第41話
(この世界の)承久の変の始まりになります。
1221年5月、後鳥羽上皇は、城南宮で「流鏑馬揃え」を行うとの口実で、北面の武士や西面の武士に加えて、畿内の武士を呼び集め、2000騎近くの武士を集めた。
更にその場において、私が土御門上皇を「治天の君」とし、更に鞠子が産んだ皇子の邦仁王を天皇に立てようとする謀叛を企んだ事実が発覚したとの理由から、土御門上皇及び私を討伐するように官宣旨や院宣を正式に出した。
そして、追討使として私の実弟になる源実朝を命じ、諸国に動員令も下した。
(この世界の)承久の変の始まりだった。
もっともこの動きは、私達というか幕府方に掴まれていた。
「予想通り、流鏑馬揃えに合わせて、官宣旨や院宣が出ましたな」
「山田重忠殿からの使者によれば、土御門上皇陛下と鞠子様らは山田重忠殿自らが護衛して、既に近江へと脱出済みで、このまま尾張までお連れするとのこと」
「尾張までたどり着けば、そこは辻殿の身内が多数おられる。まずは安心だ。ところで、土御門上皇の院宣は、無事に届いたのか」
「ご安心を、無事に届いております」
「うむ、これで我らも官軍だ。容赦なく戦に臨める」
私の眼前では宿老衆が集って、予想通りの事態が起きた、と粛々と対策を協議しようとしていた。
そう、こうなることを予期していた幕府側は来るべきものが来た、と考えて動こうとしていた。
だが、水を差す存在が現れた。
「何をのんびりとしているのです。すぐに鞠子らを庇護し、京へと進軍するのです」
私と宿老衆の会議の場に、私の母の政子が怒鳴り込んできたのだ。
その進軍の準備を進めるための会議を今から開くのですが、と私が口を開く間もなく、母の怒鳴り声は更に続いた。
「貴方達は、私の夫の恩を軽んじるのですか。それこそ幕府ができたことで、御家人達は大番役の軽減等、様々な恩顧を被ってきたのですよ。それなのに、愚図愚図と会議をしているとは、私の夫の恩義を覚えているならば、速やかに京へと進軍なさい。それとも、実は朝廷に味方するつもりなのですか。それならば、まずは私の首を刎ねなさい、恩知らずの正体を私は知らずに済みます」
流石に言い過ぎです、ある程度の準備が不可欠なのです、と私が言いかけたが、それを止める怒鳴り声が挙がってしまった。
「尼御台の言葉を聞いたか。こんな会議を開いている場合ではないぞ。儂はすぐに東海道から京へと向かうぞ。土御門上皇を庇護し、更に鞠子様や皇子を護って、君側の奸を皆殺しにしてくれる」
和田義盛が、そう叫んで会議の場から出て行ってしまった。
「応、その通りよ。会議等はしている場合ではないわ。儂は武蔵に戻って、東山道から京へと向かう」
畠山重忠までが、和田義盛の言葉に呼応して、会議の場から出て行ってしまった。
こうなると、もうどうにもならぬな、私は諦念を覚えた。
「さて、どうなさいますか」
北条義時が、敢えて政子を無視して、私に声を掛けて来た。
(尚、政子は会議の場で未だに参加者たちを睨みつけている)
「侍所長官の和田殿が出て行った以上、会議は終わりだ。すぐに京へと進軍する。東海道の前線総指揮官は、儂の嫡子の頼貞(善哉)とし、源範頼を監軍(参謀長)とする。鎌倉大番役の面々を頼貞と共に京へと向かわせる。和田義盛には先陣を命じる」
私の言葉に、その場に残っていた面々は肯いた。
「東山道軍は畠山重忠を総指揮官とし、甲斐源氏を始めとする道中の御家人を駆り集める。又、北陸道からも比企朝時を総指揮官とし、道中の御家人を駆り集めて進軍する。第二陣として、儂は東海道から京へと向かう。尚、奉公衆は総動員する。それでどうか」
「極めて妥当です」
更なる私の言葉に他の面々も同意して、幕府軍は動き出した。
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