第6話
多くの女性から刺されたり、袋叩きにされたりする描写がありますが。
小説ということでご寛恕を。
そんなことが富士の巻狩りであってから暫くして、自分は元服し、併せて嫁取りをすることになった。
そして、その相手として、父の源頼朝が私に言ってきたのが。
「比企能員殿のご息女ですか。乳姉弟で結婚することになりますね」
「嫌なのか」
「そんなことは申しません」
私は父とそんなやり取りをしていた。
実際問題として、自分は数えの15歳(満で言えば14歳)であり、元服して嫁取りするのが当然の年齢になっている。
そして、比企能員殿の娘も数えの18歳であり、そろそろ結婚して当然というか、晩婚だ等といわれかねない年が近づいているが、それが自分と結婚するためだったとは。
3歳程の年上女房になるが、政略結婚ならばこの程度は幾らでもある話だし、前世では独身で死んだ自分にしてみれば、紛うことなき良縁としか言いようがない。
更に言えば、父の源頼朝の乳母を務めた比企尼に娘は複数いたが、息子は朝宗しかおらず、更に男子を残さずに朝宗が早世したので、甥になる比企能員が養子になっている。
比企尼の娘は安達盛長、河越重頼、平賀義信といった鎌倉幕府の有力者の面々に嫁いでいることから、比企能員はそういった面々と華麗なる閨閥を築いているといえて、比企能員の娘と自分が結婚するのは、そういったことからも、極めて妥当な縁組と言える。
だが、素直に自分が比企能員の娘と結婚するのが良いことなのだろうか。
それこそ自分からすれば母の実家になる北条家、北条時政らが微妙にへそを曲げそうな気がする。
比企家と北条家は無縁という訳ではない。
何しろ北条義時の今の妻は、比企朝宗の娘なのだ。
だが、史実がそうだったように、北条時政の跡取り息子は義時の異母弟になる政範になっていて、北条家と比企家は微妙に疎隔が生じつつあるといってよい。
比企能員は自分の縁者の義時を北条家の跡取りにすべきだ、と考えているのに対し、北条時政はそんなことをしては北条家が比企家の下風に立つことになると考えていて、政範を跡取りにしたようなのだ。
ここは斜めに構えてみるべきだろう。
そう考えた私は、父に提案した。
「比企能員殿の娘との縁談は、誠に結構な話ですが。私はもう一人、結婚相手を考えています」
「ほう。一体誰だ」
「大叔父の源為朝殿の孫娘にもなる賀茂(足助)重長殿の娘です」
「ほう。何故だ。艶書(恋文)でも取り交わしているのか」
「そんなことはしていません。しているのなら、きちんと(両親に)断ってからします」
自分の言葉に、父の声音が何故か少し厳しくなったのを察した私はすぐにフォローに入ったが、父の追及はすぐには止まない。
「それなら何故に結婚したいのだ」
「実は」
自分は真実と嘘を取り混ぜて、父の説得に掛かった。
賀茂(足助)重長殿は、自分達の共通祖先になる源経基の男系の末裔になり、女系を介すれば源義家や源為朝の末裔でもあるという清和源氏でも名門の血脈を受け継いでいる。
「その娘と自分が結婚すれば、私達の間の子は極めて濃い源氏の名門の血を受け継ぐ子になります。そして、保元の乱の際に戦った私の祖父の源義朝と大叔父の源為朝の間の因縁を解くことにもなります。父から私へと源氏の嫡流が受け継がれることが、ほぼ決まった今、親兄弟さえも相克してきた源氏の因縁を解く良い結婚になると考えます」
「ほう、理が過ぎておるな」
自分の言葉は、理が過ぎていたか。
私は更に知恵を巡らせて。
父に私は小声で言った。
「将来を考えると年の近い女と結婚したいのです」
「正直でよろしい。女は若い方が良い」
私の言葉に、父は破顔一笑して言った。
うーん、父がこんなにちょろいとは。
源氏が三代で絶えたのも当然だったかも。
私は失礼なことを考えた。
少なからずの補足説明をすると。
割烹にも書きましたが、比企氏の娘が3歳(学年で言えば4学年)年上、賀茂(足助)氏の娘が同い年(学年で言えば1学年)年上に、小説上ではなっています。
中学2年の男子が高校3年の女子と中学3年の女子、どちらと結婚を望むのが普通かというと。
そうしたことから、頼朝は主人公の言葉に納得しました。
又、比企氏の家系について当初、誤った理解で描写していたので、修正しました。
すみませんでした。
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