第37話
時は流れてグレゴリオ暦では1220年4月、この時代の暦で言えば承久2年3月以降の話になります。
(以降という曖昧な表現ですが、この時代の通信手段等の制約から、すぐに1月程は京と鎌倉とのやり取りだけで時が流れるためです)
鞠子(竹御所)が土御門上皇の下に嫁いでから数年が経ち、鎌倉では慶事に沸く事態が起きていた。
「おめでとうございます!」
「うむ」
慶賀の言葉を述べて、祝いの品を私の下に持参する者が引きも切らない有様で、私もその全てに愛想よく答える事態が起きていた。
何しろ鞠子は、土御門上皇の皇子を無事に出産したのだ。
上皇の皇子である以上、私の孫になる皇子が皇太子に立てられること等、私は望んでいないが。
そうは言っても前右大臣に将軍の私の娘が、土御門上皇との間に産んだ皇子なのだ。
当然に親王宣下を受けられるものと私は考えて、その日を心待ちにしていたが。
思わぬ事態が起きた。
「何、皇子は親王宣下を受けられないだと」
「はい。上皇になられてから嫁がれている以上、鞠子は正式な后とは言い難い。従って鞠子が産んだ皇子についての親王宣下は、出家して法親王になるのならともかく、俗人のままではダメだとの朝廷の見解です」
「それは当然のことながら、後鳥羽上皇の意向でもあるのか」
「はい」
京から鎌倉に送られてきた朝廷の使者の言葉は、私を思い切り不愉快にさせた。
「親王宣下の見返りにそれなりのことをする用意があるが、それでもダメか」
私は暗にそれなりの贈り物の用意があることを使者にほのめかした。
私とてこの世界に転生してきて40年近くが経ち、それなりのモノを包まないと中々朝廷が動かないのは重々承知している。
「それでしたら、摂津国の長江・倉橋の荘園の地頭を、朝廷(要するに後鳥羽上皇)の推薦する者に変えて欲しいとの要望を承っております」
「何」
使者の言葉は、私を更に不快にさせる代物だった。
それこそ地頭の最終的な任免権は幕府にあることは、従前から決まっていることだ。
後鳥羽上皇陛下は、そういった権限を私というか幕府から奪おうとしている。
摂津国の長江・倉橋の荘園の地頭だけだ、と後鳥羽上皇陛下は表面上は言うつもりだろうが、私が一度でも受け入れたら、それを先例として、全ての地頭の任免権を私に寄越せ、と更に言ってくるだろう。
私は怒りを覚えたが、できる限りの平静を保って、その理由を尋ねることにした。
「摂津国の長江・倉橋の荘園の地頭が非法を働いているとは私は承知していないが。何か非法を働いているというのか」
「いえ、地頭と領家との間で貢租を巡り、紛議が起きているのが許し難いとのことです」
「そんなことを言い出したら、全国の多くの荘園が同様ではないか」
「確かにそうですが、そもそも荘園への地頭設置自体が本来からすればおかしく、不要なのではないか、と朝廷は考えております」
使者とのやり取りは、更に私を不愉快にさせた。
とはいえ、これ以上の使者とのやり取りは、私が独断で進めるわけには行くまい。
宿老衆と話し合って、幕府の総意を固めた上で行うべきだろう。
それに使者としても、朝廷(というか後鳥羽上皇)から特別な権限が与えられている訳ではなく、文字通りの使者として鎌倉に赴いているのであり、私が拒絶しても、その答えをそのまま京に持って帰るだけのことになる。
私は深呼吸等をして冷静さを取り戻し、その上で使者に対して宿老衆と協議の上で、この件については正式に幕府として返答すると述べた。
使者としても、私がそう述べるのは重々承知していたのだろう。
私の正式な返答を待つと述べた。
私は鎌倉在住の宿老衆を全て集め、この件に対する正式な幕府の返答を行うことにした。
だが、宿老衆に対して集まるように指示を出しつつ、私の頭の中では諦念が起きつつあった。
恐らく宿老衆は激怒するだろう。
そうなると朝廷は態度を硬化するだろう。
朝廷とのある程度の紛議は、不可避になりつつあるのではないか。
この世界では後嵯峨天皇(邦仁王)は、土御門上皇と鞠子の間の皇子ということでお願いします。
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