第15話 アウト・オブ・ワールド/告白・Ⅲ
清音と合流した後、パンフレットを読み込んだ清音に連れていかれた先に展示されていた『手紙』という絵画は、今までの人生で見たどんな絵画よりも奇妙な作品だった。
キャンバスの中には植物や金属がぐちゃぐちゃに混ざり合ったような世界が広がっており、恐らくは小鳥から受け取った手紙を読んで泣く女が描かれている。絵というよりも模様の上から薄く線を引いてソレを人や物だと定義しているような作品だった。
「三葉くん、この作品にはデカルコマニーの技法を用いられているようです」
「小学生の頃に図画工作でやった記憶があるな。紙の上に絵具を適当に垂らしてから紙を二つ折りにしてまた広げるヤツ」
「その広げるヤツの究極系がこの作品ですね」
そう言いながら、清音はパンフレットを閉じた。
「私の予想ですが……作者はデカルコマニーによって生じる偶発的な模様を利用することで、手紙を読んで泣く男の涙で歪んだ視界を再現する意図があったのではないでしょうか?」
「男?」
「清音には男が泣いているように見えるのか?」と聞こうとして止めた。絵画を見つめる清音の横顔がとても暗かったからだ。言葉を呑み込んでから絵画をもう一度よく見てみたけど、俺にはやっぱり女が泣いているようにしか見えない。
それから少しの間、沈黙が続いた。
「清音。少し聞きたいことが」
「そろそろ行きましょうか」
話を聞くなら今がチャンスだろう。そう思って口を開いた矢先、清音が俺に被せるようにして声を発した。
最初は偶然だと思った。タイミングと被っただけだと。それが偶然ではないことに気づいたのは3回目だ。感想や雑談には普通に応じてくれるのに、俺が本題に入ろうとした瞬間、清音はまるで逃げるように会話を切り上げる。遠回しに拒絶されているのは明らかで、疑惑は確信に変わった。
「もうすっかり日暮れですね。やはり全部見て回ると時間が掛かりますね」
「まぁ今回は全作品吟味してたからな。そう考えたら丁度良いくらいだったと思うぞ」
美術館前の噴水広場に戻ってきた。今日1日の振り返りを言い合えば、解散の流れが来てしまった。
「今日はありがとうございました」
「お礼なんて要らない。むしろ俺に付き合ってくれてありがとうな」
ダメだ、このままだと何も聞けずに終わってしまう。
「いえいえ。私も久しぶりにデートができて嬉しかったです」
「……えっと、今日は楽しめたか?」
考えろ、なんとかして清音を引き留めないと。
「それは勿論、楽し過ぎてもうこんな時間になっちゃいました」
「なら良かった。えっと、その……俺も今日は楽しかったよ」
考えろ、考えろ考えろ考えろ!
「いい頃合いですし、そろそろ帰りましょうか。また一緒にデートしましょうね」
考える間も無く、清音はいよいよ俺に背を向けて帰ろうとする。
それはダメだ。このまま帰してしまったら、もう二度と清音と会えなくなってしまう気がする。何故かそう感じた。
「待ってくれ」
気付けば、俺の手は清音の手を掴んでいた。
「もう少しだけ、一緒にいてくれないか」
打算はある。だが俺の噓偽りない本音でもある。清音の仮面に動揺の罅が入ったのを俺は見逃さなかった。
「それが建前であることは分かっていますよ。私に聞きたいことがあるだけでしょう?」
「本音でもある。このままあっさり別れるってのは……なんか、寂しいんだよ。もっと一緒にいたい。だからもうちょっとだけ、俺の茶番に付き合って欲しい」
長い沈黙の後、清音は観念したように頷いた。
♢
噴水広場のベンチはふたりで座るには少し窮屈な広さだった。肩と肩が触れ合う距離だ。いつもなら安らぎを覚える清音の香りも、今だけは俺に緊張を与えるプレッシャーに変化していた。
「貴方の疑問は重々承知しています」
行き交う人々を見守りながら清音が口を開く。少しばかり距離を感じるような言い方だった。ただならぬ気配に息を呑み、それでも俺は清音の顔に目を向けた。
「そのうえで結論からお答えしましょう。本来の貴方は死ぬために生まれてきた『登場人物』でした。2019年の3月1日午後4時4分、世界によって死ぬことを定められた貴方の死────ソレを書き換えたのは他ならぬ私です」
さっきまでの露骨な行動はなんだったのか。そう思ってしまうくらいにはあっさりと、清音は自分から答えを口にした。
「本当に苦労しましたよ。改変しても頑なに交差点へ直接行こうとする貴方をあの手この手で引き留めて……大事を取って"メッセンジャー"を介入させたのは英断でしたね」
「お前がそこまでして俺を助けてくれた理由は何なんだ。今でこそアレだけど、あの時は俺たち初対面だったよな?」
「────一目惚れ、ですよ」
清音は、少し恥ずかしそうな顔をして言った。
「嘘吐き」
俺が指摘した瞬間、清音の顔が凍り付いた。 そしてまたすぐに、あの仮面のような微笑みが顔に現れた。
「いつになく懐疑的ですね」
「ずっと疑問だったんだ。なんで男嫌いのお前が話したこともない男に好意を抱いたんだろうって。男嫌いが男に一目惚れみたいなことをするなんて、余程のことが無い限り"神の視点"があってもあり得ないんだよ」
「私を信じることができませんか?」
信じてるよ、心の底から。だからこそ疑わずにはいられないんだ。
「なぁ清音。お前の目に映っている俺の姿は、本当に俺なのか?」
俺が行った瞬間、表情を曇らせた彼女はソレを隠すようにして顔を逸らし俯いた。
「これから言う言葉は俺の勝手な推測だ。合ってても外れてても何も言わなくていい。だけど、今だけは俺の目をちゃんと見て欲しい」
顔を上げる代わりに、清音は肩を少し震わせた。
「大丈夫。何があっても俺はお前を見限ったり、失望したりなんか絶対しない。約束する。だから、顔を見せて欲しい」
そっと手を握ると、清音の肩がまた震えた。彼女にとってはそれだけ辛いことなんだろう。それでも清音は勇気を出してくれた。ようやく見えた彼女の目は、迷子の子猫みたいに揺れていた。
「清音。確かに俺は弟だけど、お前の弟じゃない。水永玲央でも三葉玲央でもない」
あぁ、クソ。そんな泣きそうな顔をしないでくれ。俺だって本当はこんなこと言いたくない。でもダメなんだ。今ここで誤魔化したら絶対に後悔する。
それだけは絶対にダメだ。
「俺の名前は三葉普だ」
声にも満たない掠れた音が、彼女の喉から漏れ出した。
「────あぁ、やっぱり……私の解釈違いだったんですね」
ソレは無念だろうか、絶望だろうか。諦めたような彼女の瞳の奥で、幾つもの感情が互いを殺し合っているのが見えた。ソレは絵具の黒よりも黒かった。
死んだ弟が姿を変えて生き返った。清音はそう解釈したかった。なぜなら彼女には解釈によって事実を改変する力があるから。なまじ力があったせいで成立しない解釈を捨てることができなかったのだ。
「ごめんなさい」
清音は俯いた。
「でも信じてください! 貴方に嘘を吐いたことなんて1回もないです! ただ、本当のことを言えなかっただけなんです! だから……」
清音は切羽詰まった表情で訴えかける。しかし突然、思い出したように言葉を止めると、諦めたような顔をしてこう言った。
「いえ、なんでもありません。理由がなんであれ、私が三葉くんを弄んだことに変わりはありませんから……」
「あぁ、そうだな。全くもってその通りだ」
俺がそういうと清音の表情は更に暗くなった。
「そのうえで言わせてもらうけどさ……悪ぃ、今の全部どうでもいいわ」
「……え?」
泣いた顔、怯えた顔、それは清音には似合わない。改めてそう思った。だから清音にはずっと笑っていて欲しい。笑っているときの清音が一番可愛いと思うから。
もう自分に嘘は吐かない。
「────好きだよ、清音」
口にした瞬間、まるで時間が止まったような気がした。無限に感じられる刹那の中で心臓の鼓動が爆発したように早くなるのを自覚した。緊張と気恥ずかしさで顔が熱い。清音は放心しているのか口が開いたままだった。
「大好き」
俺が勢いに任せて言うとやっと状況を飲み込めたのか、清音は顔を赤くして、両手で口を押えた。
「なんで……?」
「ずっと傍にいてくれたからだよ」
清音の声は困惑に満ちていたが、俺が想像していたネガティブな感情は含まれていなかった。
「だから1年後も、10年後も、ずっと傍にいてくれないか」
答えを聞く前に俺は安心していた。この告白は成功すると、清音が俺の好意を嫌がらなかった時点でそう信じていた。
「ごめんなさい……」
だから答えを聞いたとき、俺は思わず息が止まった。
「あ、えと、気持ちは凄く嬉しいんです! 本当です! でも、それだけはダメなんですッ……!」
「俺のことは、好きじゃない?」
「それは違う! 違います! 私も三葉くんのことが大好きです!」
だったら何故?
俺の言葉は、その前に彼女が発した叫びによってかき消された。
「大好きなはずなんです……! それなのに私は────この期に及んでまだ玲央の顔を思い出してる!!」
ついに清音は泣き出してしまった。俺と水永玲央の存在が混同してしまっているのだろう。自分が抱く感情が弟に対するものなのか俺に対するものなのか、清音自身でも区別することができなくて。そんな自分が許せないんだろう。そう思った。
「貴方だってきっとそうです! 私の中途半端な愛をぶつけられて感覚がマヒしてるだけ! 自分勝手で隠し事ばかりする女なんか、好きになれるはずがない!」
「……俺はそう思わないよ。だから、なんでそう思ったのか教えて欲しいな。言える範囲でいいから」
努めて柔らかい口調で、清音が責められていると感じないよう気を付けながら尋ねた。
「三葉くんは、私のことを何も知らないでしょう……?」
声を震わせながら、清音は僅かにそう答えた。
「答えなくても良いです。当然です。だって、貴方には知られないように徹底したから……好きな物も嫌いな物も、全部……」
「その理由は……言いたくない?」
清音は嗚咽を漏らしながら首を横に振る。
清音は俺と同い年の中学生だ。今まで忘れていたその事実に対して、俺は初めて実感が湧いた。確かに清音の言う通り、俺は彼女のことを分かっていなかった。実際は俺と同じかそれ以上に脆い『子ども』なのに、てっきり俺よりも強い『大人』だと勘違いしていた。ハト先生の正解だった。
「分かった。清音がそこまで言うなら、止めておくよ」
これじゃあ兄貴の時と同じじゃないか。相手の上っ面だけを見て理解したつもりになって、相手の中身を知る努力をしていない。
また、同じ過ちを繰り返すのか?
違う、違う、違う!
それだけは嫌だ!
「……誕生日」
俺はもう同じ轍は踏まない!
「せめて誕生日くらいは、教えてくれないか」
何も知らないまま終わるなんて嫌だ!
「もう後悔はしたくない。大切な人のことはちゃんと知ろうって決めたんだ」
頼む、お願いだ清音。お前にも理由があって自分を隠しているのは分かってる。それでも俺は知りたいんだ。
俺にとってはもう、お前は大切な人だから。
「10月26日です」
長い沈黙の後、先に白旗を振ったのは清音の方だった。
「10月26日か」
確認を取ると、清音はコクコクと頷いた。
「ありがとう」
それしか言う言葉が見つからなかった。
「清音さえ良ければ、これからはちゃんと教えて欲しいんだ。清音が言える範囲だけでもいいからさ」
「……それをしたら、貴方は遠くない未来で必ず傷つくことになりますよ。それでもいいんですか?」
ダメ押しで頼んでみると、清音は涙で赤く腫れた目で俺の顔を見た。その言葉の真意はよく分からない。ただ思い返せば、俺が今まで出会ってきた『異能力者』は誰一人として幸せになっていなかった。清音は勿論のことだが、華さんも兄貴も。差異はあれど全員が最悪の『結末』を迎えていた。
もしかしたら『異能力者』はみなバッドエンドを辿るよう世界に設定されているのかもしれない。そこに俺を巻き込むことを、清音は危惧しているのだろうか?
「それでも構わない。少しでも清音のことが知れるなら」
そもそもの話、俺たちは最悪の『結末』とやらを回避するために関係を結んだんだ。その時点で俺と清音は一蓮托生、今更待ったはもう遅い。
「誕生日は予定空けとけよ。その日にもう1回告白するからさ」
「ホント、分からず屋なんですから……」
そこには僅かだが笑みがあった。若干の喜色が彼女の呆れた表情の中に確かにあった。俺は嬉しくなって清音の10倍くらい笑顔になった。
その後、ふたりで歩く道の途中で風が吹いた。季節外れの冷たい風だった。ソレを理由にして俺は清音の手を握った。手のひらに返ってきた感触は手袋よりも温かかった。
────最後の夏が終わった。




