第8話 弟と弟
現実なんて書き換えちゃえ
せっかちな蝉の鳴き声が梅雨の終わりを宣言した。学ランを壁にかけて夏制服に袖を通せば、いよいよ夏が訪れる日も近い。まだ6月末の朝にも関わらず、既に蒸し暑い空気と日差しに辟易しながら、いつものように登校する。
水永は今日学校に来ない。家を出る前に本人から電話があり、「"メッセンジャー"と話があるから今日は学校を休む」という旨を告げられた。声はハキハキとしていたので、風邪を誤魔化しているというわけではなさそうだった。
「このクラスの担任をしている音切先生なんですが、諸事情で2日間学校をお休みすることになりました。今日明日の朝礼と終礼は他のクラスの先生が穴埋めをするので、時間になったら学級委員は都度呼びに行くようにしてください」
朝礼の時間に告げたのは教頭先生だ。クラスメイトの何人かが諸事情の詳細を尋ねたが、教頭先生がそれに答えることは無く、そのはぐらかし方からして家族に不幸があったのだと、勝手に結論を出して皆納得していた。
そんなイレギュラーがあったものの、今日の時間割にはハト先生の担当科目である国語がそもそも無かったため、結局はいつも通りの学校生活だった。強いて言うなら学期末考査が近いのでこれまでのおさらいが多かったが、その程度。水永とも付き合っていることを隠すために、学校の中では殆ど話していない。だから少し物足りなさを感じるだけで、いつも通りだった。
「三葉、少しいいか」
「ん」
変化が起きたのは昼休み。購買で買ったたまごサンドを教室で食べているときに、意外なクラスメイトから声を掛けられた。
「誠か。お前が俺に話しかけてくるなんて珍しいな」
「悪いな、急に話しかけて。食事中に」
月谷誠だ。美術部に所属する背の高いインテリ眼鏡。目つきが鋭いのと体格のせいで不良に勘違いされることが多いが、実際はその真反対で、花をこよなく愛する優しい男である。誠の実家が営んでいるルナガーデンという花屋には俺も何度かお世話になっている。水永を除けば、唯一友達と呼べる間柄だ。
「それで、俺に何か用?」
「話がある。僕の姉のことだ」
たまごサンドを食べようとして、止めた。
思い出す。俺と誠が出会うことになったきっかけ。誠のことを友達ではなく、兄の彼女の弟として認識していたあの頃。
あの人と直接話したことは無いけど、名前も顔もよく知ってる。
「放課後、待っているぞ。屋上で」
「分かった」
月谷華。誠の姉貴。兄貴の恋人だった人。
♢
屋上は本来立ち入り禁止の場所であり、入れることは滅多にない。無断で入ろうとしても屋上に出る扉は常に施錠されており、その鍵を手に入れるためには校長から許可を取る必要がある。その許可だって頼めばホイホイと貰えるものではなく、部活勢が集合写真を撮るときぐらいにしか与えられないはずなのだが、誠はどうやってかその鍵を持っていて、俺が屋上に着いたときには既に鍵を開けて待っていた。
「改めて悪いな。急に呼び出して」
「別にいいよ。今日はたまたま暇だったし」
誠はフッと小さく笑う。柵を背もたれにして腕を組む姿が、逆光も相まって非常に様になっていた。
「そっちこそ大丈夫だったのか? 今日は美術部の活動ないの? オフ?」
「心配には及ばない。僕は美術部のエースだ」
「そ、そうか……相変わらず凄い自信だな」
答えになっていないという言葉は飲み込んでおく。閑話休題、ここまで堂々と言い切られるといっそ清々しいものがある。美術部で誠がどのような活動をしているのかは知らないが、誠がどんな作品を作るのかは顔を見れば分かる。
「『世界』はただの遊び場さ。そして僕は人より楽しめる遊び方を知っている。それだけだよ」
瞳孔の開いた目、狩人のようなこの顔。テレビ、ネット、所謂アスリートやスーパースターと呼ばれる人間が時々する顔によく似ている。そういった人間は殆どが"好き"にのめり込んでいる。誠も、その類の人間なのだ。のめり込める程好きになれるものに恵まれた人間。
「なんだか羨ましいな。そこまで夢中になれるものがあるって」
素直に羨ましいと思う。美術にのめり込んでいる誠の姿は、とても楽しそうだから。一度真似をして家で動物の絵を描いていた時期があったけど、俺はのめり込める程美術を好きになることはできなかった。
「? 良かったらチケットやるぞ。美術館の。芸術は見るのも楽しいからな」
逆光のせいか、誠の顔が眩しく見える。
「2枚くれ」
誠は破顔した。
「僕は"メッセンジャー"を探している」
軽い雑談を終えた後、誠が柵にもたれるのを止めて口を開いた。
「ソレ、なんか最近流行ってるよな。あのハト先生ですら知ってたぞ」
「嘘だろ? あの時代遅れでナンセンスなハト先生が?」
「あぁ、そこまでボロクソ言っちゃうんだ。気持ちは分かるけどサ」
クラスでも休み時間や昼休みのときに"メッセンジャー"の話題で盛り上がっているグループを見かけることが多い。1年生の頃はちっとも耳にしたことが無かったのに、2年生になってからはほぼ毎日のように"メッセンジャー"という単語を聞く。単純に1年生のときはこうしたオカルトに興味があるクラスメイトがいなかったと考えるのが自然だが、どうしても、水永が言っていた『物語』によって仕組まれたのではないかと考えてしまう。
「でも所詮は都市伝説だろ? 真面目に信じてる奴の方が少ないだろ」
「僕は実在する人物だと考えている。というか、お前もそうだろ?」
「え、なんでそう思うの」
「なんでって、お前が太陽さんの弟だからだよ」
その言い方に違和感を覚える。
「どういう意味だよ?」
「……お前、まさか知らないのか?」
「何を」
何故俺が兄貴の弟であることが、俺が"メッセンジャー"の存在を信じていると考える根拠になっているのか? 聞き返すと、誠の眉間に僅かにしわが寄る。言葉を選ぶように唇を動かす様子から、誠の中で何か予想外が起こったのだと理解できた。
「やっぱり、なんでもない。忘れてくれ」
「いやいや、そんなこと言われたら逆に気になるだろ。俺の兄貴がなんなんだよ?」
「気になるなら姉と話してくれ。僕よりも本人から聞いた方が早い」
俺の知ってる兄貴と誠が語る兄貴の像が結びつかない。4月にハト先生から話を聞かされたときもそうだった。
俺は弟として誰より近くで兄貴の背中を見てきた。誰より兄貴のことを知っているんだ。一度も疑ってこなかったその自負に今、罅が入っていく。内側から何かが這い出そうとしている感覚がした。
「とりあえず、兄貴云々は置いておくとして」
そんな言い訳で罅を埋める。何かが這い出してこないように。
「なんで"メッセンジャー"を探してるんだ? まさか兄貴の言葉を聴きたいのか?」
「そうだ」
月谷は躊躇わずに肯定した。
「太陽さんの声を、姉に伝える。そうすれば姉も、立ち直れると思うから」
「つまり、俺にも協力してほしいってことか?」
「そうだ」
少し間を置いて、俺は首を横に振った。
「そういうことなら、俺は手伝わない」
「……何故だ。"メッセンジャー"の存在を疑ってるのか? お前は」
「そういうわけじゃない。ただ単に、兄貴の言葉を聴きたいって思ってないだけ」
月谷の表情が凍り付いた。
「なんで……家族なんだろう? 声を聴きたいと思わないのか?」
「家族だからだよ。ただ声を聴くためだけに、生きる苦しみから解放されて眠っている兄貴を無理やり起こしたいって、俺は思わない」
死んで、今兄貴は永い夢を見ている。実際はどうか分からないけど、俺はそうあって欲しい。もう苦しい現実なんて忘れて、楽になって欲しいから。
「俺は何も手伝わない。だけど友達のよしみってことで、ひとつだけ教えておく」
言葉を探して、言葉を吐いて、罅を埋める。鳴いても、声が聞こえないように。
「"メッセンジャー"は実在するよ」
ただ一言、俺は月谷に告げた。
「まさか、やはり本当にいるのかッ!? それなら"メッセンジャー"は……お前は誰か知ってるのか!?」
「俺が知ってるのは実在するってことだけだ。ぶっちゃけ又聞きしたようなもんだしな。それ以外のことは本当に何も知らない」
人探しを手伝うつもりはないし、誠の人探しを邪魔するつもりもない。その旨を伝えると、誠は険しい表情を浮かべた。
「本当にいいのか?」
「いいんだよ、別に。声を聴こうとは思わないけど……声が聴きたいっていう気持ちは痛いほど分かるから」
「そういうことなら……分かった。ありがとう、情報提供感謝する」
言い訳は全部嘘じゃない。だって全て、嘘偽りない俺の本音だ。兄貴が死んで1年と3ヶ月。想像よりもずっと長い時間の中で、一度だって自分の本音を疑ったことは無かった。それはこれからも、ずっと。
────どこからか蝉が鳴く声が聞こえた。
「……なぁ、誠」
「ん、どうした?」
知りたい。俺が知らない兄貴のこと。兄貴が隠した三葉太陽という男の正体を。
「頼みを断っておいて申し訳ないんだけどさ、ひとつお願いがあるんだ」
この長い1年3ヶ月よりも、刹那に過ぎた12年が口を開く。
俺は弟だと叫び出す。
「華さんに会わせて欲しい」
暑い夏が始まろうとしている。
おとうととおとうと
逆から読んでも
とうとおととうとお




