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百味修仙美食秘譜 ―その異邦人、食神につき―  作者: 白玖黎
蘇国編 その異邦人、食神につき
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第壱章 一味傾心(伍):窮すれば変じ、変ずれば通ず


「ええ!? お肉、これだけしかないの!?」

「悪いねえ、鳳璃(ほうり)ちゃん。今日は勘弁しておくれ」


 もう一度ぐるりと店先をのぞきこんだ私に、店主の(やん)おじさんが申し訳なさそうに眉尻を下げる。


 (きじ)肉や(かも)肉もない。それどころか、いつもは必ずあるはずの鶏の胸肉まで。

 残っているのは、羽や足といった栄養価も低くて食べにくいパーツだけ。

 まるで肉食動物に蹂躙(じゅうりん)されたあとのように凄惨(せいさん)な有りさまだ。


「な、なによこれ……いくらなんでもひどすぎる!」


 私は我慢できずぎろりと背後を半目でにらむ。


(よう)志鶴(しかく)! あんた、狩り仲間と一緒につまみ食いしたんでしょ!!」

「は、はあ!? 知らねえよ!! つか、なんで俺のせいになるんだ!」

「あんたから一番怪しそうなにおいがするのよ! さっさと観念して肉をはき出しなさい!!」


 私は知っているのだ。

 この店に並べられる肉はぜんぶこいつが狩ってさばいていることを。

 楊おじさんは気弱だから、息子をうまく叱れないことも。


「もとから在庫が少なかったんだ!」と気圧(けお)されながらもハイエナのように食ってかかる志鶴。

「じゃあなんでおいしい部分だけないのよ!?」と私は百獣の王の気迫でにらみ返す。

 バチバチと火花を散らす私と志鶴のあいだに「まあまあ」と明蘭(めいらん)が割って入る。


「ちょ、ちょっと落ち着いてよ鳳璃。なにか事情があるんじゃ……」

「そ、そうなんだよ鳳璃ちゃん!」


 今までおろおろと成り行きを見守るだけだった楊おじさんが、あわてて口を開いた。


「今朝、この町にたいそう立派なお役人さまがやってきてねえ。鶏の胸肉をぜんぶ買っていってしまったんだ。おかげで残ってるのは、貧相な羽や足の部分ばかり……」

「役人? こんなところに? めずらしいわね」


 困り果てたようすでうなだれる楊おじさんの姿を見て、私は冷静さを取りもどした。


 役人とは、国に仕えて天子のまつりごとを補佐する官吏(かんり)のことだろう。

 本来なら彼らは都や地方の大きな町など、各地の重要な場所に常駐(じょうちゅう)していて、こんな田舎にはめったに姿も見せないはずなのに。


 老父のおかげで濡れ衣を晴らすことができた志鶴は、そら見ろと言わんばかりに鼻をならす。

 その態度は気に食わなかったけれど、自分が間違っていたのだと認めた私は「食のことになるとつい熱くなっちゃう悪い(くせ)、どうにかしなきゃ……」と素直に反省する。


 それにしても、なんでその役人はわざわざ辺境の町へやってきて肉を買い占めたのだろう。

 豪勢(ごうせい)な馬車に乗った小ぎれいな官吏が両手いっぱいに鳥肉を抱えたさまを想像する。

 それはあまりにも奇妙な絵面で、考えれば考えるほど謎は深まるばかりだった。


「どうしよう。楚文(そぶん)は食べざかりだし……きっとこれだけじゃ、足りない」


 私よりも深刻そうな顔をして明蘭がぽつりとつぶやく。


 そうだ。

 この際、変人の動機はどうだっていいのだ。

 問題は、今私たちが直面している肉不足という現実。


 思一族は現在、大人がふたりと嫁入り前の娘がひとり、成長期の男の子がひとりいる。そこに最近、私が加わったばかり。

 骨ばかりのほとんど肉のない部位だけで、五人を満足させる料理が作れるだろうか。

 せめて、一品だけでも十分に満足できる料理があれば――。


「そうだ!」


 突然、頭に星が落ちてきたような名案がひらめき、私は前のめりになって言った。


(やん)おじさん、売れ残った鶏肉、ぜんぶください。羽や足もまとめて!」

「おい、どうするつもりだ。本当にいいのか」


 どちらかというと心配よりも疑いの色を強くにじませた声音。

 視界に割りこんできた志鶴の目を、私はまっすぐ見据えてうなずく。


「うん。それでね」


 美食はみんなで楽しむもの。

 食べてくれる人は多いほうがいいに決まってる。


「ちょっと試してみたいことがあるんです。おふたりも一緒にどうですか?」


 (よう)親子はそろってきょとんと首をかしげた。


 ◆ ◇ ◆


 厨房(ちゅうぼう)の扉を開けると、香辛料と薬草の混ざった香りがつんと鼻をついた。

 木の切り株をそのまま持ってきたようなまな板に乗っているのは、干したしいたけに長ねぎ、生姜(しょうが)、木の実。

 さらにその上に塩漬けした鶏手羽をどさりと乗せる。


「よいしょ……っと。これくらいで足りるよね」


 豚脂(ラード)を溶かした片手鍋に、刻んだきのこと野菜を加え、醤油、砂糖、紹興酒(しょうこうしゅ)で味つけしながらじゅうじゅうと炒めていく。

 そのとなりで明蘭が私の指示に従いながら調味料を混ぜ、たれに鶏手羽を漬けていく。

 扉の近くでは、眉をひそめた志鶴がじっと私たちの作業をうかがっている……。


 手料理をふるまう代わりに食材と厨房を貸してほしいと伝えると、楊おじさんは快く承諾してくれた。

 「ふたりの料理が食べられるなんて、本当に楽しみだねえ」と喜んでくれたおじさん。

 それに対して、志鶴は苦虫を百匹くらいかみ潰したような顔をした。

 言葉に出さなくても、自分の縄張りに私が入ってくるのが気に入らないのだとすぐわかる。


 彼のように素性の知れない私を(いぶか)しむ人は一定数いた。

 彼らからしてみれば、私はつい最近(さと)にやってきたばかりの怪しい人間だ。

 けれども志鶴の場合、それだけが理由じゃなさそうだけれど。


 じろじろと見られると、どうにも作業がやりにくかった。


「あんた、することないんでしょ。蓮の葉っぱ取ってきてよ」

「蓮の葉? 何に使うんだよ」

「なにもしないんなら出ていってくれる?」


 私が強い口調で言うと、明蘭の目もあるからか邪魔者はしぶしぶ部屋から出ていった。

 彼と打ち解けるにはもうすこし時間がかかりそうだ。

 戸が閉まる音を背中で聞いた私は菜箸を置き、明蘭といっしょに鶏手羽の骨を抜く作業に取りかかる。


 この大陸にキッチンバサミなんて便利なものはなく、食材を切るには包丁を使わなければいけない。

 まずは関節と筋を断ち切り、骨一本ずつ周りの肉を丁寧にこそぎ落としていく。

 そうしたら骨の先っぽを持って一気にズルっと。


 周りの肉を外してしまえばわりと簡単に引き抜くことができるけど、そこまでがなかなか難しい。


「痛っ……」


 ふとした拍子にするどい痛みを感じて指先を見ると、赤い血がぷくりと盛り上がっていた。

 勢いあまって指を切ってしまったらしい。

 幸い傷口はそれほど深くないみたいだけれど。


「鳳璃!? だ、大丈夫……!?」

「平気よ。ちょっと切っちゃっただけだから」

「ぜんぜん平気じゃない! はやく見せて!」


 大丈夫だと言っているのに、明蘭は作業の手をとめて私の手を取った。

 ひんやりと冷たくて繊細(せんさい)な料理人の手が私の指に重なる。

 彼女の細い指先が触れたところから、すっと熱が吸い取られていく。


 一瞬の後、ぱっと手が離れると、まるで何事もなかったかのように切り傷がなくなっていた。


「ええっ!? 今の、どうやってやったの!?」

「ごめん……びっくりさせちゃった?」


 目を白黒させる私に、明蘭は困り顔で微笑(ほほえ)む。


「だまってたんだけどね……実は、ほんのちょっとだけ仙術(せんじゅつ)が使えるの」

「仙術……って、じゃあ蘭蘭は食仙(しょくせん)だったってこと!?」


 それは、この大陸に伝わる摩訶不思議(まかふしぎ)な伝説だ。

 例えるなら仙術とは魔法のようなもので、食仙はそれを操る魔法使いのようなもの。

 自らの手で美食を極めた者だけがなれるとされる、すべての料理人が目指す境地。

 ほとんど空想上でしか語られない彼らは、空を飛んだり水面を走ったりと、人間離れした特別な技を会得(えとく)するという。


 古くから神と人がともにあるこの大陸では、そういった存在がたしかにいるのだと明蘭は言う。


「鳳璃は怖くないんだね、この力のこと」

「怖いだなんてとんでもない! むしろ――」


 言いかけたそのときだ。

 ばんっとたたきつけられるように扉が開き、眉間にしわを刻んだ志鶴がぬっと現れた。


「……蓮の葉だ」

「あ、ありがとう。本当に取ってきてくれたのね」


 大きな葉っぱを押しつけられ、おずおずと礼を言う。

 しかしどういうことか、さっきよりも機嫌が悪くなってる気がする。

 私は明蘭と話すのをあきらめて、背中に突き刺さる剣呑(けんのん)な眼差しから逃れるように、せかせかと手を動かし始めた。


 よって、彼女がほっと表情をゆるめたのに気づくことはなかった。


 鶏手羽の骨をすべて除き終えると、代わりに炒めておいた具をつめこんでいく。

 そうして仕込んだものをいくつかまとめて蓮の葉っぱで包むと、外から集めてきた泥を表面に塗りたくった。


 これには明蘭もびっくりしていていたが、やがて彼女も意を決したように泥を手に取った。

 できた泥のかたまりを石窯(いしがま)に入れれば、あとはじっくり火が通るまで焼き続けるだけ。

 私たちは始終せっせと厨房を行き来し、あっという間に料理を完成させた。


「じゃじゃーん、自家製ミニ叫花鶏(きょうかどり)! これが私の考えるコスパ最強メシよ!!」

「こすぱ……?」

「いろいろお得ってこと!」


 焼き上がった泥をたたき割ると、蓮の葉のさわやかな香りといっしょにじゅわりと肉汁があふれ出てきた。

 手羽の先まできつね色に染まっており、焼き加減も上々。


 叫花鶏は、かつて食べるものに困った乞食(こじき)が発明した料理だという。

 本来なら鶏丸ごと一羽で作るところを、今回は鶏手羽で代用。

 その代わりに具をぎっしりと詰めこんだ、既存の料理を自分なりにアレンジした創作料理だ。


 偶然のなかで生まれた料理を偶然にひらめいたアイデアで包みこんだ、まさに(きゅう)すれば変ず的な一品。


 そのとき、明蘭が持ってきた竹籠からばさっと茶色の流星が飛び出した。


「くるっぽー」

「わっ、豆豆(どうどう)! こんなところにいたのね!」


 もちのような山鳩はとととっとこちらに駆け寄ると、蒸し焼きにした木の実をついばみ始めた。

 この子、名前のとおり木の実や豆が好きなのよね。


「さあ、私たちも食べましょう。冷めないうちに」


 豆豆にならって鶏手羽をひとつつかみ取り、豪快にかぶりつく。


 ぷりっぷりの皮にジューシーなお肉。シャキシャキ感のある長ねぎの組み合わせがたまらない。

 野菜でかさ増ししたおかげで、いくらでも食べられそうなのにしっかり満足感を味わえる。

 蓮の葉の後味がさわやかなのもまたいい。


 私たちは鶏肉を頬張りながら、それぞれ感想を言い合う。


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