第36話
だが、それは未来になって分かったことで、土御門上皇への鞠子の入内は極めて順調に行った。
土御門上皇は温和な人柄で、鞠子が物心つく前に実母(比企氏の娘)が出家遁世したために、嫡母(賀茂氏の娘)の下で育ったことを本当に気の毒な身の上だ、と同情してくれたこともあり、あからさまな政略結婚であり、朝幕関係が微妙な中で嫁いだことから、夫婦関係が上手く行かないのではないか、と懸念していた鞠子にしてみれば、思わぬ寵愛を得られることになった。
そして、その寵愛に鞠子は感謝して、土御門上皇を夫として愛したことから、暖かな夫婦関係をこの二人は徐々に築いていくことになった。
とはいえ、この二人の夫婦生活が上手く行くことを面白く思わない朝廷関係者も多かった。
彼らの本音としては、何故に将軍(私のこと)の娘と上皇陛下が仲良くするのだ、この二人の仲が険悪なのが自然で、それが当たり前ではないのか、という理屈だった。
しかし、流石に上皇陛下に、そこまでのことは言えない。
だからこそ、陰に籠った工作に彼らは奔ることになったが、これはこれで土御門上皇陛下に鞠子を護らねばという想いをさせることになり、二人の仲をより一層深めることになった。
更にそうなると、そういったことが私の耳にも入るようになる。
京守護に当時なっていた弟の源実朝等に、土御門上皇や鞠子の見守り等を私は頼み、更には公式に朝廷に対して私が抗議する事態にもなった。
そして、流石にここまでの事態となると、いわゆる良識派、中立派が介入するようになって、鞠子への虐めというか工作は、かなり止むことになった。
だが、このゴタゴタは後に引く事態を引き起こした。
更に厄介なことがあった。
京に詰める御家人(その筆頭が私の実弟になる源実朝)の間では、朝廷に私淑してしまう者が多数出る有様が起きたのだ。
考えてみればこれは当たり前の話で、幕府は朝廷の膝下にあるのが(この時代では)当然になる。
そして、袖すり合うも他生の縁ではないが、京に詰めているとどうしても朝廷に関わりを持たざるを得ず、北面の武士や西面の武士等として朝廷に取り込まれてしまう武士まで現れた。
私の弟の源実朝にしても、宮中警護という大義名分を振りかざして、朝廷(というより後鳥羽上皇)から左近衛大将に任じたい、との話があり、私は疑念を覚えたが断る理由もなく受け入れる事態が起きた。
そして、史実同様に後鳥羽上皇の従妹(坊門信子)と、弟が結婚する事態が起きた。
私の本音としては、それなりの御家人の娘、例えば、足利義兼の娘と弟を結婚させたかったのだが、後鳥羽上皇自らのお声掛かりとあっては、断り切れる筈も無い。
結果的にこの結婚を、私は認めざるを得なかった。
(私としては、幕府と朝廷とは融和すべきであると考えていたが、そうは言っても、幕府は幕府、朝廷は朝廷という状況を維持したいと考えていた。
更には幕府の背骨と言える、いわゆる東国の御家人のほとんども、外国との交易や日本国外の荘園(植民地)開発に関する朝廷の基本的な態度から、私と似た考えを持っていた。
彼らにしてみれば、幕府が朝廷の言いなりになっては、外国との交易や日本国外の荘園(植民地)開発が差し止められる事態になるのでは、と朝廷の基本的態度から懸念するようになっていたのだ。
人間誰しも、一度、儲かる術を知ってしまうと、それを失うのを嫌がるようになるものなのだ)
ともかく、この頃から幕府と朝廷の関係は徐々に微妙になりつつあった。
表面上は、私の娘の鞠子(竹御所)が土御門上皇の下に入内して、朝廷と幕府の関係はより深まるようになっていた。
だが、水面下では徐々に不協和音が鳴り出していた。
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