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リコリスの星

作者: 月都七綺
掲載日:2026/03/07


 あの日は、いつもと変わらない夕焼け空だった。


 強いて言えば、少しだけ雲の広がりが大きくて、春の空気が重かった気もする。



 そう、こんなふうに、肺の中に鈍色(にびいろ)が充満するような、最後の景色を見ている感覚。



*・゜゜・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゜・*



 あかつき星良せいら。彼女とは幼稚園が同じで、小学校でも何度か一緒のクラスになったことがある。

 言葉を交わしたことはない。どちらかと言えば、私の苦手なタイプだ。友達が多くて、ハキハキとなんでも積極的にやる人。中学の中でも、目立つ存在。

 大人しくて波風立てずに過ごしたい私ーー宵野よいの月架つきかとは、正反対の人。

 廊下ですれ違う瞬間、目が合った。ゆっくり流れていく視線は、お互いに同じところで消える。よくあることだ。



「さーて、今日のテーマは『世界の終わり』です。もしも、地球最後の日が訪れたとしたら、みんなは何をしたいですか? 考えてください」


 学級活動の一貫で、意見交換の時間が設けられた。日頃、あまり関わり合いのないメンバーにグループ分けされ、私は暁星良のとなりに座る。


「上手いもん食いたい。めっちゃ高級なやつ」

「えー、わたし推しに会ってから死にたい」


 それぞれが発する内容に、でしょうねと心でうなずく。みんな想像通りの回答だ。日頃の行動は思考を映し出している。


「なんだろなぁ。私は、特にないかなー」


 コロンとシャーペンを転がして、暁さんがつぶやく。

 違和感しかなかった。

 てっきり、恋人に会いたいと言うものだとばかり。


「なにもないの? 星良ちゃん、彼氏とか」

「いないよ」


 じゃあ、友達ーー。


「仲良い市原さんとかさ」

「いっちーかぁ。特に会いたいとか、浮かばなかったわ」


 アハハと暁さんが笑うと、向こう側でくしゃみの音が聞こえた。

 明るくて交友関係の広い人だけど、意外とあっさりしているんだ。


宵野よいのさんは?」

「わ、私は……」


 いきなり話を振られて、言葉につまる。

 世界が終わるとか、今まで考えたことがなかったから分からない。自分だったら、どうしたいのか。

 でも、意外と冷静でいられる気がする。失いたくない人は、家族くらいだし。大切にしている物があるわけでもない。


「普段と、あまり変わらないのかも。好きな本を読んで、家でのんびり過ごすと思う」

「ふーん。なんか、宵野さんっぽい」


 暁さんの反応に、他の人たちもうなずいている。

 ぽいって、この人たちは私の何を知っているのか。そんな気持ちが押し寄せてくるけど、自分だってさっき同じことを思った。

 口に出していたら、逆の立場になっていたかもしれないのか。


 ぼんやりと考えていたら、バヒュッと目の前になにかが飛んできた。暁さんのシャーペンだ。

 よくペンを回して、指遊びをしているから。


「あ、ごめ……」


 取ろうとしたのか、少し強めに腕がぶつかった。その瞬間、私たちは互いに顔を見合う。

 ビリリと体中に稲妻が走ったみたいに、脳内にフラッシュバックが起こる。


 そうか。私の答えは、間違っていなかったんだーー。



 星良と私は、小学生の頃から仲がよかった。性格も見た目も正反対だけど、すこぶる気が合う。

 話すきっかけとなったのは、誕生日が同じだったこと。それも、同じ病院で数分違い。

 そのおかげか、親同士も比較的交流があって、星良の親が仕事で帰りが遅い時は、きまってうちに滞在していた。


 ある日、宿題をしていると、突然風が吹き付けていたずらにノートをめくった。

 窓は閉まっていたはずなのに。カーテンがゆらゆらと揺れて、人影が現れたのだ。


「やあ、こんばんは。今日はめでたい日だねぇ〜。君たちに、とっておきのプレゼントを用意してきたよ」


 漆黒の髪に同じくらい濃い色の服。骸骨の仮面をつけた人物が、ふわりと部屋へ入ってきた。

 叫び声をあげようとしたけど、なぜか声が出ない。震える私の手を、星良がギュッと握ってくれる。


「こんなの、悪い夢だよ。じゃなきゃ、四階のベランダから人が来るわけない」


 黒づくめの男らしき人物は、一歩踏み寄り私たちの前で腰を屈めた。そして、自分のことを死神だと名乗った。


「これから君たちに、運命の選択肢をやろう。選ばれた者だけが見ることのできる世界だ。さあ、赤と黒どっちがいい?」


 ふたつの花を見せられて、どちらかを手に取れと迫られる。彼岸花と黒い百合。

 状況の把握もできなくて、私たちはただ怯えていた。


「……わかんない」

「誰か、助けて。お母さん……」

「どちらか選ぶんだ。これは、君たちに課せられた宿命。時間がないぞ? どうする? 俺が決めることになるが、後悔はないか?」


 黒づくめの男が、楽しそうに高笑いをする光景は異常だ。

 これが、十五歳の少女たちに突きつけられた現実とは、到底思えない。


「……私は、黒を選ぶよ」

「星良⁉︎」


 しばらくの沈黙を破って、星良が百合を取った。


「ごめん、月架。選ばないと、ヤバい気がして。とりあえず、選べばどうにかなるのかなって」

「では、必然的に、ツキカが赤だ」


 半ば強制的に彼岸花を持たされて、私たちはそれぞれの光に包まれる。あまりのまぶしさと熱さに目を閉じた。

 それでも、この繋いだ手だけは死んでも離さないと、お互いに強く思っていただろう。


 次に瞼を持ち上げたときには、もう星良の姿はなかった。


 それから、地球よりはるか上空にある場所で過ごすこととなった。


 ーー私は、天の守護神だったの。



 地上に神の子が生まれると、十五歳になる日を待ち天界へ迎え入れる。あの死神は、案内人みたいなものだったらしい。


 本で読んだことのある天界は、明るく純白なイメージだったけど、実際には常に夜なのか薄暗い印象で、どこか寂しい。

 巨大な鏡のような物の前で、世界を監視する役割を与えられている。


「ツキカ様。お身体の方は、変わりないでしょうか?」


 侍女のような人が、私のそばへ来て声をかけてくれた。

 そこら中に咲いている彼岸花に触れて、私はポツリと口を開く。


「ねえ、星良は? 星良は、どこにいるの。こことは、違う場所にいるんでしょ?」

「……わたくしどもは、お答えいたしかねます」


 目が覚めてから、同じことばかり聞いているから、彼女たちも嫌気がさしているだろう。

 だけど、それはこっちも同じ。冷静でいられるわけがない。


「こんなところへ、いきなり連れて来ておいて。あなたたちって、悪魔みたいだね」


 今頃、星良も似たような状況で困っているんじゃないか。そのことばかりが気になって、眠れない日が続いた。


 天界には、時間が存在しない。ずっと同じ時が流れていて、年を重ねることもない。

 そう気づいたのは、一年ほど経ったある日のこと。私の体感での時間だから、もしかしたら数日しか経過していないのかもしれない。


 いつものように鏡の前に立っていると、世界を映す鏡面が揺れた。そこに現れたのは、あの頃と変わらない星良だった。


「星良!」

「やった、繋がった! 月架、無事?」

「大丈夫。星良は? なんともない? どこにいるの?」

「……よかったぁ、元気そうで。私も平気」


 久しぶりに声が聞けて、胸の奥が熱くなる。突然、離れ離れになって、心細かったからなおさら。

 星良の背景には、黒い百合がたくさんある。場所を特定したところで、会える可能性は低いけど。


「よく聞いて。もうすぐ、世界が終わる。月架は、早くそこから逃げて」


 あらあらしく投げ出されたセリフに、思考が追いつかない。


「なに……言ってるの?」

「もう時間がない。こっちの連中は、世界を滅ぼそうとしてる」


 後ろから、侍女たちの騒がしい声が飛んでくる。

『なにをしているのか』『鏡を閉じて』と慌てふためいているけど、そんなことどうでもよかった。

 ずっと会いたかった星良が、目の前にいるのだから。


「星良、待ってよ。出られないよ。それに、私は天の守護神で……」

「おやめください! ツキカ様……!」

「月架、また、通信する」


 両腕を引っ張られ、身動きがとれない私に向かって、星良は優しく笑ったの。


「最後は、一緒にいよう」


 それだけ言い残して、鏡面は元の色へと戻った。


 もう二度と、星良が映ることはなかった。



 星良が敵側にいると知ったのは、すぐあとのこと。

 天界とは真逆の地底に存在する神となり、星良は生活している。地球を滅亡させる役割を担っているらしい。

 信じられないけれど、それほど悲しくはなかった。

 どんな形であろうと、星良が生きていてくれてよかったから。



* * *


「ツキカ様。そろそろ、ご準備をお願いします」

「わかってる。少ししたら行くから、一人にしてくれる?」

「……承知しました」


 侍女が去ってから、私は鏡のそばに咲いている彼岸花を摘む。

 地底の神が、いよいよ行動を起こす日が来た。


 天界と地界は、はるか昔から対立している。すべての災いから地球を守る天と、すべての力を自分のものにしようとする地。

 私たちは、それぞれの神に選ばれた。ううん、選んだのかもしれない。同時に生を受け、この世界に産まれた瞬間から、決まっていたこと。

 どちらかを、選ばなければならなかった。


 鏡面に星良が現れたのは、戦線布告だと侍女たちは言う。

 心のどこかでは、信じていた。星良は、そんな恐ろしいことはできない。

 きっと、なにか作戦があって、敵を欺こうとしているのだと。


 彼岸花を胸にしまって、天界の外へ出た。ここへ連れて来られてから、初めて別の空気を吸った。

 そこは、いつもと変わらない夕焼け空だった。強いて言えば、少しだけ雲の広がりが大きくて、春の空気が重い気もする。


 なんの疑いもなく、日常通りに電車へ乗り、みんな学校へ通う。この光景を空の上から眺めながら、私は星良を待った。



「久しぶりだね、ツキカ」


 夜のとばりを下ろして、星良が現れる。一瞬にして、空気が変わったのがわかった。


「今日、世界は終わる」

「それ……本気で言ってるの?」


 曇りない瞳の中に、私はいない。


「ツキカが天の力となったように、私は地の力になるの。これが運命なら、そうするしかない。そうでしょ?」


 地の神として迎えられた星良は、染まるしかなかったんだ。あの時の私と、同じように。

 黒い百合を手に持ち、星良がひと振りすると、辺りは漆黒に包まれていく。枯れて朽ちていくように、街の光が消えていく。


「セイラ、私も覚悟を決めてきたの。一緒に、帰ろう? 私たちの世界へ。あの時の、私たちに」


 胸から彼岸花を取り出すと、天界にある鏡が現れた。ここには、世界のすべてが詰まっている。

 時間のない空間。時を戻すこともできるはず。


「その選択は、正しくないよ。ツキカ、正しい答えは、こうだよ」


 最後の一本の黒い百合で、星良は自分の胸を突いた。

 嘆きにも似た声で、私が名前を叫ぶと、胸の中心からじわりと黒い血が流れていく。

 体に触れるより先に、星良は塵となり消えた。


 地の神を失った世界は、光を取り戻し始めた。

 これで世界は救われる。侍女たちは、喜びをあらわにしていたけれど、私だけは違う。

 星良の最後は、世界を救おうとする涙の笑顔だった。



 気づいたら、私は天の鏡を割っていた。



 あれから、何度も同じ時を繰り返している。どれだけやり直しても、死神はやってくる。

 選択を変えても、世界の終わりは変えられない。


 星良を守ることがーー、できない。


 だから、私は鏡を壊して、鏡の向こうへ飛び込んだ。胸を黒く染める前に、星良を連れて。


 何億もの光が流れるように、意識が引き戻される。

 中学校の教室。『世界の終わり』と書かれた黒板。目の前には、制服姿の星良が座っていて、コロンとシャーペンが転がっていた。

 この空間だけ、時間が止まっていたかのように息ができない。


「……星良ちゃん? 宵野さんも、どうして、泣いてるの?」


 瞬きすると、たまっていた涙がポロリと落ちた。

 今は、何度目の過去なのだろう。

 それすら確かめることはできないけど、私たちはそれぞれの席で、前に向き直る。

 すべてを思い出した時、ノートを書く手が震えた。それは、となりの暁さんも同じ。


「まあ、世界の終わりとかさ、非現実的な話されても、ピンと来ないよな」

「ないって分かってるから、こんな話ができるんじゃない」


 この世界線は、平和だ。あくまでも、今は滅亡とはかけ離れたところにいる。

 私が時を巻き戻して、生まれる前に遡ったから。運命を変えたから。

 星良と仲良くなる道を捨てて、二度と同じ悲しみが訪れることのないよう。


「……やっぱ、地球最後の日は友達と一緒にいたいかな」


 授業の終わりに、暁さんがつぶやいた。


「星良ちゃん、急にどうしたの? 気が変わったん?」

「うーん、なんとなく。今はただ、そう思っただけ」


 アハハと冗談っぽく笑うと、私を見て。


「宵野さんは、どう思う?」


 ふいに話を振られて、動揺する。以前の私なら、一人で静かに過ごすのが一番だと考えていたけど。


「……私も、賛同する。大切な人を守りたいなら、一緒にいないとね」


 見つめ合う瞳の中には、私がいた。

 フッと笑って、暁さんは市原さんのところへ向かう。楽しそうにする横顔に、小さく笑みがこぼれた。

 後れ毛を耳にかけて、引き出しから本を取り出す。



「これで、よかったんだね。星良」


 開いた本のページから、挟んでいたしおりが落ちた。


 まるで、あの日見た夕焼け空のような、彼岸花がーー。




                 fin.

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