第35話
更に京の朝廷には問題があった。
外国との関係について極めて消極的だったのだ。
例えば、宋銭の流通についても全面禁止すべきだという声が朝廷内では極めて高い有様だった。
(この辺りは、宋銭が本格的に流通するようになるまで、物々交換が日本国内の流通では当たり前だったという現実もあるのだが)
それに対して、私がいる東国では外国との積極的な交易活動に励むことによって、大量の宋銭が流入するようになっており、流通過程の決済では銭が当然のように用いられることが、(徐々にだが)広く行われるようになりつつあった。
他にも、これまで日本の領土では無かった台湾や呂宋島等において、積極的に荘園(というより植民地というべきか)を開拓しようとする御家人達の行動を、私を始めとする幕府の面々は積極的に応援していたが、京の朝廷ではそんなことをしては日本が壊れるとして忌避する空気が極めて強かった。
そうしたことから、台湾や呂宋島等で開発された荘園についての寄進先は、将軍家ということにほぼ必然的になるようになった。
何しろ皇室や摂家に、そういった荘園を寄進すること自体が、日本が壊れる原因になるとして断られるような有様である以上、御家人達にしてみれば寄進先は将軍家しかないと言っても過言ではない。
だが、これはこれで京の朝廷に対して、幕府に対する嫌悪感を強める要因になった。
幕府というか、将軍家は積極的に日本国外の荘園を集積して富の蓄積を図っている。
これは極めて許しがたいことではないか、という空気が京の朝廷内で漂うことになったのだ。
(素直に自分も儲ければよいのに、何だかんだと小理屈を付けて、自分が儲けようとせずに、他人が儲けることは許せないと難癖をつける人間はどんな時代、世界にもいるものなのだ)
とはいえ、こんな感じで京の朝廷と鎌倉の幕府の仲が険悪になっていくことは、私にとって全く望むことではない。
私としては、京の朝廷とは仲良くしていきたいのだ。
(そう望むのならば、海外への侵出を止めれば朝廷との仲は修復されるのでは、と言われそうだが、私としては日本国外にいつか逃亡して安楽に暮らしたい、という夢をどうにも諦めきれてはいなかった。
だから、結果として二兎を追うことになってしまっていた)
そして、こうした場合に考えられるのは、古今東西共通と言ってよい話かもしれないが、婚姻政策による関係修復だった。
私の場合で言えば、私の娘の鞠子を今上陛下なり、上皇なりに入内させることによって、京の朝廷との関係修復を図ろう、と私は考えたのだ。
それにこの件は、私の母の北条政子も乗り気だった。
母にしてみれば、自分の娘が成し遂げられなかった入内を、最愛の息子の娘であり、又、孫娘が成し遂げるというのは余りにも甘美な夢だったのだ。
こうしたことから、私は鞠子の入内工作を行ったのだが。
これは極めて難航する話になった。
それこそ(メタい話だが既述のように)朝廷と幕府の仲は微妙になりつつあったからだ。
私は様々な唐物(医薬品や伽羅等々の輸入品)を、朝廷の要人達にばら撒くことで、この入内工作が進捗するように図ったのだが、一部の硬骨漢(?)からは却って反発を受ける有様だった。
そして、この頃、鞠子の入内先として、本来から言えば相応しいのは今上(順徳天皇)陛下といえたのだが、こういった状況から、鞠子を今上陛下に入内させては、却って朝幕関係を悪化させるのでは、と私は考え込んでしまった。
それこそ今上陛下の皇子を鞠子が産んでは、却って皇位継承を巡る紛議が生じそうだ。
そうしたことから、土御門上皇に私は鞠子を入内させた。
だが、このことは結果的に失敗をもたらすことになった。
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