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百味修仙美食秘譜 ―その異邦人、食神につき―  作者: 白玖黎
蘇国編 その異邦人、食神につき
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第壱章 一味傾心(漆):八宝鴨、そして宮廷入り


 ちゃんとした宮廷(きゅうてい)料理を作るには、すこし時間がかかる。

 あたりはもうすっかり夜の(とばり)が下りてしまっているし、今からだと徹夜(てつや)で作業をするはめになるかもしれない。

 それでもこの食譜(レシピ)を選んだのは、貴族サマの口に合う料理はこれしかないと思ったからだ。


 私が美食を作ると宣言すると、きれいな客人は眉ひとつ動かさずにこう告げた。


『今から一品作ってもらおうと思うが、構わないな』


 「今から?」と心の中では疑問に思ったが、彼が言うにこれは私の能力をはかる試験のようなものらしい。


 たしかに、一般的な官吏(かんり)科挙(かきょ)という登用試験を突破した人だけがなれるというし。

 宮廷入りもとんとん拍子に進むとは、はなから思っていなかった。


 それにしても、料理だけで実力をはかるなんて、相当自分の舌が肥えている自信があるのだろう。

 この大陸では、ごくあたりまえのことかもしれないけれど。


 ところが厨房(ちゅうぼう)へ入って下ごしらえを始めようとした矢先に、大きな問題にぶち当たる。

 町へ行ったはいいものの、まったく食材を調達できていなかったことを思い出したのだ。


 「なんか使えるものあったっけ」と私は片っぱしから引き出しのなかや棚の奥をのぞいてみる。

 野菜なし。獣肉なし。穀物もなし。豆豆(どうどう)がいた。


「くるっぽー」


 戸棚の奥から山鳩(やまばと)を引っぱり出した私は、一旦発掘作業をとめてふわふわの羽毛をなでる。

 それで状況が変わるのなら、どれほどよかったことか。

 「……詰んだ」と肺の奥からしぼり出した声は絶望に染まっていた。


「今このあたりに食材なんてないんですけど……」

「ならば用意させればいいだけのことだ」

「ひえっ」


 そのとき、突然後ろから声をかけられ、思わず変な声を上げてしまった。

 おそるおそる首をめぐらせると、古ぼけた食譜(レシピ)を片手に優雅に立つ男の人の姿が見えた。

 美丈夫は印がつけられたページを開き、そばで控えていた護衛に目配せをする。


「作りたいのはこの料理だな」


 あ、私の食譜(レシピ)! 書庫から借りてきたものだけど!

 というか、なんであんたが厨房をうろついてるんですか!?


「許可を得た」

「あ、そう……って、私、口に出てたんですね……」

「いや。口よりも饒舌(じょうぜつ)な顔で実にわかりやすかった」


 なんだろう。変顔、嘘が下手、と同時に悪口を言われた気分だ。

 しかもこの人、たぶん素で言っている。中央の官吏はみんなこんな感じなのだろうか。

 顔はばっちりなのに……なんとも残念なイケメンだ。


 失礼なことを思っている私をよそに、当の本人は私の腕に抱かれる豆豆を胡乱(うろん)げな目で一瞥(いちべつ)する。


「それは君の仙獣(せんじゅう)か?」

「センジュウ?」


 問いに問いで返すと、男の人はきれいな蛾眉(がび)をひそめた。


「ええっと、私の子じゃ、ないんですけど……」


 はぐらかすような答えに、徐々に周囲の空気がぴりりと剣呑(けんのん)さを帯びていく。


「お、おい! 鳳璃(ほうり)ねえちゃんに手を出したら許さないからな!」


 そのときだ。

 どこからともなく、私の前をかばうように救世主が現れた。

 その正体は、()一族の長男でガキ大将の()楚文(そぶん)


 最高のタイミングで出てきてくれた楚文に、私は心のなかでひそかにグッドを送る。

 これ以上あの男とふたりでいると、ただではすまない気がしたところだった。


 しかし。

 (あや)しく光るぬばたまの瞳が、きろりと標的を変える。

 すると次の瞬間「ひえっ」と情けない声を上げた楚文は、虎ににらまれたうさぎのように一目散に走り去ってしまった。

 グッド撤回。救世主、しっぽを巻いて退場。


 ああ、と私は悲劇役者さながらにがくりと膝をつく。


「あんたがいなきゃ、だれが私のこと守ってくれるのよ……」


 一方できれいな官吏は興が醒めたとばかりに目を閉じた。

 厨房の壁にもたれかかり、片目にかかった前髪を無造作にかき上げる。

 そのひとつひとつの仕草がやたらとさまになっていて、逆に腹立たしくなってきた。


 「はやくこの人も出て行ってくれないかな」と思い始めていたそのとき、どこかへ行っていた護衛の人が山盛りになった野菜や肉をかかえて厨房へ戻ってきた。

 まるごとの(かも)、もち米、落花生に豚肉になつめ、それから蓮の実やきのこやにんじんまで。

 私の欲しかった材料がぜんぶそろっている。


「ええ!? こんな食材、いったいどこで――」


 そう言いかけたとき、ふとあることが稲妻のように脳裏をはしり、思考が一瞬とまってしまう。

 これは、違和感だ。


「これで十分だろう」

「あ、はい……ありがとうございます」


 ただそれだけを淡々と告げると、男の人は護衛を連れて厨房から出ていった。

 そのあいだも私の頭のなかでは、繰り返しある光景が再生される。


『今朝、この町にたいそう立派なお役人さまがやってきてねえ。鶏の胸肉をぜんぶ買っていってしまったんだ』


 それは昼間見た肉市場の凄惨(せいさん)なようすと、(やん)おじさんとの会話だった。

 もしかして、と思い至ったときにはもう遅かった。

 私だけが取り残された厨房を、ひょうっと冷たい風が駆け抜けていく。


 それからは、ただ美食を完成させることばかりに没頭した。


 今回の調理は、まず鴨をさばくことから始まる。

 四肢(しし)を切って骨を取り出した後に、鎖骨と皮のあいだの肉をズバッと両断。

 わりとグロテスクなので細かい工程は割愛する。モザイク処理必須だ。


 骨抜きした鴨を生姜(しょうが)、ネギ、胡椒(こしょう)、お酒などといっしょに漬けこんでいるうちに、もち米をといでいく。

 ここで登場するのが、八宝(はっぽう)と呼ばれる八種類の食材。

 山菜、きのこ、木の実などの種々様々な八宝を一口サイズに切ってもち米に混ぜ、それを鴨のお腹につめこんでいく。


 入れる量は、くれぐれも腹七分目程度にとどめておくこと。

 もち米は炊くとふくらむから、みっちり入れてしまえばあふれ出る可能性があるのだ。


 米が炊き上がるまで鴨をじっくり蒸すと、はちみつを表面にぬり、じゅわっと高温の油で一息に揚げていく。

 そうすることで肉はやわらかく、皮はパリパリとした食感に仕上がる。


 主菜の鴨料理が出来上がったあとは、余った食材でできるだけ豪華な副菜をいくつか作った。

 それぞれを大皿に盛りつけ、熱々のうちに客間に運んだ。


 明蘭(めいらん)がいなかったからか、私は一言もしゃべらずに作業に没入した。

 よって料理が出来上がるまで、すでに日をまたいでいることに気づくことはなかった。


「出来上がりました。八宝鴨(はっぽうおう)です」


 客間に入ると、目を血走らせた明蘭のお父さんと例の官吏がいた。

 私が料理を作っているあいだ、美しい客人はここにいて一睡もしていないはずなのに、その顔から疲労の色は一切見えない。

 偉い官吏の手前、引き下がれなかったお父さんは目の下に濃いくまを作っているというのに。


 徹夜で動き回っていたせいで私も疲れてしまったが、堂々と胸を張れるような美食を作り上げることができた。

 どんと机に置かれた大ぶりの八宝鴨は、これまでの最高傑作と言っても過言ではない。


 宮廷料理の威光をまとう脂に、立ちのぼる八角の甘い香り。

 だれもが傷つけることを惜しんで歯を立て、その上品な味わいの(とりこ)となる。一口食べれば舞踏会の始まりだ。

 舌の上を踊り出す八つの食材たちに、貴族サマも舌鼓(したつづみ)を打つこと間違いなしだろう。


 箸をつける前に、官吏はそでから取り出した銀の針で鴨をすっと刺した。

 それが毒の有無を調べる行為だとわかったのは、最近書物を読んで知ったことだ。


 すべての料理に同じく針を通した後、ようやく彼は鴨肉を箸で切りわけ、おもむろに口へ運んだ。

 緊張と不安と期待が混ざり合い、私は息をのんで見守る。


 しかし。

 周囲の温度が震え上がるほど急降下し、全身が(あわ)立つ。

 次の瞬間、彼はまるで人が変わったように態度を豹変(ひょうへん)させて言った。


「ふざけているのか?」


 ざくり、と鋭利なつららに心臓を刺し抜かれたような心地がした。


「色、香、味、形。たしかに、この料理は美食に必要な要素をほとんど備えている。ただひとつ、もっとも肝心な『気』を除いて」


 何千年ものあいだ凍土に眠っていた水晶のように、冷ややかな瞳。

 声にわずかな軽蔑の色を乗せて、宮廷(きゅうてい)からやってきた美しき客人はきっと私をにらむ。

 目鼻立ちの整ったイケメンは、凄むと迫力があった。


「なぜ美食に霊力をこめない? 食仙(しょくせん)の素質を持っているのではなかったのか? まさか、霊力の扱い方がわからぬというわけではあるまいな?」

「え、ええっと、あの、さっきからよくわからない単語が……気とか霊力って、なんのことです?」

「なんだと?」


 え、なんか私、責められてる?

 もはや怒りを通り越して、呆れかえったようすの客人はいら立たしげに言葉をはき捨てる。


「美食に対してこれほどの技術、感性、美意識がありながら、霊力すら知らないだと? いったい、どこまで馬鹿にすれば気が済むのだ」

「それは――」


 私はなすすべなく閉口してしまう。

 ほんとは人違いなんです、とは口が裂けても言えない。

 どうにかして剣呑な空気をしずめようと必死に言葉を探っていると、はあと魂から抜けるような深いため息をつかれた。


「これではまるで心のない、(しかばね)のような美食だ」


 またさくり、とするどい氷の柱が心に傷をつける。

 それは私にとって、今までの人生を丸っきり否定するような発言だった。

 傷口からにじみ出る怒りと一緒に、この大陸に飛ばされてから溜めこんできた不満が、階段から転げ落ちるようにぐるぐると脳内をかけめぐる。


「見かけ倒しにもほどがある。行くぞ」


 客人は護衛の人に声をかけ、立ち上がった。


 もしここで怒りを我慢することができていれば、私の未来は決定的に変わっていたかもしれない。

 しかしそれは、私の料理人としてのプライドが許さなかった。

 丹精こめて作った一品をどぶに捨てるような言葉を、無視することはできなかったのだ。


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