第44話
具体的な日付を書いていませんが、後鳥羽上皇が土御門上皇を始めとする幕府方を朝敵として討伐する院宣等を下して、約10日程が経っています。
(最初は詳細な日付等を描く予定でしたが、却ってリアリティを削ぐと判断して、少し曖昧な表現でこの世界の承久の変を描くことにしました)
さて、こうした感じで、私は千葉氏を中心とする房総の御家人の護衛の下、鎌倉から京を目指すことになったのだが、前線の戦況は急速に動いていた。
「東山道から進軍している幕府軍は、既に信濃と美濃の国境を越えようとしているとのこと。尚、その総指揮官は畠山重忠で、その麾下の兵は数万規模に達する模様」
「そうか、そうなると横撃の危険があるな。ここは一旦、不破関を固めるしかないか」
東山道方面に放った物見の報告を聞いた藤原秀康は観念したように呟き、追討使である源実朝の下に自らの意見を具申すべく赴いた。
「戦況はどうか」
「余り芳しくありませぬ。東海道からは幕府方の御家人が相次いで駆けつけており、徐々にわが軍の兵力は劣勢になりつつあります」
源実朝の問いに、藤原秀康は率直に意見を述べた。
「更に問題なのは、東山道方面からも、かなりの規模の幕府軍が進軍していることです。このままでは横撃を受けることになり、我が軍は崩壊する危険があります」
「確かにその通りだな」
藤原秀康の更なる意見に、源実朝はそう返した。
源実朝は内心で考えた。
後鳥羽上皇やその周囲の意見に、私は完全に毒されていた。
それこそ後鳥羽上皇からの院宣や、朝廷からの官宣旨があれば、それこそ鎧袖一触の勢いで、幕府方の多くの御家人が朝廷方に立つ筈だった。
しかし、実際には東国の御家人のほとんどが幕府方に立っており、更には土御門上皇の院宣を正義の証として、我々に容赦なく弓矢を向けてきている。
更に言えば、兄(主人公の源頼家)は予めこのような状況を準備していたかのようで、鎌倉大番役や奉公衆を中心とする御家人達が、この場に急行しつつあり、兵力面を考えると、急激に劣勢に我々は陥りつつある、としか言いようがない。
自分は京で数年に亘って暮らしており、そうしたこともあって、幕府と御家人の間に院宣や官宣旨を公然と無視して、朝廷に刃を向けるだけの絆があるとは気づいていなかったようだ。
更に前線からの噂を聞く限りだが、私の母の政子は、幕府の敵となった私を殺せ、とまで公言しているらしい。
実母に殺せ、と言われるとは、自嘲するしかないな。
だが、(その一方で)朝敵となった兄達を討たねば、後鳥羽上皇の命令に従わねば、とも源実朝は考えざるを得なかった。
「今後、どうするのが最善策と考える」
「ここは不破関をまずは固め、鈴鹿関を一部の兵を割いて固めるべきかと」
源実朝の問いに、藤原秀康は打てば響くように答えた。
「それで、時間を稼いで、西国の武士が我々の下に駆けつけるのを待つのが最善か」
「その通りです。劣勢な兵力でこのまま攻勢を続けるのは無理があります。それよりは不破関等の要害によって、敵の攻勢を凌ぐと共に、敵を消耗させた上で、我々の味方の到着を待ち、優勢な兵力をもって反転攻勢に転じるのが最善と考えます」
「確かにその通りだろうな。では夜陰等に紛れて、不破関に速やかに移動しよう」
藤原秀康の進言を受け入れて、源実朝は速やかな移動を決断した。
「逃げおったか」
気が付けば、朝廷軍の姿が消えていたという現実の前に、幕府の東海道軍の先陣を務めている和田義盛は、地団太を踏む想いがした。
朝廷軍は濃尾三川を基本とする幕府軍の防衛線を速やかに突破するのが困難な戦況の下、東山道軍の近接という情報を掴んで、速やかな退却を決断した模様だ。
「ふん、流石は鎌倉殿の弟君を、俵藤太の末裔が援けておるとみるべきか」
和田義盛は素直に敵を称賛する言葉を発しながら考えた。
ここで敵を叩けなかったのは痛いな、恐らく敵は不破関を固めるつもりだろう。
要害の不破関を固められては、かなりの苦戦を強いられることになるやもしれぬな。
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