最後の教室で✗✗です…!
この春から新しく赴任してきた、3年1組の担任で数学担当の鳥羽太一先生。
188センチの高身長。
爽やかな黒髪のナチュラルセンターパートのヘアスタイル。
授業もわかりやすく、対応もやさしくてクール。
「「キャ〜!鳥羽センセ〜!」」
「もうすぐチャイム鳴るから。お前ら、さっさと教室戻れ」
「「は〜い♪」」
職員室には、鳥羽先生のファンの生徒たちが毎時間押し寄せる。
「鳥羽先生って、めちゃくちゃかっこいいよね!」
「それに、爽やかでクールだし!」
「彼氏だったら、絶対やさしくて大切にしてくれそ〜♪」
学校のあらゆるところで、鳥羽先生の話が飛び交っている。
『爽やかでクール』…は合っている。
しかし、『やさしくて大切にしてくれそう』…は間違ってる!
『なにをそんなに怒ってんだよ?女子大生なら、キスの一度や二度くらいしたことあるだろ?』
『なんだよ?もしかして、この前のことでも思い出した?』
全ッ然やさしくないし、大切にもしてくれない…!
みんなは知らない。
鳥羽先生の裏の顔を。
「なくる〜、眉間にすっごいシワ寄ってるよ?」
不思議そうな顔をして、頬杖をついていたわたしのところにやってきたのは紗穂。
「だってみんな、鳥羽先生にいいイメージを抱きすぎなんだもん。…実際、そんなんじゃないのにっ」
「まあまあ、だれだって表裏くらいはあるんじゃない?それに、なくるだって女子大生のフリしてたんでしょ?」
「そうだけど…」
紗穂にはあれからすべてを話した。
食事会の帰りに、成り行きで一夜をともにしてしまった“鳥羽さん”が、実は新しく担任になった“鳥羽先生”だったということを。
「あの鳥羽さんが鳥羽先生だったって話にはびっくりしたけど、結局あれからなにもないんでしょ?」
「…うん」
新学期初日に、保健室でわたしが鳥羽先生の部屋に忘れていたワイヤレスイヤホンを返してもらって――。
『じゃあさ、せっかく生徒と教師で再会したことだし…。俺が、イケナイコト…教えてやろうか?』
…ちょっとからかわれただけ。
それ以降、鳥羽先生はわたしを1人の生徒として、他のクラスメイトと同じように扱ってくれている。
なんだか…わたしだけが勝手に意識しているみたい。
「じゃあ、いいじゃん。あの夜のことはなかったってことで。鳥羽先生だって教師なんだから、自分のクラスの教え子には手は出さないでしょ」
「“教え子”…ねぇ〜」
わたしはそうつぶやきながら、紗穂に目を移す。
「それなら紗穂は、その“手を出された教え子”ってわけだ」
「まぁね〜♪」
紗穂は、恥ずかしげもなくにんまりと笑う。
というのも、紗穂の彼氏は4つ上の大学4年生。
今も週2で担当してもらっている、家庭教師の先生なんだそう。
その先生からの熱烈なアピールで、1年ほど前から付き合っている。
もちろん、紗穂の両親には内緒で。
「でも、“だれにも言えない関係”っていうのも、刺激的で楽しいよ〜♪あたしはべつに、鳥羽先生とそういう関係になっちゃってもいいと思うけど♪」
「なに言ってるのっ。先生がそれしちゃったら、…犯罪だから!そんなこと、鳥羽先生がするわけないじゃん」
学校での鳥羽先生は、真面目。
時間、規則には厳しいし、そんな人が教師の道を外れるはずがない。
あの一夜が夢だったのではと思うほど、鳥羽先生とはなにもない平凡な日々が続き――。
1ヶ月が過ぎたころ、高校3年生になって初めての学校行事となる林間学習の日を迎えた。
林間学習は1年生のときに組まれている学校が多いけど、なぜか榮林高校は3年生。
1泊2日の林間学習。
学校のみんなと寝泊まりして過ごすのは初めてだから、実は何気に楽しみにしていた。
山奥のキャンプ場に着き、さっそくお昼ごはんに向けて各班に分かれてカレー作り。
「…あれ?なくるって、家で料理してるんじゃないの?」
心配そうな表情で、にんじんを切るわたしに目を向ける紗穂。
「掃除とか洗濯はするけど、…料理だけは苦手なんだよね」
あいくちゃんと2人で暮らしているけど、主な料理担当はあいくちゃん。
毎日の料理やお弁当のほとんどはあいくちゃんがしてくれるから、わたしはその他の家事を多めにやるようにしている。
「じゃあ、なくるが毎日持ってきてるあのおいしそうなお弁当も、全部お姉さんが作ってたんだ!」
「そうだよ。言ってなかったっけ?」
「聞いてない、聞いてないっ。てっきり勝手に料理も得意なんだと思ってた」
そうしてできあがったカレーを食べ、午後からは自由時間。
ハイキンググループと川遊びグループとに分かれる。
わたしは紗穂と川遊びをすることに。
付き添いの先生の中には、鳥羽先生もいた。
わたしたちはサンダルに履き替え、さっそく川の中へ。
「気持ちいい〜!」
「やっぱり山だと、川の水が冷たいねっ」
足をつけて遊んでいると、横目に人だかりが見えた。
「鳥羽先生って、体鍛えてるんですか?」
「先生の筋肉、すご〜い♪」
女の子たちが鳥羽先生の周りに集まっていた。
普段の学校のときとは違って、半袖半パンのラフな格好の鳥羽先生。
見える脚や腕は、意外と筋肉質だった。
「先生〜、目にゴミが入っちゃったんですけど…。見てくれませんか?」
「目に…?大丈夫か?」
そう言って、目をこする女の子に顔を近づける鳥羽先生。
せ…、先生…!
顔が近いです…!!
「なにもないぞ?」
「あっれ〜?先生に見てもらったから、治っちゃったのかも♪」
女の子はウインクしながら、ペロッとかわいく舌を出した。
あざとい…!
定番的なあざと攻撃に…なに先生も素直に引っかかってるのっ。
「そうか。それならよかった」
しかし、どうやら鳥羽先生は、あざと攻撃が効く効かないという問題ではなく、そもそも気づいていないようだった。
「…まったくもう。先生もなにやってるんだか」
わたしがため息をつくと、なにやら横から視線を感じた。
見ると、ニヤニヤしながら紗穂が見ていた。
「気になるんだっ?鳥羽先生のこと…♪」
「そ…、そんなわけないでしょ…!」
「って言うわりには、顔赤いよ?」
「…っ……!!」
わたしは瞬時に両手で顔を隠す。
「いくら“先生”って言ったって、出会いが一夜をともにした相手なら、少なからず意識はするもんだって〜」
「…だから!そんなこと――」
「もしかしたら、鳥羽先生も実は意識しちゃってたりして…!なくるのことっ」
紗穂は、茶化すようにわたしの頬をツンツンと突つく。
わたしはいじけて、プイッと顔を背けた。
先生とはいろいろあったけど、なにも知らない女子高生のわたしをただからかっているだけ。
鳥羽先生がわたしを意識してるなんて――。
絶対に、絶対にありえない…!
そのとき、強い風が吹き抜ける。
「わっ…!」
顔を背けたと同時に、突風がわたしのキャップを舞い上げていく。
風に乗って飛ばされたキャップは、川の中へ静かに着地した。
「あちゃ〜…。あんなところに」
キャップはゆっくりと流れていく。
「紗穂!ちょっとキャップ取ってくるね」
「うん、気をつけて」
わたしは紗穂に軽く手を上げると、川の中へと入っていった。
手のひら大の石が転がる、くるぶしが浸かるくらいの水位の川。
流れも穏やかで、わたしは前を流れるキャップを追いかけていく。
しかし、キャップはどんどん先へと流されていく。
追いかけていくうちに、気づかない間に水位が膝下にまできていた。
すると、キャップが反対側の岸から伸びた木の枝に引っかかっているのが見えた。
徐々に深くはなってきたけど、キャップまではあと少し。
わたしは思いきって、反対側の岸へ渡ろうとした。
――そのとき!
「……きゃっ――」
と小さな悲鳴がもれてすぐ、わたしは水の中へ引きずり込まれた。
一歩前に踏み出した瞬間、突然足もつかないくらいの深みにはまってしまったのだ。
「…たっ……助けて…!」
なんとか水の中から顔を出し、助けを呼ぶ。
だけど、流れが速くてみるみるうちに流されていく。
わずかに見えた川遊びするみんなの姿もどんどん小さくなっていく。
…ダメだ。
だれも気づいてくれない…。
わたし…、もしかして…このまま……。
息苦しくて、次第に意識が薄れていこうとした――そのとき。
「…日南っ!!」
わたしを呼ぶ…だれかの声。
バシャーンッ!とすぐ近くで水音がして、泳いできただれかに体を抱き寄せられた。
「おい、日南!しっかりしろ!!」
必死にわたしに声をかけ、岸のほうへ泳いで運ぼうとするその人は――。
「鳥羽…先生……?」
* * *
「…ん………」
わたしは、ゆっくりと目を覚ました。
ぼんやりとした視界に映るのは、わたしのことをのぞき込むようにして見ているだれかの顔…。
「なくる!?気がついた…!?」
その声に反応して我に返ると、そばについていてくれたのは紗穂だった。
「…紗穂」
「よかった…、気がついてっ…!」
紗穂は涙ぐみながらわたしに抱きつく。
いまいち状況が理解できていないわたし。
そんなわたしに、紗穂が説明してくれた。
流されたキャップを取りに川へ入ったわたしは、そこで深みにはまって溺れてしまい――。
間一髪のところでわたしを助け出してくれたのが、鳥羽先生だった。
「鳥羽先生が岸まで引き上げてくれたけど、そのあとが大変だったんだよ…!」
紗穂が語るに、溺れたわたしは一時息をしていなかったらしい。
「でも、…わたし。今はなんともないよ…?」
「それは、鳥羽先生が人工呼吸をしてくれたおかげだよ…!」
「じっ…人工呼吸!?」
人工呼吸って…、口と口とをくっつけて――。
つまり、…キス……!?
「なくる〜、なに変な妄想してるのっ」
「べつにっ…そんなこと…!」
「…まあ、妄想ができるくらいにまで元気になって本当によかったよ」
わたしを見つめる紗穂は、涙ぐんでいた。
「じゃあ、あたしは先生呼んでくるから」
そう言って、コテージの医務室から出ていった紗穂と交代で入ってきたのは鳥羽先生だった。
「…大丈夫か?」
「はい…、おかげさまで」
先生の顔を見たら勝手に視線が唇に行ってしまって、わたしは慌てて顔を背ける。
「た…助けてくださって、ありがとうございました。…でも、その、あの…、人口呼吸したって聞いたんですけど…」
「ああ、したぞ。息してないなら当然だろ」
…やっぱり、鳥羽先生がわたしに。
その場面を勝手に想像してしまったら、顔から火が出そうになった。
そんなわたしの反応を鳥羽先生は見逃さない。
「そんなに恥ずかしがることか?俺とお前、前にも同じことしてるのに」
「それは…!……たしかにそうかもしれませんけど…。知らない間に、ファーストキス…終わっちゃってたし……」
それを聞いた鳥羽先生が瞬時に顔を向ける。
「なに、お前。もしかして、初めてだったの?」
その言葉に、わたしはぎこちなくこくんとうなずく。
「…キスしたことなかったんです。それなのに…知らない間に先生にキスしてて、意識ないうちに先生がわたしに人工呼吸をして…」
だからわたしは、まだキスがどんなものかわかっていない。
すると、鳥羽先生がわたしの肩をたたく。
顔を上げると、見たことがあるような意地悪な顔をして笑う鳥羽先生。
「そんなこと聞かされたら、黙って放ってはおけねぇな」
「…え?」
「それなら、責任取って付き合うのが教師としての務めだよな?」
「つ…“付き合う”って?」
「そのままの意味だよ。覚えてないのなら、俺が何度だって思い出させてやるよ。…ファーストキスってやつを」
鳥羽先生が、親指でわたしの唇をなぞる。
たったそれだけのことなのに、なぜだか体がゾクゾクする。
「…日南、目閉じろ」
そうささやく鳥羽先生の顔が徐々に近づいてきた。
――そのとき!
「先生、それは犯罪です…!」
わたしは、先生の唇に人さし指をあてて制止させた。
すると、鳥羽先生はニッと笑う。
「だよな。わかってるよ、そんなこと」
先生は、余裕の笑みを浮かべる。
迫ってきた先生に、内心わたしがこんなにもドキドキしていたとも知らないで。
「…でも、お前が無事で本当によかった。もしお前がだれにも気づかれずにあのまま流されていたらと思ったら…、俺はっ……」
そう言って、さっきまでのふざけた表情から一変、神妙な面持ちで唇を噛む鳥羽先生。
『俺はっ……』
先生は…そのあとになにを言おうとしたの?
* * *
ハプニングが起こった林間学習から2週間後。
榮林高校の女子生徒の間では、今あることが話題となっている。
それは――。
「鳥羽先生〜!これどうぞ〜♪」
「早起きして作ってきたんです!食べてくださいっ♪」
そう。
鳥羽先生へのお弁当作りだ。
鳥羽先生は、いつもコンビニ弁当。
それを知った女の子たちが、鳥羽先生に手作りお弁当を持ってきて渡し始めるようになったのだ。
大の大人の鳥羽先生でも、さすがにそんなに食べれないでしょ…と思うくらい、毎日いろんな女の子からお弁当を渡されている。
「こんなことされても困るから」
と言いつつ、毎日押しつけられたお弁当を受け取る鳥羽先生。
しかも、放課後には中身が空になったお弁当箱を返してくれるのだとか。
「…なんだかんだ言って、結局喜んで全部食べるんだから」
今日も廊下でお弁当を受け取る鳥羽先生の姿を教室から横目で見ながら、わたしは自分のお弁当に入っていたタコさんウインナーを口へと運ぶ。
「そんなに気になるってことは、もうそれ鳥羽先生のこと好きじゃん」
「はっ!?…好き…!?」
お箸が滑って、タコさんウインナーが逃げ出す。
「もう…紗穂、なに言って――」
「あたしは応援するからね♪」
わたしにウインクする紗穂。
「とりあえず、なくるも鳥羽先生にお弁当作ってみたら?」
突拍子もない紗穂の発言に、今度はご飯を喉に詰まらせるわたし。
「…なっ、なんでそうなるの」
「だって林間学習で助けてもらったお礼、まだしてないんでしょ?」
その言葉に、わたしはこくんとうなずく。
「なにあげたらいいかわからないし…。なに好きとかもわからないし…」
「だったらちょうどいいじゃん、お弁当!」
紗穂があまりにもしつこく言うものだから――。
次の日、わたしは鳥羽先生にお弁当を作ってみた。
料理が苦手なわたし。
そんなわたしが、だれかにお弁当を作ったのは初めてのこと。
想像以上に難しくて、毎日作ってくれるあいくちゃんに改めて感謝した。
今日は、お弁当を2つ持って登校。
お昼休み。
「なくる、がんばってね!」
「なにも…がんばることでもないよ…!」
紗穂に背中を押されながら教室を出たわたしは、職員室にいる鳥羽先生のもとへ。
「失礼します」
職員室へ入ってすぐ、自分の席に座っている鳥羽先生を見つける。
幸い、その周りには他の女の子たちはいなかった。
「鳥羽先生…」
「どうした?日南」
「あの…、これ――」
と言って、お弁当が入った保冷バッグを手渡そうとして、わたしはそこで固まってしまった。
なぜなら、鳥羽先生の机の上には色とりどりのお弁当が並んでいた。
みんな、どれもおいしそう。
そんな完璧すぎるお弁当と比べたら、わたしのなんて…とてもじゃないけど見せられない。
卵焼きは焦げてるし、全体的に茶色いし。
ネットにアップされていた、『男の人が好きなお弁当』というタイトルのクッキング動画を真似て作ってみたけど――。
完成形が…動画のものとはまったく違った。
…作ってこなきゃよかった。
心底そう思った。
「…日南。もしかして、それ…」
先生が、わたしが持っていた保冷バッグに気づく。
「な…、なんでもありません…!」
結局わたしは、お弁当を渡すことなく教室へ逃げ帰ってきてしまった。
お昼休み明けの5限の体育の授業は、ため息ばかりしていた。
そうして、今日も何事もなく学校が終わった。
わたしは帰ろうと、机の横にかけていた保冷バッグに手を伸ばした。
――すると。
あれ…?
…軽い。
なぜだか、保冷バッグが朝持ってきたときよりも軽くなっているような気がした。
慌てて中を確認してみると、おかずもごはんもすべてなくなっていた。
――まるで、だれかが食べたような。
わたしは鳥羽先生のところへ向かった。
校舎裏で、花壇の花に水やりをしている先生を見つける。
「と…鳥羽先生…!」
急いで走ってきたから息が上がる。
「どうした、日南。そんなに慌てて」
「あの…、もしかして…お弁当――」
「おお、食べたぞ。うまかった」
その言葉に、わたしは不覚にもときめいてしまった。
「…でも、いつの間に」
「お前らが5限の体育をしてる間に、教室で。盗み食いってやつだな」
そう言って、笑ってみせる鳥羽先生。
鳥羽先生が…わたしのお弁当を食べてくれた。
素直にうれしい。
――だけど。
「他の女の子からもらったお弁当も食べたあとですよね…?そんな…わたしのなんて無理して食べてもらうようなものでもなかったのに」
他のお弁当のほうがおいしいことだろう。
きっと、鳥羽先生も食べたあとに後悔したに違いない。
――そう思っていたら。
「他の生徒からもらった弁当は食ってねぇよ。それに、これまで受け取ってきた弁当も一切食ってねぇから」
それを聞いて、わたしはキョトンとした。
「…え?食べて…ない?」
「ああ」
「でも、お弁当箱が空になって帰ってくるって――」
「あれは、運動部のやつらに食わせてるんだよ。昼飯だけじゃ足りないっていうから」
どうやら、たくさんの女子生徒が鳥羽先生にお弁当を作って持ってくるから、職員室でもちょっとした問題になっていたんだそう。
教頭先生から受け取らないよう注意された鳥羽先生は、その旨を女子生徒たちに伝えたけれど、それでも持ってくる人がいる。
受け取って、食べるわけにもいかない。
だけど、そうなるとお弁当がもったいないし、食材に罪はない。
そこで、お腹を空かせた運動部員に食べてもらっていたんだそう。
「でも、先生…。それなら、どうしてわたしのお弁当を…?」
わたしが尋ねると、鳥羽先生はやさしく微笑んだ。
「それは、“お前”が作った弁当だから」
「…わたしが作ったお弁当だから?…だけど、わたし…料理苦手だから、他のコのお弁当と比べたら下手くそで…」
「そんなことねぇよ。一生懸命作ってくれたんだってわかった」
先生の言葉がうれしすぎて、わたしの胸がドキッとする。
…今日の先生、やさしすぎるよ。
いつもみたいに、意地悪してこないし…ずるい。
「それも、“大人の余裕”…ってやつですか?」
「“大人の余裕”?なんだそれ?」
「わたしは、毎日気になって仕方ないんです…!先生がわたしの知らないところで、なにやってるのかなって思ったらっ…」
思わず感情が高ぶって、言葉に詰まる。
「先生が他のコと楽しそうに話をしていたり、やさしくしているところを見たら、…どうしようもなく胸が痛いんです」
自分でも、こんな感覚初めてで。
まるで、自分が自分じゃないみたい。
だけど、これはいったい――。
「日南。それって、俺のことが好きなんだろ」
予想もしていなかった先生の言葉に、わたしは一瞬ぽかんと口を開ける。
紗穂にもそんなことを言われたけど…。
「わたしが…、先生のことを……好き?」
「そうだよ。じゃなきゃ、それ以外に説明つかねぇだろ」
「で…でも!どうして先生が…そんなことわかるんですか!?」
「わかるよ。だって俺も同じだから」
鳥羽先生がわたしを見つめる。
今までに見たこともないくらい真剣な表情で。
「俺だって、お前が男子と楽しそうに話をしていたり、やさしくしているところを見たら、すっげーここがモヤモヤする」
そう言って、鳥羽先生は自分の胸を服の上から荒々しくつかむ。
「今のクラスでお前を見つけて、俺…平静を装うので必死だったからな。本当はドキドキしっぱなしで、態度でだれかに気づかれるんじゃねぇかってずっとヒヤヒヤしてた」
いつも爽やかでクールな鳥羽先生が――。
実は、心の中ではそんなことを…?
「前にも言ったと思うけど、日南は初めて見たときからかわいくて…忘れられなかった」
そういえば、一夜をともに過ごした翌朝、わたしが鳥羽先生の部屋から出ようとしたとに――。
『…な、なんの冗談――』
『冗談なんかじゃねぇよ。初めて見たときから、かわいいなって思ってた』
と言っていた鳥羽先生。
あのときは、軽い言葉にしか聞こえなかった。
――でも、今は。
「かわいいし、ほっとけねぇし、守りたいって思った。本能的に」
水やりのホースを投げ捨て、歩み寄ってきた鳥羽先生がゆっくりとわたしの顎を持ち上げる。
「先生…もうやめてください。じゃないとわたし…、もっともっと先生のことが――」
そのとき、突然抱きしめられた。
気づいたら、わたしは鳥羽先生の腕の中。
「じゃあ、もっともっと好きになれよ」
先生の声が…耳元で響く。
「…ダメです、先生っ!もし、だれかに見られたら――」
「この時間に校舎裏になんて、だれもこねぇよ。…それに、もう我慢できねぇから」
先生の熱い想いが、わたしを抱きしめる強さで体に直接伝わってくる。
わたしも、先生の背中に手をまわして抱きしめた。
――先生への気持ちに気づいて、先生と気持ちがひとつになって、それがうれしくて。
顔を上げると、ふと鳥羽先生と目が合う。
先生の熱を帯びた瞳がわたしを捉えて離さない。
そのまなざしに吸い込まれるように、わたしはそっと顔を近づける。
先生もそれに応えてくれるかのように、伏し目がちで見つめるのは――わたしの唇。
…わたし、ここで先生とキスするんだ。
ゆっくりと目を閉じた。
次の瞬間――。
「日南、これ以上は犯罪になるからお預けな」
そう言って、鳥羽先生はいつもみたいに意地悪く笑った。
わたしは肩透かしを食らい、なんとも言えない表情に。
「そんな顔すんなって」
「…なんだか、雰囲気に流された自分が恥ずかしいです」
「仕方ねぇだろ。フィーリングでそうなったんだから」
――“フィーリング”。
前に、紗穂が言っていた言葉だ。
その意味が、今ならなんとなくわかるような気がする。
「とはいえ、俺も理性飛びかけてて歯止めが効かない。だから、今だけはこうさせて」
そう言って、先生は再びわたしをやさしく抱きしめた。
「日南、好きだ」
「…先生、わたしもです」
だれもいない校舎裏で――。
わたしたちは、秘密の恋を共有した。
* * *
「よ〜し、次はこっちだな」
突然そんな声が校舎裏に響き、わたしと先生は慌てて体を離す。
やってきたのは、生徒会の人たち。
ゴミ袋や火ばさみを手に持っていて、校内清掃をしているようだ。
「あっ!鳥羽先生!」
「先生は、花壇に水やりですか?」
「お…おうっ。今週当番だからな。生徒会は清掃か?」
「はい!それでは失礼します」
「ご苦労さま」
鳥羽先生は、気色悪いくらいに笑顔をつくって見送った。
生徒会の人たちがいなくなって、ほっとしてわたしは茂みの陰から顔を出した。
危うく生徒会に見られるところだった。
わたしたちは、顔を見合わせて苦笑いした。
「日南。俺はこんなコソコソ隠れてばっかじゃなく、堂々として付き合いたい」
「それは…、わたしも同じです」
わたしも、バレたらどうしようなんて考えながら過ごすのなんて…いやだ。
せっかく好きな人といっしょにいるのに。
「…だから、待っててくれるか?」
「待つ…?」
「お前と俺が、生徒と教師じゃなくなるその日まで」
…“生徒と教師じゃなくなるその日まで”。
それって、つまり――。
「卒業式が終わったら、…先生と?」
わたしの問いに、先生はゆっくりとうなずいた。
それを見て、わたしは自然と頬がゆるむ。
「それで、鳥羽先生と堂々として付き合えるなら、わたし…待てます!」
わたしは、ニッと笑ってみせた。
それ以降、わたしと鳥羽先生は再び生徒と教師の関係に戻った。
連絡先を交換することもなく、2人で会うことも一切なく。
* * *
――それから9ヶ月後。
「卒業おめでとう!」
晴れてわたしは、榮林高校の卒業式を迎えた。
卒業式を終えたわたしは、3年1組の教室へと向かう。
卒業証書を手にして。
卒業生でにぎわう体育館前とは違って、人気のない静まり返った校舎。
わたしの足音だけが響く。
そして、【3年1組】とプレートがかかった教室へ。
「…きたか」
そこでは、黒のスーツを着た鳥羽先生が待っていた。
その姿に、思わずにやけてしまう。
「卒業式のときからずっと思ってましたけど…、スーツも似合いますね」
「だろ?」
得意げな顔をする鳥羽先生。
そんな鳥羽先生が、ふと両手を大きく広げた。
わたしは首をかしげる。
「こいよ、日南」
先生がそう言うものだから、わたしは先生の胸に向かって飛びついた。
と同時に、先生がぎゅっと抱きしめてくれる。
「卒業おめでとう」
「先生、ありがとうございます」
わたしたちは見つめ合うと、どちらからともなくそっとキスをした。
ずっとこうしたかった――鳥羽先生とのキス。
思わず涙があふれた。
これまでの時間を埋めるように、何度も何度もキスをして――。
「…ふぁ……、せんせっ…」
初めての、先生からの熱く深いキスに夢中になって応えた。
「…そんな声出すなって。煽ってんのか?」
「そ…そういうわけじゃ…」
鳥羽先生はわたしの唇を貪りながら、ゆっくりと追い詰める。
足が後ろにあった机に当たる。
「お前、かわいすぎるんだよ。このまま押し倒してもいい?」
先生の熱い吐息が耳にかかる。
わたしだって、こんなふうに先生に求められたら…もうどうにかなっちゃいそう。
だけど――。
「せっ…先生、それは犯罪です…!」
わたしはなんとか理性を取り戻した。
しかし、鳥羽先生は口角を上げ余裕の表情。
「…忘れたか?なんのために卒業式まで待ったと思ってんだよ。そりゃ、教え子に手を出したらそうだけど、日南はもう“教え子”じゃなくて“彼女”だろ?」
――“彼女”。
その言葉がうれしくて、わたしは頬がほんのり赤くなる。
これでようやく、先生と手を繋いで歩くことができるんだ。
ふと、先生がわたしの制服のリボンに手をかける。
「卒業したんだから、お前はもうこの学校の生徒じゃない。だから、脱がせたってかまわないよな?」
意地悪く、だけど色っぽい鳥羽先生の表情に目を奪われそうになる。
先生は、わたしが触れたら壊れるガラス細工かなにかとでも思っているのだろか――。
そっと、やさしく、丁寧に。
わたしの体に触れていく。
そして、目が合って甘いキス。
「これまで言えなかった分、いやっていうほど言ってやる」
その言葉にわたしがキョトンとしながら見つめると、先生がわたしの頬に愛おしそうに手を添えた。
「なくる、好きだ。愛してる」
何度も何度も、わたしに愛をささやく鳥羽先生。
恥ずかしくて、くすぐったくて、でも気持ちよくて。
わたしは、そんな鳥羽先生の愛に溺れていった。
「…せ、せんせ……」
「“先生”じゃないだろ?」
わたしの反応を見て楽しむ鳥羽先生。
…やっぱり先生は意地悪だ。
わたしは先生の首に腕を絡め、抱きしめながらこう言った。
「太一、愛してる」
『先生、それは✗✗です…!』【完】