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向日葵の恩返し

 

 世の中にはいいことを率先してやりたがる、いわゆる善人というものが存在する。電車の席は老人に譲る、目の前でカバンの中身をぶちまけた人と一緒に拾ってやる、誰が落としたか分からないゴミを拾い近くのゴミ箱に入れる等。これがすごい進化を遂げると、今さっき出会った人のために命を投げだそうとさえするのだから、善人というものはある意味最強だと思うのは俺だけだろうか。

 俺はといえばまぁひねくれもせずかといって善人になるわけでもなく、いわゆる普通に生きてきた。いやどちらかといえば、普通よりやや不親切かもしれない。幼少期のトラウマにより、見返りがない善行はしないと胸に誓ったのだ。

 トラウマといっても信じていた友人に裏切られたといったような重いものではない。道ばたに露わになっていた鳩の死骸に土をかけてやり、手を合わせた。すると翌日、鳩はまた露わになっていた。猫が掘り返したのか、同じ学校の誰かが悪戯をしたのか、そんなことはどうでもよかった。せっかくいいことをしたのに、なんだか世界そのものに軽く裏切られたような感じがしたのだ。

 幼児期のトラウマというものは結構根強いもので、それ以来、見返りのない『いいこと』をしなくなった。だからもしもう一度見返りが期待できないような『いいこと』をするのなら、きっと自分の世界がひっくり返るくらいのことだろう、と、なんとなく、考えていた。もう何年も前か分からないくらい、ある雨の話だ。



 初対面で必ず言われること。

 「君、背、高いね。何センチ?」

 「何かスポーツやってた?」

 もう答えすぎて、人生単位で答えるのが面倒な質問。俺は何も答えず、笑顔で空になったグラスを引いた。

 「ご想像にお任せします。すぐにおかわりをお持ちしますね」



 「お、ヤナ。戻ってきた、戻ってきた。なぁ、そこの棚から皿取ってくれよ」

 「そんなにしょっちゅう必要な皿なら、もっと低いところに置いたらどうですか」

 「お前がいるからいいじゃん」

 「俺が辞めたらどうするんです」

 「どーしよーかな。あ、帰る前についでに棚の上拭いといてくれ」

 「俺もう帰る時間なんですけど」

 かかか、と笑った先輩を見送り、俺はぶうたれた真似だけして、大人しく掃除を始めた。拗ねたふりをしただけで、別に早く帰りたいわけではない。帰っても、四畳半の部屋でほとんど映らないテレビが待っているだけだ。


 ヤナというのは俺のあだ名だ。ちなみに名字にも下の名前にも関係ない。身長が187の87をもじったもので、どういうわけかそんなややこしいあだ名が定着してしまった。まぁあだ名なんてそんなものかもしれない。だからというかなんというか、春の健康診断で身長を測ったとき、188を超えていたことは何となく言えずにいる。

 父は元プロバスケプレイヤー、母は元モデルと冗談みたいな家だったが、父は足が故障するなりあっさり引退して普通のサラリーマンになったし、母は弟を産んだ途端あっという間に丸々太った。当然モデルの仕事なんて、過去の笑い話程度だ。

父に似たため顔も十人並み、母からの身長のみを遺伝した俺はほんとにでかいだけで、運動神経もよくなく、おまけに太りづらい体格だから妙にひょろ長く、そういえば高校時代のあだ名が電信柱だった。それを考えると『ヤナ』はずいぶん出世したといえよう。足が速いだけでヒーローになっていた小学校時代なんて、あだ名がウドの大木だった。ここまでくるとあだ名というより悪口だな。

ちなみに産まれてこのかたもてたことがない。身長の高い男はもてるというのは、俺にとっては大嘘だ。中学校のときからこっそり喫煙しているため俺より15センチも低い弟は、今彼女が三人いるらしい。なんだか激しく理不尽だ。

しかし別に俺はもてたいわけではない。恋も彼女もよく分からない。独り者の強がりと言ってくれて結構、今の気楽な生活を俺はよしとしている。

 「あれ、ヤナ、もう帰るの?」

 「うっす、お疲れさまでした」

 大学生活も特に問題はないし、バイト先も比較的恵まれてると思うし、割と幸せだと思う。呑気な喫茶店が気に入っていたのに、この不景気で夜遅くまで開店時間を延ばした挙げ句メニューに酒を取り入れたのは気に入らないが。

 一応法律上は飲酒できる年にはなったが、恐らく俺は酒を飲まないだろう。幼い頃からアルコールの匂いは苦手だった。ちなみに煙草も苦手だ。おかげでこの身長だ、今となれば178くらいで煙草を吸っていればよかったと少し後悔していなくもない。服屋で激しく困る。



 店を出ると、雨が降っていた。土砂降りとまではいかないが、何も装備せず走って帰るには躊躇われる程には降っていた。天気予報を見ていなかったため、当然傘を持っていない。

 しかし雨宿りなどしていようものなら、先輩に見つかり、そのままサービス残業の流れになってしまう。遠回りだが、商店街を突っ切ることに決めた。あそこなら濡れない。

 走って商店街を目指していると、ふと花屋の前で倒れてる向日葵を見つけた。何かの拍子で倒れたのだろう、鉢から砂が溢れ、根まで見えてしまい、雨が花に叩きつけるように降っている。

 一瞬起こしてやろうか、と思ってしまったが、馬鹿らしいとすぐに否定した。幼少期のトラウマを忘れたか、そんなことをしてもどうせまたすぐ倒れるに決まっている。俺の善行が無駄になる。今日はこの雨で、おまけに強風注意報が出ていた。

 どうせ店員が起こすだろう、と思って横断歩道を渡ろうとしたその時だった。花屋から店員が出てきた。ほっとして目を反らそうとしたが、それは失敗に終わった。店員は確かに向日葵に気づいたというのに、気持ち悪そうな目をしてそのまま店の中へ戻っていってしまった。そして何か出してきたかと思えば、それは何とゴミ袋だった。

 呆気にとられた。枯れる寸前、もしくは最初から廃棄予定の向日葵だったかもしれないが、いくらなんでもその扱いはあんまりだろう。

 土にまみれ雨のせいでびしょ濡れになり、今にもゴミ袋に入れられそうな向日葵は、なんだかでかいだけで何もできないと罵られてきた自分と重なって。気がつけば店の前まで走っていた。

 「…くらですか」

 「は?」

 「それ、いくらですか」



 何、やってんだ俺。

 

 何も買い取らなくてもよかっただろう、雨のせいか頭痛がしてきた、おまけに酷くなってきて、そのまま目眩になってしまいそうだった。おまけに高かった。捨てようとしていたくせに、ぼったくりやがって。いやそもそも花はこれくらいするのか。花なんて、おふくろに申し訳程度にカーネーションを買ったきりだったから、値段なんて分からん。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 「どこに置くんだ」

 なぁ。四畳半。



 男の一人暮らしは狭い、汚い、臭い。ああまったくおっしゃる通り。しかし狭いのはバイトに勤しんでる悲しき学生だからこの程度の部屋しか借りられないから、汚いのはまぁ狭いから散らかってしまっているわけで、臭いのは…まぁ色々あるだろう。そこ、想像するな。

 もうほとんど砂になってしまっているテレビを点けるとバラエティーがやっていた。特に見るものがないときはバラエティーを見るようにしている。なぜなら画質が悪すぎるため、ドラマやニュースを見ていると話の内容や詳細が気になりストレスが溜まるからだ。

 100均で買ってきたカップラーメン用の湯を沸かしながら、とりあえず向日葵をテレビの横に置いてみた。うん、合わない。言うまでもないが、ベランダなどそんな洒落たものはない。

 まぁ買ってきた手前、面倒を見るしかない。なんたって水だけだ。水だけで生きながらえる植物がちょっとうらやましい。こうして狭い場所に置いてみると巨大に見えるが、もう大きさは諦めよう。

 ラーメンをさっさと食べ、さっさとシャワーを浴びて、さっさと寝る。明日も九時から授業だ。薄い布団を二枚上下に重ねて寝る。クーラーなんて買う金がないため、やる気なく回る扇風機となんとなく涼しいような気がする風だけが頼りのため、当然汗もかく。翌朝もシャワー決定だ。

 なら布団を着なければよさそうな話だが、これも小さい頃からのくせだ。どんなに暑くても布団がないと眠れない。

 忘れないように携帯のアラームをかけ、両目を閉じる。すぐに眠れる、これも小さい頃からの特技だ。



 さて、朝だ。そんなに鳴るな、携帯。今、起きるから。

 のろのろ体を起こし、髪を適当にかきわけながら、大あくびを調味料に卵を焼く。焼き目がつくまで水を飲もうとして、ふと、昨日の向日葵を思い出した。いくら室内とはいえ、気づいたときに水をやった方が多分いいだろう。

 そう思って振り返るが、テレビの横に向日葵はなかった。

 「あれ?」 

 ない、どこにもない。寝ぼけて蹴飛ばしたのか、いやこの狭い部屋で向日葵が行方不明になるスペースなどない。もしかして夢だったのか、なんて頭をかいていると、卵が焦げだし、慌てて火を止めた。



 「お、おはようヤナ。どうした、不機嫌だな」

 「目玉焼きが焦げたんだよ」

 学友が女子か、と笑いながら軽く蹴ってやるが、そういう突っ込みに今は返事をする気にもなれなかった。この不機嫌の理由は目玉焼きのせいだけではない。花の感触も土臭さも覚えているのに、財布の中身も減っているのに、どうして向日葵がないんだ。

 別に花がなくなったくらいどうってことないが、また裏切られたような気分だった。酔った客に酒でも飲まされて長い夢でも見たかと思ったが、それにしても面白くなかった。

 もう善行はなしだ。絶対ない。例え雨の中、子どもが泣いてたって傘も貸してやらんぞ俺は。

 「…っ、おい、ヤナ。見ろよ。すげぇ可愛い子がいる」

 「はぁ?」

 またはじまった、俺が嫌そうに振り返ると、不覚にもそのまま目を奪われてしまった。

 基本的に女子が可愛かろうが見るに堪えなかろうがどうでもいいが、なるほど、目の前の女子は確かに可愛かった。高校生くらいだろうか、夏の日差しの中、黄色の髪をなびかせて、どちらかといえば高身長よりの彼女は、八割男子というこの学校の男達の視線を集めながら、なぜかこっちを歩いてきた。

 はしゃぐ学友など完全に目に入っていないように、彼女は俺に向かって微笑んだ。

 「え、と…」

 そんな微笑まれても、困惑する俺をよそに、隣の学友はテンションを上げながら、鼻息荒ぶる中、少女にくいついていった。

 「ねぇねぇ、君、近くの高校の子?それとも誰かの妹さんかな?よかったら、俺が案内」

 あいかわらず少女は学友を、というか俺以外何も見ていない。そしてそのままじっと微笑んでいる。なんだか吸い込まれそうな瞳にそのまま見入っていると、彼女はなんと俺に抱きついてきた。

 「―っ、お、おい!」

 女子の感触に思わず動揺し、突くようにどかすと、彼女は泣きそうな顔で、必死にうなり始めた。それはまるでまだしゃべれない赤ん坊のようだった。

 「しゃべれないのか…外人かな。つうかヤナの知り合い?おい、紹介しろ!」

 「いや知らんし、何人かもしらん。とにかくどう見ても大学生じゃないだろう、誰か先生に…」

 少女は必死に俺の服を掴みながら、うなり続けている。俺に何かを伝えたいようだが、申し訳ないがこの言葉を受信できそうになかった。

 「名前は?ワッチュアネーム!」

 絞り出した小学生並みの英語も彼女には通じてないようで、あいかわらず必死で服を引っ張っている。もうなんだか苛立ってきた、俺は自分のことを勢いよく指さした。滑舌よく本名を叫び続けるが、少女はうなり続けるだけだ。俺はもう本名を伝えることを諦めた。

 「や、な!ヤナ!」

 「…ゃ、な?」

 「そう、俺の名前だ」

 やっとまともな文字が出てきた、自分の顔を指さしながらヤナヤナ言い続けると、ようやく認識したようで、ヤナ、と呟いて、嬉しそうに笑った。笑った、ようやく少し安心した。

 「君は?」

 指を差すと、少女は困ったように目を伏せた。何を聞かれているか分かっているようだが、彼女にはそれを伝える手段はないのだろう。もしかして言葉が不自由かもしれない、俺がカバンからノートを探していたそのときだった。

 それは一瞬の出来事だった。もしかしたら見逃すかもしれないくらいの速さだったのに、このときの俺はしっかり目撃した。彼女は一瞬だけ姿を変え、またすぐに少女に戻った。その姿は、紛れもなくあの向日葵だったのだ。


 鶴が女に化けて恩返しにくる話を一度くらい聞いたことがあるだろう。しかし花が少女に化けて恩返しにきたというのか。


 暑さ以外の理由で汗が吹き出した。ありえない、と脳がひたすら否定信号を送り続けていた。が、彼女が一瞬だけ向日葵になったこと、こんな美少女が俺に懸命に何かを伝えようとしてくれていること、他の理由が説明できる者がいるなら、是非お願いしたい。


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