リコリスの星
あの日は、いつもと変わらない夕焼け空だった。
強いて言えば、少しだけ雲の広がりが大きくて、春の空気が重かった気もする。
そう、こんなふうに、肺の中に鈍色が充満するような、最後の景色を見ている感覚。
*・゜゜・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゜・*
暁星良。彼女とは幼稚園が同じで、小学校でも何度か一緒のクラスになったことがある。
言葉を交わしたことはない。どちらかと言えば、私の苦手なタイプだ。友達が多くて、ハキハキとなんでも積極的にやる人。中学の中でも、目立つ存在。
大人しくて波風立てずに過ごしたい私ーー宵野月架とは、正反対の人。
廊下ですれ違う瞬間、目が合った。ゆっくり流れていく視線は、お互いに同じところで消える。よくあることだ。
「さーて、今日のテーマは『世界の終わり』です。もしも、地球最後の日が訪れたとしたら、みんなは何をしたいですか? 考えてください」
学級活動の一貫で、意見交換の時間が設けられた。日頃、あまり関わり合いのないメンバーにグループ分けされ、私は暁星良のとなりに座る。
「上手いもん食いたい。めっちゃ高級なやつ」
「えー、わたし推しに会ってから死にたい」
それぞれが発する内容に、でしょうねと心でうなずく。みんな想像通りの回答だ。日頃の行動は思考を映し出している。
「なんだろなぁ。私は、特にないかなー」
コロンとシャーペンを転がして、暁さんがつぶやく。
違和感しかなかった。
てっきり、恋人に会いたいと言うものだとばかり。
「なにもないの? 星良ちゃん、彼氏とか」
「いないよ」
じゃあ、友達ーー。
「仲良い市原さんとかさ」
「いっちーかぁ。特に会いたいとか、浮かばなかったわ」
アハハと暁さんが笑うと、向こう側でくしゃみの音が聞こえた。
明るくて交友関係の広い人だけど、意外とあっさりしているんだ。
「宵野さんは?」
「わ、私は……」
いきなり話を振られて、言葉につまる。
世界が終わるとか、今まで考えたことがなかったから分からない。自分だったら、どうしたいのか。
でも、意外と冷静でいられる気がする。失いたくない人は、家族くらいだし。大切にしている物があるわけでもない。
「普段と、あまり変わらないのかも。好きな本を読んで、家でのんびり過ごすと思う」
「ふーん。なんか、宵野さんっぽい」
暁さんの反応に、他の人たちもうなずいている。
ぽいって、この人たちは私の何を知っているのか。そんな気持ちが押し寄せてくるけど、自分だってさっき同じことを思った。
口に出していたら、逆の立場になっていたかもしれないのか。
ぼんやりと考えていたら、バヒュッと目の前になにかが飛んできた。暁さんのシャーペンだ。
よくペンを回して、指遊びをしているから。
「あ、ごめ……」
取ろうとしたのか、少し強めに腕がぶつかった。その瞬間、私たちは互いに顔を見合う。
ビリリと体中に稲妻が走ったみたいに、脳内にフラッシュバックが起こる。
そうか。私の答えは、間違っていなかったんだーー。
星良と私は、小学生の頃から仲がよかった。性格も見た目も正反対だけど、すこぶる気が合う。
話すきっかけとなったのは、誕生日が同じだったこと。それも、同じ病院で数分違い。
そのおかげか、親同士も比較的交流があって、星良の親が仕事で帰りが遅い時は、きまってうちに滞在していた。
ある日、宿題をしていると、突然風が吹き付けていたずらにノートをめくった。
窓は閉まっていたはずなのに。カーテンがゆらゆらと揺れて、人影が現れたのだ。
「やあ、こんばんは。今日はめでたい日だねぇ〜。君たちに、とっておきのプレゼントを用意してきたよ」
漆黒の髪に同じくらい濃い色の服。骸骨の仮面をつけた人物が、ふわりと部屋へ入ってきた。
叫び声をあげようとしたけど、なぜか声が出ない。震える私の手を、星良がギュッと握ってくれる。
「こんなの、悪い夢だよ。じゃなきゃ、四階のベランダから人が来るわけない」
黒づくめの男らしき人物は、一歩踏み寄り私たちの前で腰を屈めた。そして、自分のことを死神だと名乗った。
「これから君たちに、運命の選択肢をやろう。選ばれた者だけが見ることのできる世界だ。さあ、赤と黒どっちがいい?」
ふたつの花を見せられて、どちらかを手に取れと迫られる。彼岸花と黒い百合。
状況の把握もできなくて、私たちはただ怯えていた。
「……わかんない」
「誰か、助けて。お母さん……」
「どちらか選ぶんだ。これは、君たちに課せられた宿命。時間がないぞ? どうする? 俺が決めることになるが、後悔はないか?」
黒づくめの男が、楽しそうに高笑いをする光景は異常だ。
これが、十五歳の少女たちに突きつけられた現実とは、到底思えない。
「……私は、黒を選ぶよ」
「星良⁉︎」
しばらくの沈黙を破って、星良が百合を取った。
「ごめん、月架。選ばないと、ヤバい気がして。とりあえず、選べばどうにかなるのかなって」
「では、必然的に、ツキカが赤だ」
半ば強制的に彼岸花を持たされて、私たちはそれぞれの光に包まれる。あまりのまぶしさと熱さに目を閉じた。
それでも、この繋いだ手だけは死んでも離さないと、お互いに強く思っていただろう。
次に瞼を持ち上げたときには、もう星良の姿はなかった。
それから、地球よりはるか上空にある場所で過ごすこととなった。
ーー私は、天の守護神だったの。
地上に神の子が生まれると、十五歳になる日を待ち天界へ迎え入れる。あの死神は、案内人みたいなものだったらしい。
本で読んだことのある天界は、明るく純白なイメージだったけど、実際には常に夜なのか薄暗い印象で、どこか寂しい。
巨大な鏡のような物の前で、世界を監視する役割を与えられている。
「ツキカ様。お身体の方は、変わりないでしょうか?」
侍女のような人が、私のそばへ来て声をかけてくれた。
そこら中に咲いている彼岸花に触れて、私はポツリと口を開く。
「ねえ、星良は? 星良は、どこにいるの。こことは、違う場所にいるんでしょ?」
「……わたくしどもは、お答えいたしかねます」
目が覚めてから、同じことばかり聞いているから、彼女たちも嫌気がさしているだろう。
だけど、それはこっちも同じ。冷静でいられるわけがない。
「こんなところへ、いきなり連れて来ておいて。あなたたちって、悪魔みたいだね」
今頃、星良も似たような状況で困っているんじゃないか。そのことばかりが気になって、眠れない日が続いた。
天界には、時間が存在しない。ずっと同じ時が流れていて、年を重ねることもない。
そう気づいたのは、一年ほど経ったある日のこと。私の体感での時間だから、もしかしたら数日しか経過していないのかもしれない。
いつものように鏡の前に立っていると、世界を映す鏡面が揺れた。そこに現れたのは、あの頃と変わらない星良だった。
「星良!」
「やった、繋がった! 月架、無事?」
「大丈夫。星良は? なんともない? どこにいるの?」
「……よかったぁ、元気そうで。私も平気」
久しぶりに声が聞けて、胸の奥が熱くなる。突然、離れ離れになって、心細かったからなおさら。
星良の背景には、黒い百合がたくさんある。場所を特定したところで、会える可能性は低いけど。
「よく聞いて。もうすぐ、世界が終わる。月架は、早くそこから逃げて」
あらあらしく投げ出されたセリフに、思考が追いつかない。
「なに……言ってるの?」
「もう時間がない。こっちの連中は、世界を滅ぼそうとしてる」
後ろから、侍女たちの騒がしい声が飛んでくる。
『なにをしているのか』『鏡を閉じて』と慌てふためいているけど、そんなことどうでもよかった。
ずっと会いたかった星良が、目の前にいるのだから。
「星良、待ってよ。出られないよ。それに、私は天の守護神で……」
「おやめください! ツキカ様……!」
「月架、また、通信する」
両腕を引っ張られ、身動きがとれない私に向かって、星良は優しく笑ったの。
「最後は、一緒にいよう」
それだけ言い残して、鏡面は元の色へと戻った。
もう二度と、星良が映ることはなかった。
星良が敵側にいると知ったのは、すぐあとのこと。
天界とは真逆の地底に存在する神となり、星良は生活している。地球を滅亡させる役割を担っているらしい。
信じられないけれど、それほど悲しくはなかった。
どんな形であろうと、星良が生きていてくれてよかったから。
* * *
「ツキカ様。そろそろ、ご準備をお願いします」
「わかってる。少ししたら行くから、一人にしてくれる?」
「……承知しました」
侍女が去ってから、私は鏡のそばに咲いている彼岸花を摘む。
地底の神が、いよいよ行動を起こす日が来た。
天界と地界は、はるか昔から対立している。すべての災いから地球を守る天と、すべての力を自分のものにしようとする地。
私たちは、それぞれの神に選ばれた。ううん、選んだのかもしれない。同時に生を受け、この世界に産まれた瞬間から、決まっていたこと。
どちらかを、選ばなければならなかった。
鏡面に星良が現れたのは、戦線布告だと侍女たちは言う。
心のどこかでは、信じていた。星良は、そんな恐ろしいことはできない。
きっと、なにか作戦があって、敵を欺こうとしているのだと。
彼岸花を胸にしまって、天界の外へ出た。ここへ連れて来られてから、初めて別の空気を吸った。
そこは、いつもと変わらない夕焼け空だった。強いて言えば、少しだけ雲の広がりが大きくて、春の空気が重い気もする。
なんの疑いもなく、日常通りに電車へ乗り、みんな学校へ通う。この光景を空の上から眺めながら、私は星良を待った。
「久しぶりだね、ツキカ」
夜の帳を下ろして、星良が現れる。一瞬にして、空気が変わったのがわかった。
「今日、世界は終わる」
「それ……本気で言ってるの?」
曇りない瞳の中に、私はいない。
「ツキカが天の力となったように、私は地の力になるの。これが運命なら、そうするしかない。そうでしょ?」
地の神として迎えられた星良は、染まるしかなかったんだ。あの時の私と、同じように。
黒い百合を手に持ち、星良がひと振りすると、辺りは漆黒に包まれていく。枯れて朽ちていくように、街の光が消えていく。
「セイラ、私も覚悟を決めてきたの。一緒に、帰ろう? 私たちの世界へ。あの時の、私たちに」
胸から彼岸花を取り出すと、天界にある鏡が現れた。ここには、世界のすべてが詰まっている。
時間のない空間。時を戻すこともできるはず。
「その選択は、正しくないよ。ツキカ、正しい答えは、こうだよ」
最後の一本の黒い百合で、星良は自分の胸を突いた。
嘆きにも似た声で、私が名前を叫ぶと、胸の中心からじわりと黒い血が流れていく。
体に触れるより先に、星良は塵となり消えた。
地の神を失った世界は、光を取り戻し始めた。
これで世界は救われる。侍女たちは、喜びをあらわにしていたけれど、私だけは違う。
星良の最後は、世界を救おうとする涙の笑顔だった。
気づいたら、私は天の鏡を割っていた。
あれから、何度も同じ時を繰り返している。どれだけやり直しても、死神はやってくる。
選択を変えても、世界の終わりは変えられない。
星良を守ることがーー、できない。
だから、私は鏡を壊して、鏡の向こうへ飛び込んだ。胸を黒く染める前に、星良を連れて。
何億もの光が流れるように、意識が引き戻される。
中学校の教室。『世界の終わり』と書かれた黒板。目の前には、制服姿の星良が座っていて、コロンとシャーペンが転がっていた。
この空間だけ、時間が止まっていたかのように息ができない。
「……星良ちゃん? 宵野さんも、どうして、泣いてるの?」
瞬きすると、たまっていた涙がポロリと落ちた。
今は、何度目の過去なのだろう。
それすら確かめることはできないけど、私たちはそれぞれの席で、前に向き直る。
すべてを思い出した時、ノートを書く手が震えた。それは、となりの暁さんも同じ。
「まあ、世界の終わりとかさ、非現実的な話されても、ピンと来ないよな」
「ないって分かってるから、こんな話ができるんじゃない」
この世界線は、平和だ。あくまでも、今は滅亡とはかけ離れたところにいる。
私が時を巻き戻して、生まれる前に遡ったから。運命を変えたから。
星良と仲良くなる道を捨てて、二度と同じ悲しみが訪れることのないよう。
「……やっぱ、地球最後の日は友達と一緒にいたいかな」
授業の終わりに、暁さんがつぶやいた。
「星良ちゃん、急にどうしたの? 気が変わったん?」
「うーん、なんとなく。今はただ、そう思っただけ」
アハハと冗談っぽく笑うと、私を見て。
「宵野さんは、どう思う?」
ふいに話を振られて、動揺する。以前の私なら、一人で静かに過ごすのが一番だと考えていたけど。
「……私も、賛同する。大切な人を守りたいなら、一緒にいないとね」
見つめ合う瞳の中には、私がいた。
フッと笑って、暁さんは市原さんのところへ向かう。楽しそうにする横顔に、小さく笑みがこぼれた。
後れ毛を耳にかけて、引き出しから本を取り出す。
「これで、よかったんだね。星良」
開いた本のページから、挟んでいたしおりが落ちた。
まるで、あの日見た夕焼け空のような、彼岸花がーー。
fin.




