第7話 雨と寝言
今回はイチャイチャします
「暴走したトラックに轢かれて原型が残っただけ奇跡でしょうな。折れたあばら骨が心臓に刺さっていて、ここに搬送されてきたときには既に死んでいました」
気が滅入るような人工照明の狂った明るさの中、若い男の医師が病院にやってきた俺と母さんに告げた。
「なんでなのよぉぉぉ!! 父さんに続いて太陽までッ!!!」
兄貴の死を聞いた瞬間、母さんは憑りつかれたように絶叫をあげた。まともな人間が壊れたその瞬間を、俺は隣で見ていた。
「しかし正気の沙汰ではない。子供を助けるとはいえ時速100㎞で暴走するトラックに自分から轢かれに行くなんて。そんなバカなことをしなければ長生きできただろうに」
医師の言葉は妙に冷たい。しかし奇妙なことに、口ぶりの割に兄貴を侮辱するような気持ちは感じられない。
「返してェッ!! 私の太陽を返してよォ!!? この人殺しィ!!!」
錯乱して、母さんは医師の胸倉を掴んだ。
「医者ならなんとかしなさいよ!! もう1回人工呼吸してよ! 太陽に酸素をあげてッ、お願いだからァッ!!」
狂ったように懇願する母さんに医師は表情ひとつ動かさない。母さんの手を振りほどくこともせず、受け入れることもせず、しかしどこか失望したような眼差しを向けていた。
「人殺しはそちらではありませんか? 彼がどんな思いを抱えていたのか、本当は知っていたくせに見ないふりをした。彼はずっと貴方たちを気遣っていたというのに」
医師の声に突如として感情が発露する。泥のように重たい感情、それは憎しみだった。
「本当は分かってるんでしょう?」
突然、医師が俺の目を見た。
「これは事故ではありません。自殺です」
雨が降る交差点の中、医師が俺に告げた。違和感を覚えてあたりを見回すと、奇妙なことに誰もいない。さっきまで医師の胸倉を掴んでいた母さんも、気付けば消えたように姿が見当たらなかった。
「誰……?」
名札には『三葉』と書かれている。
ハッとなってもう一度見た医師の顔は、兄貴と全く同じだった。
「おいでよ普」
兄貴が笑った次の瞬間、交差点にクラクションの音が鳴り響いた。
「────!?!!」
目が覚める。そこは交差点ではなく、いつもの俺の部屋だった。汗で濡れた肌着の感触が気持ち悪い。夢を見ていたのだと理解した瞬間、長い時間息を止めていたかのような息苦しさと臓器をひっくり返されたような耐え難い吐き気が一気に襲い掛かってきた。
パチパチと雨が降っている。カーテンを開けて窓から外を見下ろすと、家のすぐ前に車が1台停まっているのが見えた。
「アブねぇだろうがクソ坊主! 自殺に俺を巻き込むなッ!!」
「だ、だって走ってたから止まれなくて」
「テメェの親はイノシシかァッ!? 死ぬならひとりで死にやがれ! 人じゃなかった、1匹で勝手に死んどけよォ!」
飛び出しがあったのか、運転手らしき男がランドセルを背負った男の子に声を荒げていた。どうやら俺はクラクションの音で目が覚めたらしい。先ほどの記憶が夢であったことを理解して、安心すると同時に最悪な気分を味わった。
雨は嫌いだ。雨の日は夢見が悪くなる。兄貴が死んだ日も雨が降っていた。全く、雨というものには碌な縁が無い。今は何時かと確認しようとスマホを見ると、既に8時41分。おまけに梅雨入りしたというニュースまで流れてくる。
「くたばれよ梅雨」
憂鬱に舌打ちする。それにしても身体が重い。悪夢を見たせいだろうか? いつもより吐く息に熱が籠っている気がする。1階に降りた後、水分補給のついでに体温計で熱を計ることにした。
【38.6℃】
「うわ……」
風邪を引いた。
♢
学校を休んだのは初めてだった。俺は腐っても医者志望、体調管理には気を配っていたが、ここ最近は精神的に参っている部分があったせいか、それが体にも影響を及ぼしたのかもしれない。
俺は今何のために生きているのだろう。
布団を被っても逃げられない現実に襲われる。こうして静かな場所でひとりでいると考えてしまう。寝ることしかできないせいで気を紛らわせることもできない。
生まれてきたことに理由なんて付けるな、とハト先生は言った。俺はまだ『子ども』だからと理由を付けた。俺にはそれが分からない。だったら『大人』ってやつになれば許されるのか? そんなのただのズルじゃないか。
生きるのが怖い。何のために生きるのかすら分からないまま死ぬのが、俺は怖くて仕方がない。だからせめて、納得できる理由が欲しい。自分が生まれてきたことには意味があると、誰でもいいから認めて欲しいだけなんだ。それなのに『子ども』だからダメだって、そんなの納得できるか。
今なら水永の考え方が分かる気がする。なぜなら登場人物には役割がある。この世界が物語だとしたら、俺が抱くあらゆる感情も疑問も設定された記号だ。登場人物はただ与えられた訳をありのまま演じるだけでいい。だから、何も難しく考える必要なんてない。────なんて納得できたら、どれだけ気が楽だっただろうか。
このクソみたいな現実と恐怖は、紛れもなく本物だ。だからこんなにも息苦しい。
「疲れた……」
今の俺はきっとハト先生みたいに生気のない顔をしていると思う。そのハト先生はいつもコーヒーを飲んでいた。
コーヒーを飲めるようになったら、俺も『大人』になれるのだろうか?
「────『大人』をなんだと思ってるんですか」
俺の疑問をそう切り捨てるのは、学校終わりに俺の家に来た水永だ。一度も教えたことが無い俺の家の場所を特定し、玄関の鍵を開けて勝手に入ってきた。なんで当然のように俺の家の鍵持ってるんだろう。
「何もそこまで否定しなくたっていいじゃないか」
「会って早々にどうでもいい疑問を投げかけられる私の身にもなってください。こっちは心配で走って看病しに来たっていうのに。余計なことに頭を使わず安静にしててください」
「必要ない。こちとら医者志望だ。体調くらい自分で管理できる」
「できてないから風邪を引いたんでしょう? 四の五の言わずに寝てなさい」
付き合い始めてから、水永に呆れられることが多くなった気がする。恋人というか、手のかかる弟の世話を焼いてる姉みたいな目をすることは多くなった。俺に亡くなった弟の姿を重ねて見ているのかと思えば、それは確かにそうだと言えるが、単純に俺のことを生活能力皆無のダメ男だと思ってる節がある。
「ところで、ご飯はしっかりと食べていますか?」
「一応……朝にカップ麺食っただけ」
「朝から食べるものではないですよね? 食欲があるだけマシとはいえ……というか、さっきリビングでゴミ箱をチラッと見ましたけど、何ですかあの夥しい数のカップラーメンの容器は。アレ全部貴方が食べたんですか?」
頷くと、水永は顔を真っ赤にして怒りだした。
「自分の身体を蔑ろにする医者がどこにいるんですか! 作るのが面倒なだけなら私が作ってあげますからちゃんとしたご飯をたべてください! コンビニ弁当とか出前も禁止です!」
「うるさい……頭痛いから叫ぶな。あと、ぶっちゃけ医者になる気そんなにないし」
「へ・ん・じ・は?」
「…………はい」
完全に尻に敷かれている。どうしてこうなった。
「言っておきますけど、私の"観測"から逃げられると思わないでくださいね。貴方が一瞬でもカップラーメンを食べようと思った次の瞬間には食材片手に突撃しますので。飯テロです」
「飯テロって飯持ってテロすることじゃねぇよ」
俺がそう言うと水永は安心したように笑みを浮かべる。その後、水永は俺の家に来る途中でスーパーに寄ってきたことを明かし、温かい卵粥を作って部屋まで持ってきてくれた。
「はい、三葉君。あーん」
「いや、自分で食えるんだけど」
「あーん」
「あの」
「あーん」
「……あ」
圧力に負けて口を開けると、木製のスプーンのヘッドに盛られた卵粥が口の中に入ってくる。水永の手つきは随分と手慣れていて、俺を見つめる目には幼子へ向けるような慈しみがあった。
「おいしい」
言うと、水永は笑みを深くした。
「さっき、医者になる気が無いと言っていましたが、本当なんですか?」
卵粥を食べ終えて少し時間が経った頃、水永は俺の言葉を思い出したように言った。
「無くなったって言った方が正しいかも」
「昔は医者になりたかったと?」
「うん」
「それは、やはり1年前の事故と関係が?」
頷く。水永の表情が、少し曇った。
────周知の事実だけど、俺は頭が良い。兄貴よりもお母さんよりも間違いなく。なんならお前よりも。学習能力が高いとか記憶力が良いとかそんな部分的長所じゃなく全てにおいて俺は秀でてる。小2の頃、宿題を忘れたら激怒する算数の先生が宿題を忘れた俺を怒らなかったとき、初めて自分が『三葉普』ではなく『天才』として認識されていることに気が付いた。だから俺はダメなことをしたらキチンと怒ってくれる兄貴と母さんが好きだった。
医者になって多くの人を助けるんだよ。と俺に言った兄貴は、子どもひとりすら助けられずに死んだ。人の痛みが分かる大人になりなさい。と言った母さんは、兄貴を救えず頭を下げた医者を口汚く罵った。医者になりたいと思う気持ちはそこで消え失せた。
「その日からずっと、俺は生きる意味を見失ったままだよ」
ひとしきり言い終えた後も、雨音はまだ部屋に響いている。話してる途中で布団を被り、寝返りを打って水永に背を向けたので、水永がどんな顔をしているのかは分からなかった。
「なぁ水永。俺は風邪で今寝込んでる。だから今から何を言ったとしても、それはただの寝言だ」
「え?」
「俺はお前に恋愛感情を持ってない。お前が俺のどこに惚れたのか未だに理解できないし、これから先、お前に恋愛感情を持てるかも分からない。でもなんだかんだ、お前に好かれて悪い気はしてない」
パチパチという雨音が部屋にこだましている。その中に混ざっている、水永が少し驚いたように息を吐く音も、衣擦れの音も、今はハッキリと聞こえる。
静かだ。
「今日だって、お前が来てくれたときは安心した。独りぼっちじゃないって思えたよ。だから、ありがとう」
雨は嫌いだ。でも今日は、悪くない。
「……そこは"好きだぞ"って、言って欲しかったですね」
あぁ、この声は。水永はきっと嬉しそうに微笑んでる。顔が見えなくてもこれは分かる。
『特にアイツは危なっかしい。水永は────』
不意に、ハト先生の言葉を思い出した。
「お前は死ぬなよ。独りぼっちはもうごめんだ」
「ふふ……素直じゃない人」
頭に柔らかい感触がした。頭の形を確かめるように、髪をなぞるように動く。頭を撫でられているのだと、遅れて気が付いた。
「貴方の方こそ、死なないでくださいね」
「言われなくても」
「あら良い返事、寝言なのに起きてるみたいですね」
クスクスと笑う声が聞こえる。
「────おやすみなさい」
母さんが帰ってくる直前まで、水永は寝ている俺の頭を撫で続けていた。




