第4話 告白・Ⅰ
学年末考査は恙なく終了した。毎度恒例となっている学年順位の貼りだし、廊下の壁の一部を占拠した大きな紙は、俺と水永が同率で1位であることを示していた。驚きはない。例え負けていたとしてもそれは同じことだ。だからと言って負けてやるつもりはない。そもそも、全教科満点なので負けることが出来ないのだが。
閑話休題。すぐに水永から件のトークアプリを通じて連絡がきた。
『明日はふたりで台上動物園に行きます』
なんとも彼女らしい、まるで既に確定したことを淡々と告げるような誘い方。しかしらしくない。こちらの意志を考慮しない強引なやり方は初対面の時を思い出す。あのときはそうしないと都合が悪いからという理由で強引なやり方を取ったらしいが、今回もそうなのだろうか?
どのみち俺に選択肢など無いようなもの。明日は休日だから学校もないし予定も特にない。水永に『わかった』とだけ返信することにした。
しかし台上動物園か。懐かしい、小学校の頃兄貴に連れられてよく行ったのを覚えている。そういえば兄貴はライオンが大好きだったな。最後に行ったのは3年前だが、あのとき見た年老いたライオンはまだ生きているだろうか? 調べようか少し迷ったが、その前に女性と一緒に遊びに行くときの注意点などを調べているうちに一日が終わっていた。
「おはようございます、三葉君」
「おはよう水永、待たせてごめん」
「大丈夫ですよ。私も今来たばかりなので」
────迎えた翌日、動物園の入り口で待っていた水永は、動物園には似つかわしくないようなガーリー系のファッションに身を包んでいた。リボンやフリルがふんだんにあしらわれた服装を着てくるとは意外だ。彼女の雰囲気からしてもう少し大人びた、飾り気の少ないクラシカルな衣装を好んで着そうだと思っていたが、偏見だったらしい。
そんな可愛らしい服は彼女の雰囲気に合っていないかと言われればそんなことはなく、むしろその逆。彼女の超然的な態度の裏側に隠れた年相応な部分が服装に露出しているようで愛らしい……なるほど、これがギャップ萌えか。確かにクラスの男子が夢中になるのも頷ける。
「その服似合ってるよ。お前は飾らないシックな服の方が似合うと思ってた」
「……そうですか」
水永は一瞬目を丸くさせた後、頬を染めながら目を逸らした。意表を突かれて照れたらしい。
「お前が男子から人気を集める理由が理解できた気がする」
「あの、もうその辺で……」
予想していなかった反応に俺は一瞬戸惑ったが、ふと思いついて水永をまた褒めてみると、やはり彼女は言葉に詰まったように顔を伏せる。
「なんだよ、素直に褒める俺はお前の解釈には無かったのか?」
「うるさいですよ」
頬を赤く染めたまま抗議するような目を向けてくる彼女の姿は年相応な中学生だった。いつも手玉に取られてばかりだったから、後手に回る水永の姿は新鮮で。きっと俺は悪い笑顔を浮かべていただろう。
「全くもう。ニヤニヤしてないでさっさと行きますよ」
「はいはい」
後から能力でやり返されても嫌なので素直に引き下がる。その後、俺は態度の割に上機嫌な水永と一緒に動物園に入園した。
♢
「我々は幾つものテクストによって性質やあり方を定義され、この世界に存在しています」
園内を散策する途中、水永は檻の中にいる動物たちに目を向けながらそう言った。
「例えば『ライオン』や『サル』、そして『ニンゲン』のような種族を示す言葉は……そうですね、テクスチャーとでも言いましょうか。簡潔に言うなら世界によって貼り付けられる記号であり設定のようなものです。そこにまた"名前"や"身分"といった細かなテクストを張り付け、これらのテクストを総合あるいは統合することで初めて我々は個体を区別することができる」
くり貫かれたような窪みの中にあるサル山の柵の前で水永は足を止めた。園内でも一、二を争う人気があるこのサル山は人気に見合う広大な面積を持つ。パッと見ただけでも確実に20匹以上のサルがいることが分かる。
「ここにはたくさんサルがいますね」
「そうだな」
「では、質問です。私は今、彼・彼女らのことを一括りに『サル』と纏めました。それはどうしてでしょうか?」
水永は薄く笑って、俺を試すような目を向けた。俺はサル山に目を向ける。そこには日向で呑気に寝ているサルもいれば、おもちゃと思しき小さな何かを巡って取っ組み合いの喧嘩をしている血気盛んなサルもいる。
「────さぁ。特に意味なんてないんじゃないか?」
「その心は?」
考えてから答えると、水永は興味深そうな声で聞き返してくる。
「そもそも『サルが沢山いる』っていう状況を説明する必要が無い。だって俺とお前は今同じ場所にいて、同じ物を見ているんだから。そうだろ?」
顔を上げて水永を見ると、水永はジッと俺を見つめていた。
「そうですね。私と貴方は今、同じ場所で同じ物を見ています」
水永は嬉しそうに笑った。
その後、サル山を見飽きた俺たちは目当てもなく園内を練り歩いていた。ときたま目に入った動物の前で足を止め、飽きたらまたブラブラと園内を歩き回る。足を止めるたびに水永はその動物たちについての雑学や豆知識について語っていた。得意げに、それでいて楽しそうに知識を披露する彼女は記憶の中の兄貴とよく似ていた。
「ほらこっちだ! 早くしないと置いていくぞ!」
「待ってよお兄ちゃん!」
前から走ってきた子供たちが俺たちの真横を通り過ぎる。兄に置いて行かれまいと必死に走る男の子の背中に、自然と足が止まった。目で追いかけようとして、でもその頃には名も知らぬ兄弟はもう見えなくなっていた。それに名残惜しさと覚える自分がいた。
「ライオンは百獣の王、生まれながらにして王であることを定義付けられた動物です」
歩き回った末に辿り着いたライオンの檻の前で水永は言う。
「百獣の王だからライオンなのか、ライオンだから百獣の王なのか。解釈の仕方は様々ですが、共通して言えることはひとつあります。それは常に強者であることです」
断言する水永の視線の先には力なく横たわる老いたライオンの姿があった。3年前に兄貴と一緒に見たライオンだ。どうやらまだ生きていたらしい。しかし長くはないだろう。記憶の中にあるそのライオンは、少なくとも人前で弱っている姿を見せることはしなかった。
「あそこで横たわっている老いたライオンは、果たして強者と呼べるでしょうか?」
「強者だろう。老いに負けずに生きてるだけでも凄いことだ」
「あら、私の弟と同じようなことを言いますね」
「そうなのか?」
頷きながら、水永は懐かしそうに微笑んだ。
「3年前に玲央と一緒に来たことがあるんです。玲央はあの老いたライオンを見て、今なお老いという敵と闘っている戦士だと言いました」
「戦士」
戦士、老いと闘う戦士か。なるほど、面白い考え方だ。
「……兄貴は、あのライオンを見て守るべき弱者だって言ってたよ」
「そうなんですか?」
今度は俺が頷く番だった。
「兄貴は優しい人だったけど、それが行き過ぎてたまに失礼になるときがあったんだ。相手が弱者として扱われることを望んでなくても無意識にやっちまうっていうか、年寄りとか子供に対しては配慮が過剰になるきらいがあった」
これは兄貴の唯一の欠点と言える部分だ。電車で年寄りに席を譲ろうとして相手が断っても「あなたはご高齢なんですから体を労わるべきだ」なんてことを平気な顔で言い放ち、挙句相手を怒らせてしまったこともある。悪意ではなく純粋な善意でやってしまうからなおさら質が悪い。
「玲央とは真逆の考え方をする人ですね、貴方のお兄さん」
「でもライオンが大好きだった」
「そこは玲央も同じです」
思い出話に花が咲く。弟と過ごした日々、兄貴と過ごした日々。水永玲央がゲームとカッコイイものをこよなく愛するやんちゃな小学生だったことを知り、三葉太陽が漫画やアニメが大好きでヒーローに憧れるような理想家の中学生だったことを話した。
「お前の弟と会ってみたかった」
俺がそういうと水永は、
「貴方のお兄さんとお話してみたかったです」
と言う。
そうやって話し終えた後、去来したものは冷たい風のような虚しさだった。楽しかった頃の話をしたはずなのに、心は憂鬱の暗い水底に沈んでいく。自分たちがしていることが傷の舐め合いにもならない精神的な自傷行為ことを自覚したのはそのときだった。
「休憩しよう。少しの間だけ」
水永は何も言わずに頷く。人が少ない屋内休憩所の一席に座った後、会話はしばらくの間無かった。今は声を掛けない方が互いの為になる。俺はそう思っていた。だが水永はそう思っていなかったようで、意を決したように息を吐いた後、閉ざしていた口を開いた。
「三葉君。私は今からとんでもないことを言います。心して聞いてください」
その声には微かな緊張の響きが滲みだしていた。僅かに汗を流す姿を見て、彼女が今から口にするだけでも汗をかくような何かを俺に告げようとしていることを理解する。自然と俺の背筋は伸びていた。
「このままいけば1年後……私か貴方のどちらかが死ぬことになります。或いはふたりとも」
「とんでもないって言うか……本気で言ってんのか?」
信じられない。というのが素直な感想だった。普通なら荒唐無稽だと切り捨てる話だが、目の前にいる少女が持つ力はそれ以上。その現実味のなさが逆に説得力を持たせていた。
「世界とはひとつの巨大な本であり物語。故に我々の人生は物語によって定められたシナリオに過ぎない」
「……俺たちは物語の都合で死ぬってことか?」
答えは水永の顔を見れば明らかだった。
「もうひとつ聞かせろ。まるで未来でも視たような言い方だったが、お前はどうやってそんなこと知った?」
1年後に俺か水永が死ぬことになると、水永はハッキリと言い切った。最初からそうなることを知っていたような言い方だ。仮にそうだとしたらそこには彼女の能力が絡んでいるだろう。しかし水永の能力はあくまで自身が関与していた過去にしかアプローチすることが出来ない。未来のことを知るなんて不可能なはずだ。
「お前、能力のことで俺にまだ言ってないことあるだろ」
振り返ってみれば、初対面のときの水永はやけに"タイミング"というものを重要視していたように思える。それだけに限らず、彼女の言動には所々で計算的というか、特定の言動を特定のタイミングで実行するNPCのような無機質さを覚えることがあった。初対面の時は特にそれが顕著で、なんで今まで気づかなかったのか不思議に思うくらい露骨な説明口調が多かった。
「お察しの通り、私は特異な力をもうひとつ持っています」
追及すると水永は素直に肯定した。
「私が持つもうひとつの力はこの世界────『デカルコマニー・ラヴァーズ』という物語の観測。平たく言うなら"作者の視点"です」




