第2話 運命の出会い
事故から間もなくして俺は小学校を卒業し、中学生になった。兄貴が亡くなった事故は台上交差点トラック暴走事故という名前でニュースでも取り上げられた。喪に服すという言葉を知らないマスコミの押しかけに辟易していたが、ある程度時間が経つと忘れたように来なくなった。
母さんが受けた心の傷は思っていたよりも深かった。毎日毎日兄貴の遺影を見ては溜息を吐く。見てるこっちの気が滅入るからやめてくれと言ったことがあるが、それが原因で喧嘩になり、それ以来会話を交わすことは殆どなくなった。
もし兄貴が生きていたら、喧嘩なんてせずに母さんを励ますだろう。あの人ならそうする。だって俺よりずっと優しいから。そう考えると母さんも運がない。きっと俺が死ねばよかったと思っているはずだ。俺だってそう思っている。
俺は何のために生まれてきたのだろうか? 葬式の会場の中で抱いた疑問は今も俺の首を絞め続けている。答えを出そうとすると息が苦しくなる。考えるだけ無駄だった。だから俺は考えることをやめた。この息苦しさは死ぬまで俺に付き纏ってくるのだろう。
こうした息苦しさを抱えているのは俺だけではないはずだ。夢や理想を抱いていた子供はやがて現実を知り、それを抱えたまま大人になることの難しさを痛感する。大会で負けた。何度も練習したのに本番で失敗した。スポーツなり芸術なり、そういった機会はいくらでもある。そうして夢を諦めて、息苦しさと共に大人になるんだ。
俺はひたすら勉強に明け暮れた。そうしないと考える余地が出来てしまうから。兄貴の遺志を継ぐために、なんて高尚な思考は微塵もない。狂ったようにノートに文字を書き続けるのは、ただの逃避だ。その甲斐あって成績は常に学年首位、我ながら皮肉なものだ。クラスメイトから送られる賞賛には悪い気はしなかったが、それでも俺の心を癒すことはなかった。そもそも現実逃避の産物なので素直に喜べなかった。
────歳月は流れて、台上交差点トラック暴走事故から丁度1年を迎えた今日。俺が通う台上中学校は学年末考査を目前に控えていた。授業が終わった後、生徒たちの大半は家に帰るか部活に行く。特に部活動に参加していない俺はいつもならそのまま帰宅するのだが、下駄箱の中に入れられていた1通の手紙によってそれは阻まれた。
「ラブレター……じゃなさそうだな。送り主は誰だ?」
独り言を言う。考え事をしていると無意識に出てしまう俺の癖だ。頭の中を整理するときは案外重宝する。周囲に迷惑が掛かるので普段は抑えているが、今は周りに誰もいないので少しくらいは大丈夫だろう。
封筒には猛々しいライオンの封蝋が施されていた。しかし今時珍しい。デジタル化が進んだこの時代に手紙を選択するセンスもそうだが。送り主はこうした古風なものをカッコイイと思うタイプ、となると男だろうか? 数ある動物の中でライオンをチョイスしたことは評価できる。
「……いい香りがする」
思わず口に出てしまう。封筒から取り出した1枚の便箋はしわの一つもない白いハンカチのような清楚な香りを纏っていた。母さんが好んで使うスズランの香水と匂いがよく似ている。
しかしいよいよ送り主の性別が分からなくなってきた。男子にしろ女子にしろ、俺は校内でスズランの香りがするような人間とすれ違ったことがない。教師にしてもそうだ。そもそも香水の類は校則で禁止されていると思う。
一体何が目的だろうか? 警戒と好奇心を混ぜこぜにした感情を抱きながら俺は便箋に目を通した。
『メッセンジャーより愛をこめて。
台上交差点トラック暴走事故について貴方にお話したいことがあります。
旧校舎3階の空き教室でお待ちしております』
気付けば俺の足は旧校舎に向かっていた。台上交差点トラック暴走事故。その単語に反応せざるを得なかった。事故のことはニュースにもなっているから、モラルの無い何者かによって仕掛けられた悪質な悪戯の可能性だってある。よく考えずに向かうのは危険だ。それでも俺の身体は思考を置き去りにして動く。まるで誰かに操られているみたいだった。
渡り廊下を抜ける。所々錆びついていた重たい扉を押し退ければ、人気のない廊下が俺を出迎えた。今はもう使われていない旧校舎。窓から差し込んだ西日に照らされた廊下はかつての喧騒を思い出すように輝いている。センサーがまだ生きていたのか、階段に足を掛けると踊り場の照明が独りでに点灯した。
今すぐにでも踵を返して帰りたい。だって【三葉普は3階の空き教室に行かなければならない】……そうだ、早く3階に行かないと。俺は階段を駆け上がった。
三階の廊下に出た瞬間、照明の数々が待ち構えていたかのようにして一斉に点灯した。気圧されて思わず息を呑んでしまう。慎重に、明かりが点いていない教室の引き戸に手を伸ばした。
ガラガラと音が鳴る。扉の先にあるのは薄暗い空き教室だ。放課後の喧騒はもう遠く、机と椅子は隅に押しやられている。黒板の上にある時計の針は死んでおり、この空間だけ時間が停止しているような感覚を覚えながら教室に入る。
スズランの香りがする。教室の中にはひとりの女子生徒が佇んでいた。
「お前が手紙の送り主、だよな?」
俺が声を掛けると、女子生徒はこちらを振り返って体を向けた。顔を見た瞬間、その女子生徒がクラスメイトであることに気が付いた。
「ちょっと待て。お前……まさか水永か?」
水永清音。俺と同じクラスの女子だ。濡羽色の長い黒髪に涼しげな目元。彼女はいわゆるクラスのマドンナ的な存在で、俺は話したことは無いが、それでも顔と名前くらいは知っていた。
「その通り、私の名前は水永清音。貴方と同じ1年3組の生徒です」
水永は頷いて肯定する。川のせせらぎを思わせる、落ち着いていて清楚な声だった。
「意外だな。噂じゃお前は男嫌いだって聞いたが」
「それについてはご想像にお任せしますが、今回は訳が違います」
「手紙には"メッセンジャー"ってあったけど……今のお前は水永ではなく、その"メッセンジャー"ってわけ?」
「いいえ。貴方をここに呼び出したのは私ですが、私は"メッセンジャー"ではありません」
「……どういう意味だ?」
水永の言っている意味がイマイチ理解できなかった。そもそも"メッセンジャー"とは一体何なんだ?
「ご存知ではないようですので説明しましょう。この学校には"メッセンジャー"と呼ばれる霊能力者がいます。死者の声を聴く力を持ち、依頼に応じて死者の言葉を生者に伝える。表向きには都市伝説として認知されていますが、能力を含めて実在する人物です」
「……俺、まだ何も言っていないと思うけど」
「洞察力には自信がありまして。貴方の様子を見て何を考えているのかを予測しました」
薄く笑う水永の姿に薄気味悪いものを覚えてしまう。ストーカーに自分のことを一方的に知られているような、そんな気分の悪さだ。考えていることが読めない。一体何が目的だ? なんのために偽名を使って俺を呼び出した?
「私が"メッセンジャー"を名前を使って貴方を呼び出したのは、その方が都合がいいからです。言い換えれば、このタイミングで"メッセンジャー"の存在を示さないと色々と都合が悪いのです。ちなみに本人からも許可は頂いてます」
「悪いがお前が何を言ってるのか俺にはまるで理解できない。……というか、その妙な話し方はなんなんだ?」
ライオンの封蝋しかり、手紙の香水しかり、まるで小説の登場人物みたいなことをする。なぜわざわざそのようのことをする?
「まさか中二病────」
「断じて違いますから」
水永は食い気味に否定した。中二病じゃないなら素でこのセンスなのか? それはそれで怖い。
「だったら普通に話してくれないか」
「失敬な。私はこれが普通ですよ」
「あっそ」
多分、何を言っても無理だ。俺は諦めた。
「それで、話を戻すが、さっきから言ってる"メッセンジャー"ってのは誰のことだ? お前の友達か? それともそういう設定か?」
「貴方もよく知っている人とだけお答えしましょう。というか設定って、貴方まだ私のこと疑ってるでしょう?」
「逆に疑わない方がおかしいだろ。いきなり呼びつけておいて霊能力者だのメッセンジャーだの、訳の分からないことばっかり。その癖ロクな説明もしない。真面目に信じる奴がいると思うか?」
「……むぅ」
水永は不満気に頬を膨らませる。
「分からず屋にはこうです」
そう言いながら水永は手をかざす。それはまるで本のページをめくるようなしぐさだった。しかし何も起こらない。俺の頭の中に【水永清音の言葉は全て真実である】という言葉が浮かんできただけで…………?
反射的に頭を押さえる。何が起きたのか、理解した瞬間に全身に鳥肌が立った。
「……何しやがった、お前」
催眠とか、洗脳とか、そんなちゃちなモノじゃない。どうやったのかは知らないが、コイツは今俺の思考に干渉してきた。思考誘導……いや、書き換え? さっき階段を上ってきたときの感覚も多分今のと同じだ。
一体何がどうなってる?
「まだ秘密です」
水永は薄く笑う。
「ともあれ、少しは話を聞く気になりましたか?」
しぶしぶ俺は頷いた。この状況、俺に選択肢などあってないようなものだ。あの手紙に目を通した時点で手遅れだったのだ。いや、読んでいなくても無理やりここに連れてこられていただろう。どうあがいても水永の掌の上なのだ。
「ようやく本題に入れますね」
せめてもの抵抗として俺は水永を睨みつける。しかし水永はどこ吹く風と言わんばかりで、俺の視線は無視された。
「2018年3月1日の午後6時10分。丁度1年前の今日に起きた台上交差点トラック暴走事故により、運転手の男を含む3名が重軽傷、そして2名が死亡しました。ここまでは貴方もご存知でしょう?」
「……死者ふたりのうちのひとりは俺の兄貴だ。知ってんだろ?」
「では、もう一人の死者の名前はどうでしょうか?」
もうひとりの名前? 確か、みずなが────
「みずなが……みずなが、れおだ」
欠けていたパズルのピースが見つかったような感覚と推理小説の犯人が分かった時のような感覚が一斉に襲い掛かる。
そうだ、何で今まで気が付かなかったんだ? あの日兄貴が助けようとした子供の名前。その苗字は、今俺の目の前にいるクラスメイトと同じ水永だ。
「水永玲央。あの日の事故で貴方のお兄さんと共に亡くなったのは、私の弟です」
どこからともなく音がした。錆びついた歯車が突然動き出したような、動かなくなった機械の電池を入れ替えたときのような。そんな音だった。時計に目をやるが、黒板の上に掛けられた時計は6時10分を指したまま動かない。
「三葉くん。少しお時間いただけますか?」
錆びた機械のように首を縦に振る。動き出したのは俺だった。




