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サボった保健室で✗✗です…!

「えっと…。ごめん、名前なんだっけ?とりあえず、コーヒー飲む?今から淹れるけど」



そう言って鳥羽さんはベッドから抜け出すと、キッチンのほうへと歩いていく。



お持ち帰りしておいて…、わたしの名前を覚えていないなんて。


そのことに驚愕するも、上半身裸の鳥羽さんがいるから目のやり場に困る。



「…コ、コーヒー淹れる前に、先に上の服を着てもらえませんか…!?」



わたしはなるべく鳥羽さんの体を見ないように、両手で顔を隠す。


鳥羽さんはキョトンとしながらもとりあえずクローゼットを開けると、適当に手に取ったロンTを上に着た。



状況が理解できず、身動きの取れないわたし。


部屋には、コーヒーの香りが漂う。



…ひとまず、バスローブの下には下着はつけているっぽい。


でも…、わたしが着ていた服は…?



というか、送るフリして自分の家に連れ込むなんて――。



なにが公務員?


なにがお硬い仕事?



…鳥羽さんって、絶対に遊び人だ。



わたし…、初めてだったのに。


好きでもない人と、こんなによくわからないまま終わるだなんて――。



「えっと…。まるで俺が一方的に襲ったみたいな目で見るの、やめてもらえねぇかな」



わたしの視線に気づいた鳥羽さんが、コーヒーを淹れながらつぶやく。



それにしても、この人はなんて勝手なっ…。



「そんなこと言ったって…、実際にわたしをこうして自分の部屋に連れ帰って、乱暴したのは…鳥羽さんですよね!?」


「いやいや、ちょっと待って。べつに、乱暴にはしてねぇけど?」


「乱暴にはしてなくたって、わたしを――」


「なんか勘違いしてるみたいだけど、俺、手なんて出してないから」



……へ…?



「なっ…なに言ってるんですか。じゃなきゃ、この格好の説明が――」


「あ〜。それは、昨日の帰り道であんたがゲ○って」



…はい?


わたしが…人前で、ゲ……ゲ○?



落ち着いて話を聞くと、昨日わたしはあのあと、突然鳥羽さんの前で嘔吐したらしい。


そして、そのまま意識を失ってしまったのだそう。



鳥羽さんは、さっき別れたメンバーに連絡しようとしたけれど、スマホは家に置きっぱなし。


わたしは話せる状態ではなく家の場所は聞けないし、バッグの中を勝手に漁るのも悪い。


それにわたしの服も汚れてしまっていたから、仕方なくわたしを自分の家に連れ帰ってきたと。



そして、汚れたわたしの服を脱がして洗濯し、わたしにはバスローブを着させた。


と思ったら、わたしはまた嘔吐。



今度は、鳥羽さんの上の服を汚してしまったらしい。



だから、鳥羽さんは服を脱いだ。



わたしが夜中の間、あまりにも具合が悪そうにしているから、そばで付き添いながら看病していたら、気づいたらいっしょのベッドで寝落ちしていたということだ。



「そ…そんなこと、信じられるわけ――。それに、わたしがいきなり体調を崩すっていうのもおかしくないですか…?なにか変な薬でも入れたんじゃ…」


「理人の知り合いの友達にそんなことするわけねぇだろ。知り合いじゃなくたって、普通そんなことしねぇし」



鳥羽さんは、マグカップにコーヒーを注ぎながらため息をつく。



「…可能性があるとすれば、あんたが最後に飲んでたオレンジジュース。あれ、スクリュードライバーだったのかもな」


「スクリュードライバー…?って…、お酒ですか?」


「ああ。たまに、ソフトドリンクとよく似たアルコールが間違えて出てくるときがあるからな。気づかずに飲んだ可能性もある」



…そんなこと言われても、わたしはおいしくオレンジジュースを飲んだと思っていたから。



「だけど、たった1杯飲んだだけで…そんなことになりますか?」


「“下戸”なんだろ?だったら、そういうこともあるだろ」



…そうだった。


わたしは、お酒が飲めない体質の設定だった。



もしそれが原因なら、どうやらわたしは本当にその体質なのかもしれない。



「それか、料理の牡蠣にあたったか、単なる食べ過ぎか。よく食うなとは思って見てたけど」



そう言われると、ぐうの音も出ない。


お酒を飲みながら料理をつまむ他のみんなとは違って、ソフトドリンクのわたしは普通に食事を楽しんでいたから。



「とにかく、俺はなにもしてねぇよ」



結局、わたしがいきなり体調を崩した原因はわからないけど…。


どちらにしても、鳥羽さんはそう断言した。



本当になにもされてないのなら…、少しだけほっとした。


――と思ったのも束の間。



「あっ…」



そんな声をもらす鳥羽さん。



「…どうかしたんですか?」


「いや…、なにもしてなくはなかった」



“なにもしてなくはなかった”…?


それって――。



「…キスはしたな。うん、一度だけ」



その言葉に、わたしは頭の中が真っ白になった。


なぜなら、だれとも付き合ったことのないわたしは、もちろんキスですら経験がなかったというのに。



「…待ってください。合意がないのにキスするなんてっ…。警察官が…そんなことしていいんですか!?」


「…警察官?」



首をかしげる鳥羽さん。


そのとき、廊下の向こう側から機械的なメロディーが流れてきた。



「おっ、終わったみたいだな」



そうつぶやいた鳥羽さんが、一度リビングから消える。



次に戻ってきたときには、その手にはわたしの昨日の服が握られていた。



「乾燥機が終わったところだ。シミなくきれいに洗えたぞ」



まだ温かい乾燥されたばかりの服を、わたしは荒々しく奪い取る。


わたしがこんなにドギマギしているというのに、鳥羽さんがいたって冷静なのが非常に(しゃく)だ。



「言っておくけど、キスしてきたのはそっちからだからな?」


「…な、なに言って。どうしてわたしがそんなこと――」


「知らねぇよ。俺は逆に襲われた側。被害者は俺のほうっ」



『ファーストキスは好きな人と』


と思ってずっと大切に取っておいたのに、そんなわたしが会ったばかりの鳥羽さんにキスするはずがない…!



わたしは横目でトイレらしきドアを見つけると、服を抱えてその中へ入った。


思ったとおりそこはトイレで、急いで今受け取った服に着替える。



「と…鳥羽さん、わたし…帰ります!」


「え、もう?」



話は聞いたけど、鳥羽さんの話がすべて事実という確証はどこにもない。


よくわからない以上、ここにいるのは危険だ。



「ご迷惑おかけしたのなら…謝ります。すみませんでした…!」



わたしは着ていたバスローブを軽く畳みソファの上へ置くと、バッグを持って玄関で慌ててパンプスをはいた。



「待てよ。なにをそんなに怒ってんだよ?女子大生なら、キスの一度や二度くらいしたことあるだろ?」



わたしの顔をのぞき込む鳥羽さん。



わたしは女子大生じゃないし、キスの一度や二度だってしたことがなかったのにっ…。



鳥羽さんから顔をそらすように、わたしは頬を赤くしながらうつむく。



「じゃあさ」



そんな声が聞こえてふと顔を上げると、意地悪く微笑む鳥羽さんがわたしを見下ろしていた。



鳥羽さんが、わたしが背にするドアに手をついて迫ってくるものだから、わたしは逃場を失う。



「俺たち、付き合う?」



突拍子もないその言葉に、わたしは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてしまった。



「…な、なんの冗談――」


「冗談なんかじゃねぇよ。初めて見たときから、かわいいなって思ってた」


「わたしの名前も覚えてないのに…?」


「うん、それはごめん。俺、人の名前覚えるの苦手だから。今度は忘れないから教えて」



鳥羽さんが耳元でささやくものだから、くすぐったい。


だけど、同時にじんわりと耳が熱くなる。



こういうのが、――“大人の恋愛”っていうの?


だって“付き合う”って、お互いが好きでその気持ちを確かめ合って、初めてそこで『付き合おう』ってなるんじゃないの?



…こんなの、わたしの理想の恋愛とはまったく違う……!



「つ…付き合いません!それに、もう会うことはないと思いますので、名前も覚えてもらわなくて結構です…!お元気でっ、さようなら!」


「あっ…、ちょっ――」



一方的にそう言う放つと、わたしは逃げるようにして鳥羽さんの部屋から出ていった。


バクバクと鳴る胸を押さえながら。



最悪なことにスマホは充電が切れていて使えず、駅のホームの時計で時間を確認すると朝の7時前だった。



朝帰りなんてもちろん初めてのことだし、スマホはこのとおりで連絡できないし…。


あいくちゃん、…絶対心配してる。



わたしは電車に飛び乗り、はやる気持ちをなんとか押さえながら家までの道を急いだ。



――しかし。


家に帰ってびっくり。



なんと、あいくちゃんの姿がどこにもないのだ。



よくないシナリオが頭の中をよぎる。



…もしかして。


理人さんたちは、実は泥酔した女の子たちをお持ち帰りする…とんでもなく悪いグループだったんじゃ…。



そういう悪い男の人もいるから気をつけるようにって、前にあいくちゃんが読んでいた雑誌に書いてあった。



わたしが鳥羽さんにそうされたように、今ごろあいくちゃんたちも――。



顔から血の気が引いた、――そのとき。



「ただいま〜」



玄関からあいくちゃんの声が響いた。


わたしは慌てて玄関へと向かう。



「あっ、なくるちゃんおはよ〜。遅くなってごめんね」


「…あいくちゃん!!…大丈夫だった!?」


「へ?大丈夫って?」



目をパチクリとさせ、キョトンとするあいくちゃん。



そのあと、あいくちゃんから話を聞くと――。



わたしと別れたあと、銀髪マッシュヘアの人が勤めているバーへと飲みに行ったあいくちゃんたち。



そこでも話が盛り上がり、気づいたら終電間近。



今から駅に向かっても終電を逃すかもしれないとなって、みんなで朝までカラオケで過ごそうということになったんだそう。



「さっきまで、カラオケにいたの…!?」


「うん。歌いすぎて…もう声ガラガラ。なくるちゃんにメッセージ送ってたでしょ?」



充電器に挿していたスマホの電源ようやく入ってすぐに確認してみると、たしかにあいくちゃんからその内容のメッセージが届いていた。



「…あ、ごめん。知らない間にスマホの充電が切れてて…」


「そうだったんだ。それにしてもなくるちゃん、昨日と同じ服だけど…着替えてないの?」



不思議そうにわたしに目を向けるあいくちゃん。



「…え、えっと…これは――」



わたしもさっき、鳥羽さんの家から帰ってきたばかりで――。



だけど、そんなこと言ったらあいくちゃんが心配するから…絶対に言えないっ。



「き…昨日、ドラマ見ながらお風呂も入らずそのまま寝落ちしちゃってて…。ついさっき起きたところなの」


「あ、そうなんだっ。じゃあ、今からお風呂沸かそうか」



そうしてわたしは、朝のお風呂に浸かった。



…そもそも、どうしてこんなことに。



『俺たち、付き合う?』



鳥羽さんって…いったいなんなの。




お風呂から上がると、真っ先にあいくちゃんが駆け寄ってきた。



「お誕生日おめでとう!なくるちゃん!」



あいくちゃんにそう言われ、今日がわたしの18歳の誕生日だということを思い出した。


昨日からいろいろありすぎて、すっかり忘れていた…。



「これ、誕生日プレゼント!」


「ありがとう、あいくちゃん!」



わたしは、あいくちゃんからラッピングされた小箱を受け取る。


さっそく開けてみると、かわいい形のボトルの香水が入っていた。



たしか、去年の誕生日プレゼントはワイヤレスイヤホンをもらった。


音質にこだわってくれたみたいで、高校生のわたしじゃちょっと高くて買えないようなものを。



しかも、わたし好みのシンプルなデザインのワインレッド色で、お気に入りだから出かけるときは必ず持ち歩いている。


だから、昨日のバッグに――。



そう思いながら、わたしはバッグの中を探した。


しかし、…ない。



何度も何度もバッグの中を確かめたけど、あいくちゃんからもらったイヤホンだけがなかった。



…もしかして、昨日どこかで落とした…?



その後、わたしは食事をしたダイニングバーに問い合わせしたり、その周辺の交番にも行ったけど、結局イヤホンは見つからなかった。



失くしてしまったことがあまりにもショックで、鳥羽さんとキスしたとかしてないとかはもうどうでもよくなって、しばらくの間わたしは落ち込んでいた。



『お探しのイヤホン、見つかりましたよ!』



ダイニングバーや交番からのそんな連絡がほしいというのに――。



「ねぇねぇ、なくるちゃん。理人さんからなんだけど、鳥羽さんがなくるちゃんの連絡先教えてほしいって言ってるみたいだよ?」



そういう連絡はちっとも待ってない…!



それに、…鳥羽さん?


なんだったら忘れようとさえしていたのに、なんでまた…。



「なんか、なくるちゃんに渡したいものがあるとかで」


「…ごめん、あいくちゃん。断っておいてくれる?わたし、鳥羽さんとはもう会いたくないんだよね」


「じゃあ、理人さんにはやんわりとそう伝えておくね。…それにしても、鳥羽さんとなにかあったの?」


「…えっ!?」



驚いて顔を上げると、あいくちゃんがわたしの顔をのぞき込んでいた。



「な、なんかあるわけないじゃん…!あのあとわたし、1人で帰ったんだからっ…」


「そうだったの?鳥羽さんもすぐに抜けちゃったから、2人でいっしょに駅まで行ったんだと思ってたけど」


「違う違う…!本当に鳥羽さんとは、なにもないから…!」



わたし、…変じゃないよね?


いつもと同じ感じで話せてるよね?




* * *




そうして、あの食事会から1週間後――。



今日から新学期。


わたしは、榮林高校の3年生になった。



クラス替えでは、わたしは3年1組に。


親友の紗穂(さほ)とも同じクラスだった。



「紗穂〜!また1年間よろしくね」


「こちらこそ!」



ポニーテールがよく似合う紗穂とは、高校1年生から同じクラスだ。



「それにしても、なくるは春休みどうだった?」


「まあ、普通だったよ」


「春だし、なんか新しい出会いとかなかったの〜?」


「…新しい出会い?」



ふと、鳥羽さんの顔が頭に浮かんだ。



『冗談なんかじゃねぇよ。初めて見たときから、かわいいなって思ってた』



思い出したら、頬がぽっと熱くなるのがわかった。



「あれ?なんか顔赤くない?」


「…えぇ!?ぜ…ぜぜ…全然そんなこと――」


「動揺しすぎじゃん!その感じだと、絶対なにかあったでしょ!」


「そ、それは…」



紗穂にはなんでもお見通しだ。


観念したわたしは、あいくちゃんに誘われた食事会で出会った鳥羽さんのことを話した。



「えっ、…やば!なにそのドラマみたいな展開!いいな〜!」


「全然よくないよ…!わたしは記憶がなくて、…よくわからないし」


「でも、そんななくるをわざわざ連れ帰って介抱してあげるなんて、その鳥羽さんって人めちゃくちゃいい人じゃん!」


「だけど、そんなことで『付き合う』って言われたんだよ…!?」


「いいじゃん、付き合えば」


「できるわけないよ…!“付き合う”っていうのは、お互いがお互いのことを想い合って――」



と真剣に話しているというのに、紗穂はあからさまに耳を塞いでいる。



「はいはい。それ、もう聞き飽きたからー」


「…もう紗穂、ちゃんと聞いてよ!」


「言っておくけどね、なくる。好きになった人と順を追ってとか、運命の相手は白馬に乗ってやってくるものとか今まで散々聞かされたけど、それ、恋愛レベル中学生以下だからっ」



ビシッと立てた人さし指をわたしの目の前に突きつける紗穂。



「…中学生以下って――」


「だって、中学生でももう少し考え大人だよ?それに相手が5つも年上の大人なら、フィーリングさえ合えば『じゃあ付き合おっか?』とでもなるよ、フツー」



フィ…、フィーリング……。


『好き』『好きじゃない』、『告る』『告られる』なんて関係なく、付き合おうとなる流れになるなんて…大人の恋愛ってこわすぎる。



紗穂は、これまで何人かの男の人と付き合ったことがある。


しかも、全員年上。



だから、わたしよりもはるかに恋愛経験が豊富。



「とにかく、なくるはその見た目のわりに中身は恋愛初心者のお子ちゃまなんだから、年上の男の人にリードしてもらうのがいいよ。その鳥羽さんって人、もったいな〜い!」


「鳥羽さんの話はもういいよ。どうせ、もう会うこともないんだし」



キーンコーンカーンコーン…



そのとき、チャイムが鳴った。



紗穂は、適当にわたしの後ろの席へ座る。



「担任、だれだろうね!?」


「厳しい先生じゃなかったら、だれでもいいかな」



わたしが紗穂にそんな話をしていると、教室の前のドアのくもりガラスにうっすらと人影が映った。



…ガラッ



ドアが開き、入ってきたのは高身長の男の人。



「えっ、だれ?…新任かな?初めて見るよね?」



紗穂が後ろから声をかけてくる。


見たこともない先生に、他のクラスメイトたちもざわついている。



わたしはというと、違う意味でざわついていた。


――胸が。



なぜなら――。



「今日から1年間、このクラスを受け持つことになった――」 



先生はそう言いながら、黒板に自分の名前を書いていく。



ま…、間違いない。



聞いたことのある声。


聞いたことのある名前。



――そして。



「鳥羽太一だ。担当教科は数学。よろしくな」



ニッと笑ってみせるその表情は、わたしがよく知る顔だった…!



「あれ?“鳥羽”って、さっきなくるが話してた人と名字がいっしょだね!すごい偶然〜」



そんな紗穂の声が聞こえてくるけれど、“名字がいっしょ”どころではない。



教壇の上に立つのは、正真正銘の――本人なのだから…!




* * *




「なくる、…大丈夫?」


「…うん。でも、ちょっと休もうかな」



朝のホームルームを終え、始業式に出席するために体育館へ移動するとき、わたしは体調不良を理由に保健室で休むことにした。



朝から体調に問題はなかった。


おそらく、鳥羽さんが担任という事実が受け止めきれないという精神的なものだろう。



それに、…顔を合わせるわけにもいかない。



とりあえず、保健室に避難しよう。



「鳥羽先生には、あたしから伝えておくね」


「ありがとう、紗穂」



わたしは保健室へと向かった。


しかし、保健室の先生も体育館に行っているからかだれもいなかった。



とりあえず、手前のベッドで横になる。



…なんで、鳥羽さんがウチの学校に。


しかも、ウチのクラスの担任って…。



“公務員”って聞いていたから、勝手に警察官だと思っていたけど――。


まさか、高校教師だったなんて。



わたしは横になりながら、スマホをいじって時間を潰すことに。



そのとき、写真フォルダの中に見覚えのない動画を見つけた。


真っ暗で、なんの動画なのかが全然わからない。



何気なく、その動画をタップしてみると――。



〈…おい、急にどうしたんだよっ〉



…鳥羽さんの声だ。



〈いいから…!ここに座ってください!〉



なんだか怒っているような口調は、わたしの声。



〈もう一度、口ゆすぐか?〉


〈そんなのは、どうだっていいんです…!年下だからって、なめないでくださいっ〉


〈べつに、なめてねぇけど…〉


〈…なめてますよ!わたしだって、キスくらいできるんですから!〉


〈なんでそういう話になんだよ…!?〉


〈ちょっと!動かないでください!〉


〈待て待て、…落ち着け!今日会ったばかりの男と、簡単にキスなんてするもんじゃねぇぞ…?〉


〈うるさぁ〜い!いいから黙って――〉


〈…おい!…んんっ……、やめろって…!〉



動画は真っ暗なままで、なにも映っていない。


しかし、はっきりと残っている音声によると、拒む鳥羽さんにわたしが無理やりなにかをしているのがわかる。



おそらく…、――キスだ。



『言っておくけど、キスしてきたのはそっちからだからな?』


『…な、なに言って。どうしてわたしがそんなこと――』


『知らねぇよ。俺は逆に襲われた側。被害者は俺のほうっ』



ということは、あの鳥羽さんの話は本当だったんだ…。



動画はそのあとも続き、わたしを介抱する鳥羽さんの音声が残されていた。



どうやら、なにかの拍子にわたしのスマホのカメラが起動して、スマホが裏返ったまま動画が撮影されていたようだ。


そして、途中で充電がなくなって切れた。



わたしにはそのときの記憶はまったくないし、鳥羽さんの話を信じられなかったけど――。


ここに、すべてが記録されていた。



…どうしよう。


やっぱり、わたしからキスしてたの…?



これは…、謝るべき?


…でも、記憶ないのに?



それに、ファーストキスがこんな感じで終わってしまうなんて――。


…今でも、夢であってほしいと思いたい。



スマホを握りしめたままベッドの上で固まっていると、わずかにベッドを囲う白いカーテンが波打った。



はっとして視線を向けると、カーテンの隙間から鳥羽さんが顔をのぞかせていた…!



「新学期早々サボりか?」



…やばい!


見つかった…!!



ここは、どういう反応を取るのが正解…!?



生徒として?


それとも、この前食事した女の子として?



でも、そういえばあのときって――。


私服で、普段よりしっかり目のメイクをして、髪も巻いていた。



…もしかして、あのときの女の子がわたしだって気づいてない?



鳥羽さん、人の名前を覚えるのが苦手だって言ってたし、意外とこのままバレずに済んだりして。



「体調が悪くて保健室にいるって聞いたからきてみたが、案外顔色はよさそうじゃん」



体調が悪いのは嘘だけど、鳥羽さんと顔を合わせられなくて――なんて言えるわけがない。



「…え、えっと。ちょっと朝から熱っぽくて…」


「…熱?」


「たいしたことはないので、大丈夫――」



と適当な言い訳をしたわたしに、鳥羽さんがぐっと顔を近づける。



左手でわたしの後ろのベッドの柵に手をかけ、右手はわたしの後頭部に添え――。



「どれどれ?」



そう言って、額と額を突き合わせてきた…!


その瞬間、似たようなシチュエーションが重なり、あのときのことが鮮明に思い出される。



『じゃあさ』


『俺たち、付き合う?』



顔を真っ赤にしたわたしは、慌てて鳥羽さんから離れた。



「…ほっ、本当に大丈夫ですから…!」


「そうか?なんか顔が赤いぞ?」


「気のせいです…!」



この感じだと、幸いわたしのことには気づいていなさそうだけど、こっちの心臓が保たないからもうやだっ…。



「わたしはここで寝てるので、早く体育館へ行ってください…!」



鳥羽さんをカーテンの外へ押し出そうすると、その手をぎゅっと握られた。


突然のことに驚いて目を向けると、鳥羽さんは意地悪く微笑んでいた。



「なんだよ?もしかして、この前のことでも思い出した?」



余裕な表情でニッと口角を上げる鳥羽さんに、わたしはドキッと心臓が跳ねる。



「や…やっぱり、鳥羽さ――」



そう言いかけたわたしの唇に、鳥羽さんは自分の人さし指をあてた。



「…シッ!“鳥羽さん”じゃねぇだろ?」



え…?



わたしが首をかしげると、鳥羽さんは耳元でこう言った。



「“鳥羽先生”…だろ?」



鳥羽先生の低い声と耳にかかる吐息に、思わず体が痺れる。



「まさか、あのとき家に連れ込んだ女の子が、女子大生を装った女子高生だったとはな」



先生はにやりと微笑むと、徐々にわたしに迫ってくる。


こんな狭い保健室のベッドの上では、逃げ場なんてない。



「あのときのこと、思い出したか?それとも、俺が思い出させてやろうか?」



先生がわたしの唇に目を向ける。



…どうしよう。


このままじゃ…、本当にっ――。



わたしはごくりとつばを呑むと、先生の胸板に手を押し当てた。



「…せ、生徒にキスしようとするなんて…。先生、それは犯罪です…!」



それは、わたしなりの威嚇で抵抗。


すると、それを聞いた鳥羽先生はぽかんと口を開けていた。



「は?…犯罪?そんなの当たり前だろ。だれが生徒にキスするかよ」


「…えっ、でも今――」


「これを返そうと思っただけだよ。…なんだ、思い出したわけじゃなかったのか」



そう言って、先生はわたしの両耳になにかをつけた。


慌てて手に取ってみると、それはわたしが失くしたと思っていた大事なワイヤレスイヤホンだった…!



「俺の部屋に落ちてた。お前の忘れ物だと思って、理人に連絡先を教えてもらおうと思ったが、無理って言われて」



…あ、そういえば――。



『鳥羽さんがなくるちゃんの連絡先教えてほしいって言ってるみたいだよ?』



あれは…、そういうことだったのか。



「あ…ありがとうございます」



わたしは、ペコッと頭を下げる。


いろいろと勘違いしていて、…恥ずかしい。



「お前って怒ったりしおらしくなったりで、忙しいやつだな」


「…だって、あのときの鳥羽さんが…まさか“担任の先生”として再会するとは思ってなくて。わたしも…どういう反応したらいいのかわからないんです」



手をもじもじとさせながら、わたしはうつむき加減で目をそらす。


そんなわたしを見下ろしていた鳥羽先生が口角を上げる。



「そういう初々しい反応されると、もっといろんなお前を見てみたくなる」



鳥羽先生はわたしの顎をくいっと持ち上げると、色っぽいその瞳でわたしを捉えた。



「じゃあさ、せっかく生徒と教師で再会したことだし…。俺が、イケナイコト…教えてやろうか?」



イ…、イケナイ…コト?



「せ…先生、なに言って…」



わたしの心臓がバクバクと鳴る。



鳥羽先生とイケナイコトって――。



そのとき、突然頭をわしゃわしゃとなでられた。



「なに真に受けてんだよ。冗談に決まってんだろ」


「じょ…冗談?」


「ああ。そんな簡単に人の言葉信じてたら、あの夜の相手が俺じゃなかったら、お前とっくに食われてるぞ」


「…食われてる!?」



乱れた髪を直しながら、丸くした目を先生に向ける。


そんなわたしを見て、クスッと笑う鳥羽先生。



「日南。体調よくなったら、戻ってこいよ」


「…はい」


「それと、よく知りもしねぇ男にキスなんかするなよ」


「そっ…、それは――!」



…したけど。



それだけ言うと、鳥羽先生はベッドを囲うカーテンを閉めて保健室から出ていった。




この間一夜をともにした男の人が、…なんとわたしのクラスの新しい担任。



今年が最後の高校生活。


これまで以上にうんと楽しもうと思っていたのに――。



…これからどうなっちゃうの、わたし。

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