何か、とか聞かれたら困るもんがあるけど。だって、好かれたら満更じゃないでしょう?毎日好意を向けられたら、自分もそうなってくるでしょう?限界越えて鬱陶しくなって、大嫌いにならない君は、ただ、優しいだけだと思うナリ。私たちの一途な愛を舐めないでくれたまえよ」
ぱきり、と音がした。
-ヤナ君
あの人の、声が聞こえる気がする。顔も綺麗だけど、声もとびきり綺麗だった。バイト先に行くと、正直ちょっと恐かったけど、それでも、あの声聞くとどっかほっとしたんだ。
包丁向けられても、睨まれても、地味にすげえ足踏まれても、あの人は、まっすぐ、まっすぐ、俺にありったけの好意を注いでくれてたんだ。
それが急に消えたら、違和感がない方がどうかしてる。
「ありがとな樫田、俺、菊川さんに会ってくるわ」
「ふりに行くのかい?」
「いや。ふられに行く」
何をしに行くのか、何を言ったらいいのか、そもそも行かない方がいいかもしれないけど、会って話がしたいんだから、そうするしかない。
何だかこれも恋みたいだと思うと、我ながら、自棄気味に笑えた。