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まさかの恋とまさかのお言葉




 ようやく弟が帰っていき、俺の生活は平和を取り戻したように見えたが、体が全然平和ではなかった。

偉い人はいいました。失敗は成功の母であると。あれ父だったっけか。まあどうでもいい。要するに人は失敗を糧にして成功を導いていくべきだ。そうでないと救われない。それならば失敗しても失敗しても、それでもなお失敗する俺は一体何なんだろう。今日も俺は絶賛腹を下し中だ。原因は言わずもがな、向日葵の弁当だ。分かっているのにどうして完食するんだ、俺は。

 やれやれ、ようやく平和になった胃をさすりながら外に出ると、せっかく開けた便所の扉をもう一度閉めるかと思った。


 そこには奇妙な生き物がいた。胃を抱えて丸まり、うずくまっている。一見巨大な芋虫に見えないことはないが、それは目の錯覚でなければ真緖の顔をしており、おまけに口から呪文のように、腹なんて空いてない、腹なんて空いてない、と呟き続いていた。

 俺は見なかったふりして股ごそうとすると、すごい勢いで足を捕まれた。ホラーハウスか、こいつは。

 「すいません、何か恵んで下さい!金がないんです!おごるのが嫌なら出世払いで返します!」

 「なんで敬語なんだよ、逆に恐いわ!お前が何に出世するんだよ、スーパー芋虫か!?」



 食べ放題千円という原料が不安になる恐ろしい定食屋が近くある、そこに連れて行った途端、真緖はたった今遭難から帰ってきたばかりのテンションで食べ始めた。俺も比較的腹が減っていたが、これだけ食べる真緖が目の前にいたら、呆気にとられ、あまり食べれなかった。

 さんざんおかわりしまくり、さすがに店員たちが嫌そうな顔をしてきた頃、真緖が勢いよく両手を叩いた。

 「ごちそうさまでした!」 

 「ん、よく食ったな」

 「あ、スイーツある!おばちゃん、杏仁豆腐!」

 「女子かお前は!」

 ふと杏仁豆腐の横にお持ち帰り可、と書いてあり、一瞬目が止まるが、慌てて目線を反らした。誰に買って返るつもりだ。すると目を反らした先に、にやついた真緖がいた。

 「今、向日葵ちゃんのこと考えてただろう」

 「考えてねぇよ。満腹で脳にまで膨れたんじゃねぇのか」

 「まぁ…分かるよ。俺だってそんなつもりなくても、いつも、考えちまうもん」

 「…お前」

 腹にたまるものを一気に食べて顔色はよくなったが、真緖はなんだか痩せた気がする。髪もばさばさ、服も、最近ずっと同じのをローテーションしている。オシャレに気を遣う方なのに、おまけに食欲があるのに無理に我慢して、これは明かに、ものすごく節約をしている。

 「なんだ。また、変な女にでも引っかかったのか」

 「…っ、お前…今日は鋭…でも、ないか。そろそろばれる頃だと思ったんだけどなぁ」

 真緖は苦笑しながら両手を振って降参のような真似をしたが、口を開こうとした途端、体格のいいおっさん供が大量に入店してきた。

 「場所、変えるか」

 「うん」



 男二人で喫茶店というのは寒すぎるし、第一俺にはもう金がない。夏の夕方でよかった、立ち寄った公園は、そこそこ静かで、そこそこ賑やかだった。ベンチには人がおらず、俺たちは座り込んだ。

 「今から言うこと…黙って聞いてほしんだけど」

 「ああ」

 「…俺…美貴さんに…ほ、惚れちゃったみたいで…」


 「………すまん、無理だ」

 「もう!?お前、どんだけツッコミの星に産まれてきたんだよ!ちょっとは我慢しろよ!前に出ることしか脳がない若手芸人だってもうちょっと我慢できるわ!」



  -その日、俺は本当にどうかしてたんです。


 -都内在住、Mさんの証言。


 酒の勢いで飲んで飲まれて飲まれて飲んで、よりによってヤナの知り合いらしいお水のお姉さんと一夜の過ちを犯してしまった俺は、どうも更に過ちをおかしてしまったらしくて。

 ベルトがね、ないんですよベルトが。ベルトくらいまた買えや、って?ノンノン、あれは俺様が童貞を捧げた彼女からのプレゼントだったのですよ。物で思い出作るなキリがないぞと世の中世知辛いですが、俺には捨てられなかったんですよ。彼女は捨てられても思い出だけはそっと胸、というか腰に-…すいません、缶で膝殴るの止めて。

 ともかくですね、ベルトを探したわけですよ。でも家のどこにもない、バイト先、大学でも外す意味が分からない。そうなるとね、もうあと一つしかないじゃないですか。ラブホテルですよ、ら、ぶ、ほ。情けないことに店の場所が皆目検討がつかなくて、俺は仕方が無く、美貴さんと連絡を取ったんです。ベルトを忘れたくせに彼女の名刺だけはしっかり入ってたもんでね。

 そんで店に行ったら、まぁ、美貴さんが、その、なんだ、美しくてね。あの朝は、お水のお姉さんと寝ちまった、なんだか超えてはいけない線を越してしまったみたいでショックで、顔なんかほとんど見れなかったから。

 一生懸命働いて、おっさんに触られても嫌な顔しない彼女に夢中になってしまって、気がついたら…気がついたら…



 「…通ってたわけだな」

 「…先にオチを言うか?普通。お前、本当…っ、あら?」

 それから真緖は、まるでドラマのように、弧を描いてゆっくりと倒れていってしまった。俺が慌てて支えてしまった手前、両手が塞がってしまった。

 「おい、真緖!」

 呼びかけるが、真緖は目を開けない。気を失っているだけのようだが、それはあくまで素人判断だ。しかし救急車を呼ぼうにも、両手が塞がって携帯が取れない。俺が視線だけで助けを求めるが、人々は無情に通りすがっていくだけだ。現代人の冷たさを再確認した俺は、真緖には悪いが、一反地面に下ろそうと思ったその時だった。

 「なんだヤナ、今度は男に走ったか?」

 「美貴さん!?」



 なんというタイミングで、いいのか、悪いのか。

 とにかく救急車を呼んでくれた上、美貴さんは俺に付き添ってくれていた。眠る真緖を見下ろし、彼女はまだ火もついていない煙草を捨て、ため息をついた。

 「やっぱ無理してたんだ…どう見ても学生だったし、もう来ない方がいいよって言ったんだけど」

 「こいつ、馬鹿なんです。夢中になると」 

 「ヤナ」

 口を手でふさがれ、いい匂いに混乱しそうだったが、俺は我慢した。今、口を開いても、きっと、彼女の望まない言葉を吐き出すだけだ。

 「それに私に言ったところで、私は何もしないぞ。あんたんとこの向日葵と私を、一緒にしてもらったら困るよ」

 「一緒になんて、一度もしてません。こいつに冷たくすることも責めません。けど、美貴さんは…その。好きな人、とか、作らないんですか?」

 「…っ、お前からそんなこと言われるとはな」

 美貴さんは軽く笑い、背伸びして、俺の頭を豪快に撫でた。

 「お前が聞きたいのは私じゃないだろう」

 「え?」

 「花は恋するのか、聞きたいんだろう。向日葵ちゃんが本当に自分のことを好きでいてくれてるのか、知りたいんだろう」

 違う、と言えなかった。俺は、向日葵の存在どころか、彼女の感情にすら依存したんだ。

 彼女なんていらないと思っていた。恋なんて馬鹿にしていた。けど俺は、今、その馬鹿にしていたものに、今にも命さえ奪われてもおかしくなさそうだった。



 真緖の兄が来てくれたため、俺たちは帰った。美貴さんは何も言わず違う道から帰っていったが、俺は特に声はかけなかった。一緒に帰ったところで、何を話していいか分からなかったのだ。

 さて、と、顔を上げると、吹き出しそうになった。大きな目に涙をたくさんためて、向日葵がぷるぷる震えていた。

 「おーそーいー!!!どこの誰と浮気してたんだ、この野郎が!」

 「してねぇよ」

 「本当か!?」

 「ほんと、ほんと」

 「じゃあ、証拠にチュウしてみろ!」

 「しねぇよ!絶対にしねぇ!」

 「なんでだよ、馬鹿-!!」

 キスくらいなら減るもんじゃない、と出来る男には、とりあえず、現段階ではなれないだろう。

 男は単純とはよくいったもので、友人の恋への頑張りぶりに、俺は少なからず感化されていた。今少しでも刺激してやれば、絶対に向日葵に何かする。もしくは言う。

 してはいけないことを。言ってはいけないことを。

 それはこいつが花だからとかそういう問題ではない。俺の情けなさだ。今でこそこんなに依存して、恋人になって、それがなくなってしまったら、俺は多分、諸々リセットできない。



 バイト、皿洗い中。最近何のいじめかと思うほど、菊川さんとシフトが重なる。そして更に仕事も重なる為、今、並んでまた皿を洗っている。そんな中、俺は沈黙に耐えられずにいる。気のせいか、この人は、始めて会った時より綺麗になった気がする。なんだか見つめているようで妙に恥ずかしかったが、それを違うと教えてくれたのもまた彼女の視線だった。見つめているのは、彼女の方だった。穴が空いて、空いたとこから火傷していきそうだ。何か話さなければ、爆発しそうだった。

 「そ、そういえばですね」


 今日あったことといえば真緒の美貴さんへの片思い以上の衝撃はなかったが、さすがに友人の恋心をネタにするほど薄情になれなかった。しかし俺に面白い話や気のきいた話が出来るわけがない。日常的な話といえば向日葵だが、まずそんな話はこの人に出来るわけがない。

 今日の大学でのくだらない先生の話を俺が更にくだらなく話すと、彼女は実に熱心に、聞き入ってくれていた。ここまで真剣だと逆に申し訳ない。

 「すいません…つまんないっすよね」

 「そんなことないわ。ヤナ君の声が聞こえるだけで、嬉しいもの」


 俺は。赤くなるのを通り越して。青くなっていた。彼女の右手は泡の中、俺の手を握ってきたが、彼女の左手が見えない。そういえば、魚切り用の巨大な包丁はどこへやった。


 「きききききっかわさ」

 我ながらラッパーみたいになった。この細い手からどこからこんな力が出るのか、俺はがっちりと手で掴まれ、そして、背中に冷たい感触があった。そこにまさか巨大包丁があるわけがないと思いながらも、俺の脳内セコムが鳴り続けていた。

 生存本能が教えてくれた。応じなければ殺られる。しかし、応じても、殺られる気がするのはなぜだろうか。

 

 よし、想像してみよう。何事もイマジネーションというものは大事だ。この人と付き合う。付き合う。

 ―ヤナ君、おはよう。

 うん、美人だし、物静かだ。実にいい朝だ。結構いい感じじゃないか。

 ―これ、誰の口紅?

 え、やだなぁ、それ、満員電車でついたんですよ。本当ですってば。

 ―ヤナ君…

 ちょっ、菊川さん、出刃包丁は止めて!出刃はまずい、出刃は!!


 「…っ、せめてボディで!」

 「何の話?」

 

 しまった、一緒に暮らしていたラブラブ生活のはずが、一気に殺されるところまで話が進んでしまった。

 「ヤナ君」

 見つめてくる目が痛い、こんな美人に迫られて、どうして俺の選択肢には死亡フラグしかないんだ。受けいれても、断っても、殺されることしか思いつかない。それならば。


 「俺なんかと付き合っても、いいことないですよ」

 

 付き合った方がいいと多くの人は思うだろうが、俺はできなかった。俺は馬鹿だから。こんな気持ちで付き合った方が、彼女を余計傷つけると自惚れてしまうくらい。

 しばらくそうして彼女の目を見ていると、いきなり菊川さんが膝から倒れた。


 「は!?」

 

 さすがに驚いた俺は手を伸ばそうとするが、彼女は払いのけた。彼女の顔は、いつかのように真っ赤だった。


 「は、離して…そんなヤナ君嫌い…」

 「ど、どんな?」

 「そんな紳士的なヤナ君嫌い…私の告白に動揺して、なんとか優しく私の手をどけようとしてうまくいかなくて、なんやかんやで滑って、泡だらけの台所に顔つっこんで、目から泡出して、それでも口から律儀に謝り続けるような」

 「俺、そんなんですか!?」

 すげえ地味にショックだ。俺がそうして凹んでいると、彼女は吹き出した。ようやく、笑ってくれた。

 「でもあなたは、例え、口から金魚が出ても謝るでしょう」

 「そんな状況がよく分かりませんが、そうですね。あなたが笑うまで、謝りますよ」

 「…やっぱり最低」

 「すいません」

 そうして彼女が流し台に置いた巨大包丁は、今まで誰が磨いたものより、一段と光を放っていた。彼女が最低というのなら、俺は最低のままでも、いいような気さえした。



 しかし、やはり、最低なままでは駄目かもしれない。包丁を握りっぱなしで、血を結構な勢いで流している菊川さんに全く気付いてなかった。

 出血の量は多かったが傷自体は大したことはなく、それでも一応彼女の保護者夫婦が迎えに来た。おばあさんが懸命に頭を下げている脇から、おじいさんが出てきて、なぜか俺の方にやってきた。

 「いつかはどうも。君がヤナ君でしょう」

 「え、ええ、まあ」

 「娘と付き合ってるんですかな?」

 「い、いや、えーーと」

 

 「結婚する気は、あるんですかな?」


 誰か時間を止めてくれ。ついでに俺の心臓も止めてくれ。いややっぱり心臓は止めなくていい。万が一驚いたおじいさんを道連れにしたらあまりに気の毒だ。

 じゃあやっぱり、俺限定で、止めてくれ。





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