第壱章 一味傾心(肆):異世界生活も美食とともに
人と神霊がともに歩む、百味大陸。
八柱の神獣が鎮座するその地には、それぞれ独自の文化を持つ八つの国が存在する。
豊かな自然と水源に囲まれた蘇の国は大陸の東に位置し、青龍の加護を受けた大国だ。
明蘭の屋敷に身を寄せることになった私は、まずありったけの書物を読んでこの大陸に関する知識を蓄えることにした。
日が出ているうちは料理や掃除、薪割りなどの家事を手伝い、夜になると書庫から借りてきた本を読み漁る。
その努力が功を奏してか、蘇国人として生きていくための最低限の教養はなんとか頭に叩きこむことができた。
しかし何事も習うより慣れろ。
私は座学と並行して近くの町へ繰り出したり、現地の人と会話することで異世界での暮らしになじもうとした。
実際にそうすることで得られた知識も多くあったのだ。
例えば――。
「これをこうして……っと。はい、できあがり!」
砂糖を煮つめたあめをはさみで切断し、形を整えてから竹串にさす。
あめ細工が空に向かってぴんと翼を広げると、ほうっと魔法でも見たかのように子どもたちがため息をついた。
私は今にも飛び立ってしまいそうな鶴を食い入るように見つめていた男の子に手渡した。
「わあー! おっきなつるだ!」
「つぎ、つぎはっ、ぼくのもつくって!」
「わたしのもー!」
男の子が目を輝かせると、周囲に集まった数人の子どもがきゃいきゃいとはやし立てる。
数週間も経つと、私はもうすっかり郷の子どもたちの人気者となっていた。
「はいはい、全員分ちゃんと作ってあげるから。順番に並ぶのよー」
新しいあめのかたまりを練りながら、てきぱきと列を作る小さな姿を微笑ましく眺める。
ここ数日、毎日のように子どもたちから作ってとねだられているのが、もとの世界で糖人と呼ばれる伝統的なお菓子だ。
熱してやわらかくした砂糖をこねたり引っぱったりすることで、人や動物の形を作り出す。
本来ならかなりの技術がないと作れないお菓子だけれど、幼い頃から近所のおじさんが作っているようすをよく見ていたので簡単なものなら私でも作れた。
「今度はうさぎさんの完成!」
「うわあ!!」
子どもたちに見守られるなか、次々と私の手から甘い生命体が生み出されていく。
最初は遠くからようすをうかがうだけだった子たちも、今では夢中になって私の手もとを見つめていた。
子どもたちと交流することで知っていったのは、彼らの具体的な生活様式だ。
奇しくも、蘇国の文化や言語は私の生まれ育った国とたいして変わらないようだった。
皇帝が国と民を治め、栄えた街や都があり、農村も山里もある。
ただ時代は数百年くらい遡っているようだけれど。
「へへっ、もーらいっ!」
そのときだ。
列の先頭に立つ女の子に渡そうとしたうさぎが、ひょいっと横からのびた手によってかっ攫われた。
「あ、待ちなさい! このクソガキ!!」
盗人の正体は子ども集団の首領、思楚文。
脱兎のごとくぴょんぴょんっと身軽に跳ねまわる盗人を、私は追いかけようとする。
けれどもガキ大将の楚文が「かかれー!」と言うと、やんちゃな仲間たちがわらわらと私に群がってきた。
「いたたたっ!? こらっ、よじ登ろうとしない!」
どどどっと突進してきた子どもたちに腰骨を踏まれ、肩に手をかけられ、もはやしっちゃかめっちゃかだ。
「年上の人間を敬いなさい! 言っとくけど私、あんたたちのお姉ちゃんやお兄ちゃんよりもずっと歳上なんだからね!?」
「やーい、年より!」
「年寄り舐めんじゃないわよ!!」
なんでこいつはお姉ちゃんと違ってこうも生意気なのよ!?
もみくちゃにされながら、せめて倒れまいと踏ん張り元気いっぱいの子どもたちと乱闘する。
あめ細工を取られた女の子が涙目になっているのを見て、「もうこうなったら……」と私はとっておきの奥の手を出す。
「私がめちゃくちゃ立派な龍を作ってやるわ! 見てなさい。偉大な龍神様に最初に粛清されるのは、あんたたち悪い子なんだからね!!」
びしっと指を突き立てて高らかに宣言すると、子どもたちの反応がはっきりとふた手にわかれた。
「ほうり、せいりゅうさまつくれるの?」
「すごいすごい、せいりゅうさま!」
「いっちばん、おっきいのつくって!」
一方は、星くずをまいたように瞳をきらきらと輝かせるいい子たち。
もう一方は、「え?」みたいな顔をして凍りつく楚文とやんちゃな仲間たち。
首領の楚文なんか幽鬼のように顔を青ざめ、ちんけなうさぎのあめ細工と私の顔を見比べている。
蘇の国において龍は、良くも悪くもことさら特別視されている神獣なのだ。
腕をまくりひときわ大きなあめをこねていると、遠くから見慣れた人影が近づくのが見えて私は手をとめた。
「あ、蘭蘭!」
それは、竹籠を背負って屋敷から出てきた明蘭だった。
「鳳璃。今から市場へ買い出しに行くんだけど、一緒に来る?」
「もちろん!」
あ、でも。
反射的に答えてしまったが、私の手にはまだ作りかけのあめがある。
「ええっと、ちょっと待っ――」
言いながら横を見て、思わず固まってしまった。
さっきまで一緒にはしゃいでいた子どもたちの姿が、誰ひとり見当たらなかったのだ。
私の視線を追った明蘭も不思議そうな顔をする。
「どうかした?」
「う、ううん。なんでもない。ごめん、行こうか」
ざわりと胸をひとなでした違和感。
その正体も知らないまま、自分自身と親友をごまかすような笑みを顔に貼りつける。
私は胸の内のわだかまりを隠すように、まだあたたかい砂糖のかたまりにふたをして歩き始めた。
「さっき近所のおばさんからおすそわけしてもらったの。作りすぎたんだって」
となりに並んだ明蘭が持っていた布包みをほどくと、なかから白くて丸い点心が現れた。
蓮のつぼみにも似た形のそれが真ん中から割れると、甘い香りと湯気がふわっとあふれ出す。
「包子! これ大好きなの!」
ふっくらとした白い生地に、黒胡麻で作ったあん。
断面からは、ホクホクとした蓮の実がひょっこり顔を出している。
包子はなかの具によってさまざまな種類があるが、私はこれが一番好きな組み合わせなのだ。
あんがたっぷり入ったひと切れを受け取り、熱々のまま口に放りこもうしたそのとき。
ふとだれもいないはずのあばら屋から気配を感じ、私は視線を動かした。
風雨にさらされ、見る影もなく朽ち果ててしまった木造りの小屋。
その奥で垢とほこりにまみれた少年が、じっとこちらを見つめている。
正確には、私が持っている包子を。
枯れ枝みたいにやせ細った姿を見た途端、考えるよりも先に足が動いた。
私はぼろをまとった乞食の少年に駆け寄り、迷いなく自分の包子を差し出した。
「これ食べて。お腹すいてるでしょ」
一瞬、死の気配によどんだ双眸に一筋の光が宿る。
少年は野良猫のように背筋を曲げ、包子をばっとひったくると、おぼつかない足取りで走り去っていった。
「……鳳璃、行こう」
「あ……うん」
ぽかんとする私の背中に、明蘭が低く声を投げかける。
それから、やるせないといったようすでため息をついた。
「最近、あちこちで洪水が起きてるせいで飢饉の話が絶えないの。……あのうわさ、もしかすると本当なのかも」
「うわさって?」
私はすかさず聞き返したが、「ううん」と力なく首を横にふられた。
「ちょっと気になる話を聞いただけ」
「ええっ! いいじゃん、教えてよー」
「ふふっ、また今度気が向いたらね」
それから市場へたどり着くまで、ふたりのあいだでその話題が口に上ることはなかった。
集落からまっすぐ道沿いに進んでいったところに小さな町がある。
そのなかのさらにちんけな市場では主に獣肉や野菜などの食材と、ごくまれに都から流れてくる嗜好品なんかが売られていた。
毎日のように人々が出入りする市場へ通い続けて、この世界についてわかったことがもうひとつある。
「おや、こりゃ立派な大根だ。食神様のお恵みかね」
「違いないさ。うちの商品は全部泉の水で育ててる。伝説中で食仙が煮炊きに使ってたあの泉さ!」
「それじゃ一本もらっていくよ。また来るからね」
「まいど! 五味の祝福があらんことを!」
食神、食仙、五味。
市場のどこを歩いていても、聞こえてくるのは食に関する単語ばかり。
なんでも、この世界では食がなによりも力を持つというのだ。
決して比喩なんかじゃない。美食が神様と同等以上に尊いものとして民に崇められている。
そのようすは史書にも目立つように描かれていたし、人々の暮らしぶりを見ても一目瞭然だった。
例えば、料理が上手な人は村長や領主など、どの集団においてもカーストの上位にいる。
自らの手料理を神様に捧げる厨師という神官がいる。
蘇国の人々にとって食とは、飢えを満たすことは、なによりも優先すべきこととされている。
だから、社会の日の当たる場所にいる限り、民は食べるものに困ることはないはずなのだけれど――。
「おっ、明蘭。来てたんだな」
突然、近くから声がして私たちふたりはそろって顔を上げた。
そこに立っていたのは人懐っこそうに手をふる精悍な青年。
あのたくましいシルエット、見たことある。ええと、たしか名前は……。
「志鶴! もう狩りから戻ってきたの?」
そうだった。
この市場に店を構える肉屋の息子で、明蘭の幼なじみの楊志鶴。
つややかな外ハネの茶髪やはりのある肌が健康そうな好青年だ。
「ああ。それより歩いてきたんだろ? 疲れてないか?」
「うん、わたしは平気」
しかしこの男、私のことはまるで見えてすらいないかのようにガン無視。
それなのに明蘭とは、やけに楽しげに話をしている。
相づちを打つ明蘭も嬉しそうに頬を染めている。
ははーん、と私は思う。
内心でほくそ笑み、割りこみづらい雰囲気をかもし出すふたりからそろりと離れた。
ここはふたりにさせておいて、邪魔者は先に買い物をすませておくべきね。
そんなこんなでひとり店の軒先をのぞきこんだ私は、信じられない光景を見て思わず大きな声を出してしまった。