予想通りの正体と靴と俺様彼女
多分、俺は、自分が思っている以上に、このややファンタジーな現状に慣れてしまっているんだろうと、大分後になって気づいた。真緖と美貴さんが幸せになれば笑えるな、くらいにしか思ってなかったんだ。
あのあと俺たちは家族のように雑魚寝で二度寝し、昼前に真緖から連絡が入るまで熟睡していた。諸々のお詫びも兼ねて昼飯を奢ってくれるという。俺と向日葵はどう考えてもおまけだろうが、奢ってくれるとあれば行かないわけにはいかない。美貴さんとは違い基本水しか飲めない向日葵はどうしようか迷っていると、誘いもしないうちから、嬉々として、美貴さんに服を選んでもらっていた。
「可愛い可愛い。このどっちかがいいな、どっちでも可愛いよ」
「本当か!?ヤナ、どっちがいい!?ダブルデートのお勧めコーデはこの雑誌によると」
「もう何でもいいって!早く行くぞ!」
昼まで寝ていて腹が減ったことと、焦ったことで怒鳴ってしまった。真緖が奢ってくれるなんざ100年に一回あるかないかだと思ったからだ。向日葵の顔を盗み見ると、ご機嫌で、俺の腕を勝手に組みぴょんぴょん跳ねていた。ご機嫌で結構だ。
幾分も歩かないうちに、向こうから真緖が手を振っていた。さすがにタキシードは着てこなかったが、それなりにいい服は着てきていた。俺と定食屋に行く時はまず着てこない服だ。
ふ、と美貴さんを見た。軽く、真緖に手を振り返していた。俺は彼女の顔が見たくてたまらなかったが何とか耐えた。しかし顔はニヤついていたのか、ものすごいヒールで踏まれていた。
「痛い痛い美貴さん、ハイヒールが痛いです!」
「これはピンヒールっつぅんだよ!」
「違いが分かりません!」
涙目で向日葵に助けを求めると、目をきらきらさせて美貴さんの靴を見ていた。
「格好いいなぁ、これ」
「これか?いいだろ。使ってないやついっぱいあるけど、ヒールは向日葵ちゃんのサイズに合わなかったもんなぁ。靴くらい買ってもらえよ、誰かさんに」
「俺のことだったら、絶対買いませんよ」
さてあいつは何を奢ってくれるのやら、もしフランス料理とかだったら逆に何食っていいか分かんねぇよ-
何気なく顔を上げた先には、全てがスローモーションに見えた。
青になった信号。渡ってきた真緖。よそ見をして、突っ込んでくるダンプカー。
「真緖!!」
叫ぶより早く車が電信柱に突っ込み、真緖はといえば、へたり込んでいた。かすり傷一つなさそうだ、俺は心底ほっとした。俺たちが思わず駆け寄ると、真緖は少し震えながら、笑っていた。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ…うわー、びっくりした。絶対引かれたと思ったのに」
から笑いする真緖の足元を見て、俺は言葉を失った。奴を助けたかのように伸びる薔薇のツルは、どこから伸びているのか考えるまでもなかった。俺は真緖の足元も、根の先も見れないでいると、真緖は気づいたらしく、顔を上げて、そして、絶句していた。
真緖が何を見たかを知らないが、俺の耳は、美貴さんの高いヒールが走る音が聞こえた。呆然と見送る真緖を見て、俺は声を張り上げた。
「追いかけろ!」
すると真緖は我に返ったように、走り追いかけていった。俺は、俺自身に叫びたかったもしれない。向日葵はただ、何も言わず、俺に抱きついていた。結構な騒ぎになっているが、皆は事故現場を見ている為、俺は堂々と抱き返せられた。こちらも負けないくらい、震えていたのだ。
走って行った美貴さんにも、当然向日葵にもかける言葉はなく、俺はただ。
「薔薇は似合いすぎだろ」
そう呟くしかない、それしか言えなかった俺に、向日葵は笑ってくれたのだった。
幸い、被害者は電信柱だけだった為、そこまで騒ぎにならず、俺たちも野次馬に混じり、その場を去ることが出来た。
部屋には帰る気にならず、バイトにはまだまだ時間があり、かと言って二人を追えるわけもなく、俺たちは行くあてもなく歩いていた。歩いていくうちに人通りの多い道に出た。どうもこの辺はセレクトショップやら何やら建ち並んでいるらしい。
「ねぇ、よかったらお茶しない?」
「どこ行くの?良かったら一緒に」
すげぇ。美少女って本当にナンパされるんだ。
助けにも行かず、物珍しさに傍観していた俺に、向日葵は律儀に、駆け寄ってきて、俺の腕を組む。身長と目つきの悪さだけは自信がある、名も無きナンパ男たちは去っていった。
「っだよ、でかいだけじゃねぇか…」
聞こえてる聞こえてる。気がつくと俺は、向日葵の手をしっかり握って歩き出していた。いちいち声をかけられたらたまらない。すると手を繋いでいる効果は抜群で、男から見られはするが、声をかけられなくなっていた。そして向日葵はといえば。なんだか顔を赤くさせ、もじもじしていた。
「ヤナ君の手、おおきい…温かいねっ。ちゃは☆」
「そうか、俺は薄ら寒いよ。今すぐその話し方止めないと、突き飛ばすぞ」
人混みは疲れる、いい加減に帰ろうかと思い始めたが、向日葵である。はしゃいではいるが、時折、すごく暗い顔をする。俺に見られていることに気づくと慌ててはしゃぎ始めるのが、逆に気になった。美貴さんのことが気にしているのだろう、これから何時間もしないうちにバイトに行かなくてはいけない、俺は向日葵の機嫌を取るものはないか、と考えた。
そして深く考えないうちに、あることが思い出した。
「おい、ちょっと、こっち行くぞ」
「―?うん」
もう随分前の話になるが、真緖の彼女へのプレゼント選びに付き合わされた靴屋に奇跡的にたどり着いた。思いついた時はそうでもなかったが、実際靴屋についてみると、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、俺は顔を上げられなかった。
「どれがいいんだよ」
「え?」
「早く選べよ、女の靴なんてどれがいいか分からん。言っとくけど、あんまり高いのは-」
言い終わらないうちに向日葵はこれでもかと顔を輝かせ、すごい勢いで店員めがけて走っていった。
「けけけ結婚式!結婚式用の靴を下さい!!」
「はーい」
「いや、あんたもはーいじゃない!すいません、こいつ、暑さで頭沸いてるんです!!」
店には男物の靴もあったが、周りは女の子連れやカップルが目立ち、別に誰もこちらを気にしてないだろうことは分かっている、分かっているのだが、異常に恥ずかしい。客が多いのに、店員はこんなに向日葵一人に構っていいのか、あれやこれや履かせてくれていた。
「わぁ、これ、特に可愛いですよ」
「そ!そう…か」
向日葵は一瞬喜んだが、すぐにテンションを下げた。どうしたんだろう、俺が首をかしげていると、向日葵は礼を言って、さっさと店を出ていってしまった。
「おい、いいのか?」
「うん…やっぱりキスがいいぞ!」
「だから、しねぇって」
やっぱ止めときゃよかった、と後悔した俺自身を、更に後悔させたのもまた俺だった。値札を見て、納得した。値引きはされているが、完全に予算オーバーだった。気を使われている、情けなくて倒れたかった。
俺の体内に、今まで感じたことのない感情が芽生えた。
「…向日葵」
「う?」
俺は五百円玉を握りしめ、向日葵に渡した。
「そこに漬け物屋が見えるだろ。福神漬け下さいって言ってこい。言えるか?」
「おう、言えるぞ!始めてのおつかいだな!」
向日葵は喜んで軽い足取りで買いに行った。不審がってる様子は全くなかった、俺はよし、と張り切って、靴屋へと戻った。
「ヤナ!買えたぞ!浅漬け、おまけしてくれた!」
「おお、でかした」
少し遠くにかすかに見えた漬け物屋のオヤジが、でれでれ笑っている。魂胆見え見えだが、今度から買い物はこいつに行かせた方がいいかもしれない。
さて、次は俺のはじめてだ。俺は、手持ちの袋を隠したかったが、とても隠せる大きさではなかった。帰って渡したかったが、早めに終わらせないと、俺が落ち着かん。俺が、おら、と袋を押しつけた。向日葵は不思議そうに受け取り、包みを開けてみると、大きな目をもっと大きくさせていた。
「…これ…」
見栄なんて産まれて始めて張った。悔しくて情けなくて、俺は結局、さっきの靴を買ったのだ。
「礼はいい。要らないからな。絶対言うなよ。ほら、帰るぞ」
やたら早口になり、さっさと帰っていく俺の手を、向日葵が掴んだ。
「ヤナ」
「いいから!」
「…これ…サイズが違う…」
「早く言えよ、それは!!」
結局店に戻る羽目になってしまった、店員ににこやかに見送られ、俺はもう店中の窓という窓を割ってやりたいほど恥ずかしかった。
向日葵は嬉しそうに、俺の手を握り、早速履いた靴を見ながら歩いていた。明日からの生活費は切実に心配だが、俺の心は大分救われた。現金なもんだ。
「ヤナ、私も、バイト、出来るか?」
「はぁ?」
また靴で気を使わせたのかと思ったが、どうも違うらしい。お使いで味を占めただろうか、向日葵のきらきらした顔に、俺はため息で返した。
「寝言は寝て言え。ほら、帰るぞ」
「美貴さんが、私なら一人十万は取れるって言ってたぞ」
「何の店だよ!あの人の言うことはまともに聞かなくて良いから!」
どんっ!!
「いっ」
「…どこ見て歩いてんのよ、でか物…!」
うわ。
俺は思わず、普通に引いてしまった。
年は俺より下だろう、また美人だが、とんでもなく柄が悪い。人のこと言えないが。基本千円以下の服しか買わない俺でも知ってるような有名ブランドを全身で固め、日傘も高そうだ。化粧も濃い、仕事中の美貴さん並みだ。
明かにぶつかってきたのは向こうの方だが、これは関わらない方がいい。俺はすいません、ともう一度頭を下げ、足早に去った。早く向日葵を連れて帰らないと、こいつが彼女につっかかりかねん。
向日葵の手を引きさっさと帰っていると、後ろで、女が鼻で笑った。
「ふん、男が男なら、女も女ね。ブーム去った服ばっかり着て、靴も安物じゃない」
「…なんだと?」
向日葵が俺の手を振り払い、女に向かい合った。俺はもう、今度こそ頭を抱えた。
「もう一回言ってみろ!これは、ヤナがくれたんだ、馬鹿にするやつは許さないぞ!」
「へー、彼氏にもらったからって、そんな安物履いてるの。オシャレは足元から、基本よ基本」
「お前こそ、何だその化粧、全然似合ってないじゃないか」
「…っ、何ですって!?」
すいません、誰か助けて下さい。ほんっとに誰でもいいです。
「この化粧、何時間かかってると思ってるのよ、彼氏と出かけるのに、口紅も塗ってない奴に言われたくないわよ!」
「何時間?塗りすぎだ馬鹿、美貴さんが言ってたぞ!濃い化粧は大人になってからいくらでも出来るから、若いうちは自然な方が可愛いって!お前だって十分可愛いのに、それじゃ台無しじゃないか!」
俺には化粧が分からんし、女の可愛い基準もよく分からんが、向日葵が言うことは正論に聞こえた。彼女にはあの化粧は濃すぎる。するともう完全に地雷だったのだろう、彼女は顔を真っ赤にして、日傘を地面に叩きつけた。
「あんたねぇ…私を誰だと思ってるのよ!そこのビルのオーナーの娘なのよ!資財いくらあると思ってんのよ!潰してやる!あんなんて、パパの権力で」
「じゃあ、お前は何も出来ないんじゃないか」
「…この…!!」
彼女が落とした日傘を拾い上げ、向日葵目がけて振り下ろそうとしたその時だった。
「なっ」
自分でも、反射神経に驚いた。俺は彼女の日傘を向日葵に当たる寸前で受け止めると、日傘を畳んで、彼女にちゃんと握らせた。
「すいません、こいつ馬鹿なんで。向日葵、謝れ。言い過ぎだ」
「…っ、ごめんなさい」
「よし。あんたも、パパが何やってるか知らないけど、こういうのは控えねぇと、いつか痛い目見るぞ」
「みっ、見るわけないでしょう!私のパパは本当に…」
俺は思わず、あ、と呟いた。怒りすぎて、少し汗で化粧が薄れた左目は、右目よりずっと可愛く見えた。
「化粧濃くない方が似合うと思うけど」
「…っ、また言う!慰謝料よ!慰謝料請求してやる!あんたの家財ごとぶんどって」
「よく止まる洗濯機とあんま映らないテレビしかねぇぞ。あと、やっすい靴買ったおかげで、明日から三食たまごかけご飯だから、金もねぇ。じゃあな」
「じゃーな!」
ちょっとすっきりした、俺が向日葵の手を引いてずんずん帰って行くと、後ろで何やら大きな音がした。
「う…うわあああああああん!!」
やべ、泣いた。しかし俺は振り返りもせず、最低にも逃げてしまった。が、向日葵は満足そうだったので、ヨシとした。向日葵は何だかそわそわしながら、俺の顔を見た。
「ヤナ、さっきの助けてくれたお礼は言っていいか?」
「いいって、言わなくて。ほら、帰るぞ」
とんっ。
満足気に笑う向日葵の向かいで、俺はどんな顔をしているだろう。
ありがとうのキスは、一瞬だったが、俺の顔の熱が引くのはその何百倍も時間がかかりそうだった。