第39話
とはいえ、いきなりこちらから戦を仕掛ける訳には行かない。
少なくとも幕府内部を完全に固め、又、朝廷内の親幕府派を少しでも増やしておいて、戦を避けられるのならば避けられるようにする必要がある、と私は考えて、対朝廷工作に勤しむことにした。
それにこの私の考えには北条義時、頼時父子や三浦義村も同意してくれた。
彼らも、こちらから戦を仕掛けるのはまずい、朝廷が戦を仕掛けて来たので、止むを得ず幕府は戦に応じた、という形を整えるべきだと言ったのだ。
そうしたことから、私は北条時房をまずは京に派遣して、対朝廷工作に当たらせることにした。
それにもう一人、好適な人物にも私は頭を下げた。
「娘に逢いに行って欲しいですか」
「自分はそう易々と京にはいけぬ。費え等はこちらで調える故、娘に逢いに京に行って欲しい」
「改まって急に逢いたいというから、何事かと思えば、そのような頼み事ですか」
比企の新尼と(多くの鎌倉御家人に)呼ばれている私の元側室と、私は茶を喫しながら会話した。
ちなみにその場所は、鎌倉を囲む山間に構えられた尼寺の中の庵だった。
元側室は、今はこの尼寺の住職になっており、比企一族の菩提を弔う人生を送っている。
財政的には私からの多大な寄進で裕福な暮らしを比企の新尼は送っており、出家の際に戒師を務めた退耕行勇が、私に対して苦言を呈する有様だった。
比企の新尼と私の会話は続いた。
「言うまでもなく、護衛も兼ねて供は複数付ける。供の代表は家朝(幼名は一幡、つまり比企の新尼の実子)にする。表向きの名目は、家朝に適当な官位を求めるためで、その序でに京において、そなたの孫を産んだ鞠子とそなたが逢うということになる」
「その際に土御門上皇の院宣を秘密裏に貰ってきて欲しいとでもいうのですか」
「そうだと言ったら、どうする」
「俗世を離れた女人がすることではありませんね」
比企の新尼と私は、それ以上は言葉を交わさず、暫く目で会話した。
事実上の夫婦として私達が暮らしたのは、結果的には5年程だ。
とはいえ、彼女は側室で、それこそ私が危篤に陥った時に、傍で私を看護したのは正室の賀茂氏の娘になる等、どうしても一歩下がった立場を執らざるを得なかった。
そして、比企能員の娘としての誇りがあった彼女は、それを我慢できずに正室と張り合ったのだ。
その後、様々な行き違い等から実家の比企家は「平賀氏の変」によって、彼女の実父や兄弟は戦死又は自害してしまい、比企朝時(北条義時の次男)が比企家を継ぐことになった。
それで、私と別れて彼女は出家して俗世を離れたのだが。
それから20年近くが経って、自分達がこのような会話を交わすとは。
自分達の間に、また死臭が漂い出しつつあるのではないだろうか。
そして、その死臭を少しでも少なくするためには。
「分かりました。娘と孫に逢いに行きましょう。その際に院宣の件も話しましょう。私のような尼がそのような役目をする等、誰も考えますまい」
比企の新尼は、終に腹を括って言ってくれた。
私は無言で頭を下げた。
いや、どうにも言葉が私は出なかったのだ。
私が頭を下げるのを見た比企の新尼は、私から目をそらして、横を向いて独り言を言った。
「貴方の正室には感謝しています。私の子ども2人を、我が子のように慈しんで、娘の入内まで取り仕切ってくれたのですから。そして、娘は皇子を産んだ。本当ならば心から私は喜べることなのに、どうして私は素直に喜べないようなことになるのか。考えれば、私の人生はそんなことが本当に多い」
私は、
「本当に済まない」
それだけ何とか口に出した。
彼女をそうしたのは、全て私の責任だ。
でも、私はどうすれば良かったのだろうか。
何故に主人公の元側室が、比企の新尼と呼ばれているかですが、単に比企の尼といえば、源頼朝の乳母という意識がこの頃まで健在のためです。
主人公としては、俗世を離れて出家している元側室を、幕府のためとはいえ、俗世の争いに巻き込みたくないのですが、それこそ主人公と元側室の間の子の鞠子が、朝廷と幕府の間の枢要人物となっていることもあり、主人公としては不本意ながら、元側室を巻き込むことになりました。
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