第45話
そう和田義盛は考えて、東海道軍の指揮官を務める源頼貞(善哉)や監軍の源範頼に、自らの意見を具申して京を目指そうとしたのだが、思わぬ難題が起きて源頼貞らの東海道軍幹部は頭を抱え込んだ。
「何、朝廷軍はできる限りの食糧を奪って、不破関方面に向かっただと」
「やられた。不破関が速やかに突破できねば、美濃で我々は飢餓に苦しむことになる」
少なからずの裏話になるが。
この時代の日本では、兵站の概念が極めて乏しかった。
それこそ移動先で食糧を駆り集めること(要するに略奪行為)で、将兵の食糧は基本的に維持するのが当たり前だったのだ。
実際、(史実の)源平合戦に際しても、源範頼軍が西国に侵攻した際に、思うように食糧を駆り集められなかったことから、飢餓状態に陥る惨状を呈した前例がある程だった。
最もそんな経験があっても、幕府軍の幹部というか、大御家人のほとんどは、どんどん軍勢は移動するものなのだから、食糧を確保できるところを目指せばよい、と今回の戦でも軽く考えていたのだ。
ところが、今回の戦においては、濃尾三川を主な戦線として、朝廷軍と幕府軍が激しく戦った結果、美濃や尾張にあらかじめ蓄積されていた食糧の備蓄の多くが、双方の将兵によって食い荒らされてしまい、底が見えるようになってしまった。
更に朝廷軍は自らが確保していた土地から、できる限りの食糧を洗いざらい奪って、不破関等に立て籠もろうと策しているのだ。
不破関等をこれから攻めようとする幕府軍にしてみれば、酷い頭痛がする事態と言える。
何しろ東海道軍と朝廷軍の激突だけで、美濃周辺は荒らされてしまったのだ。
そこに東山道軍まで加わって、不破関を突破しようと図らざるを得ないとは。
多くの兵士が飢餓に敏感であり、飢餓になれば士気の低下等では済まず、下手をすると帰国を図ることからしても、幕府軍の幹部にしてみれば軽視できる問題では勝った。
そうして幕府軍の幹部が頭を抱えているところに、第二陣の軍勢を率いて私がやってきた。
「最新の戦況はどうか」
「はっ」
私の問いかけに、和田義盛が結果的に答えてくれて、更に食糧不足の懸念を訴えた。
私は頭痛を覚えてならなかった。
全くあの会議の場で念押しすべきだったのに、泥縄になってしまったという想いまでがした。
承久の変(?)が間もなく起こる以上は戦の準備をせねば、ということから色々と戦のことを私自身が調べて来たのが、結果的に役立つことになったようだ。
「分かった。海路を使って、坂東で集めた食糧を尾張の湊まで運ぶことにし、そこからは陸路で食糧を運んで不破関の突破を図るのだ」
私の言葉に、幕府軍の幹部の多くが驚愕した。
「そのような準備をされていたのですか」
畠山重忠が尋ねてきたのに、私はうんざりする想いをしながら言った。
「戦の際に食糧確保を考えるのは基本だ。昔の戦(源平合戦)を忘れたのか。あの時は食糧不足から帰国を望む御家人が多数出たと聞いているが。なあ、和田殿」
「ははっ。いやあ、歳は取りたくないもの、すっかり忘れておりました」
和田義盛が、私の皮肉に背中に大汗をかきながら言った。
実際、義盛はあの時に、帰国しようとするまでのことをやらかしたのだ。
「台湾等に向かう予定だった大型の船舶を徴集して、又、利根川等を使って坂東の食糧を江戸に集めるように指示を既に下している。そして、江戸から船舶で食糧を運び、それで兵の食糧を賄うのだ。兵の食糧確保の目途が立ち次第、不破関突破を図るぞ」
「ははっ」
私の指示に多くの御家人が同意した。
私は改めて考えた。
腹が減っては戦ができぬということだ。
まずは補給を整えた上で、我々、幕府軍は不破関突破を図るしかないな。
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