第33話
もっとも、私がそんな無理をできたのも、私というか将軍家が、こういった交易活動や南方での荘園開拓、植民地開発によって様々な富を蓄えることができたから、というのが現実だった。
例えば、梶原景時は様々な苦労(最後の頃になると、それこそ御家人による境界等の争いさえも稀ではなく、本当に弓矢の沙汰寸前にまでなったらしい)の末に、台湾島で開発した約1万町歩の荘園を、私に寄進してきた。
この荘園を本家として、私というか将軍家が確保できるか否か、それこそ皇室や摂家、寺社等まで巻き込んだ大論争が起きたが、最終的には理想論よりも現実論が勝って、私というか将軍家が、本家として荘園を確保することになった。
(何しろ、こういった荘園は日本国外に造られた代物であることから、荘園の大前提の一つといえる不輸不入権云々以前の問題になってしまったのだ)
更には、多くの御家人が、梶原景時を参考にして、将軍家に荘園を寄進する事態が起きた。
彼らにしてみれば、日本国外の荘園を寄進するのに、将軍家が最適という事態が起きていたのだ。
(この辺りについて、主人公以外の第三者視点で少し補足説明します。
日本国外の荘園開拓、植民地開発ですが、日本人以外の相手、その多くがいわゆる原住民相手の場合、それこそ弓矢の沙汰で、相手を潰すのが当たり前でした。
しかし、日本人、それも御家人が相手となると、そう簡単に弓矢の沙汰で決着をつけるわけにはいかなかったのです。
何しろ、相手が幕府の介入を求め、幕府が日本本国内に残っていた領地等を没収し、更には開拓した荘園を攻撃する事態さえも多発しかねないのです。
そして、皇室や摂家、寺社等を背景にして、荘園を確保しようにも、後述しますが、そもそも日本国外に日本人が乗り出すこと自体に、皇室や摂家は消極的でした。
尚、寺社については、日本国外への布教活動を行う内に、徐々に日本国外での荘園確保に目を向けだしますが、その頃には日本国外の荘園は、将軍家のモノなのが当然という意識が広まっていたことから、寺社は結果的に日本国外での荘園確保が、結果的にですが儘ならない事態になりました。
こうした背景から、日本国外での荘園は、ほぼ将軍家のモノという事態が起きたのです)
私としてみれば、こんなに将軍家が儲かっていいのか、と考えなくもない事態だったが。
こういった荘園寄進による富以外にも、積極的な海外交易推進による富までも、幕府というよりも将軍家の下に徐々に集まる事態が起きた。
交易に従事する御家人達にしてみれば、共同出資等である程度は利益を共有して共存共栄を図っているとはいえ、そうは言っても弓矢の沙汰にまでの紛争沙汰が起きることがある。
そうした際に備えて、それなりの袖の下を将軍家に包んでおいて、紛争沙汰を有利に運ぼうと考える輩がそれなりどころではなくいる事態が起きたのだ。
本来的にはこうしたことはよろしくないのだろうが。
賄賂は違法行為だが、政治献金は合法だ、との屁理屈が罷り通るのが現実世界ではある。
そして、私自身も聖人君子とは程遠い存在だ。
それに私もそれなりどころではなく、お金が必要な身になっており、そうしたことから荘園の寄進や交易による利益を享受せざるを得なかった。
さて、何で私もこんなにお金が必要な身になっていたかというと。
私の娘の鞠子(竹御所)の入内工作の為だった。
私の父が悲願としていたが、私の姉妹が亡くなった為に成し遂げられなかった帝への入内。
それを私は自分の娘の鞠子で成し遂げようと考えていた。
そして、でき得るならば、将軍家を摂家並みの家格にすることにも成功したい。
そうした工作費用が多大に掛かる事態が起きていた。
主人公も父親として娘を入内させて幸せにしようとすると共に、将軍家の栄達を立場上は図らざるを得ないのです。
(そうしないと下手をすると、母の政子に殺されかねない、と主人公は懸念しています)
こうしたことから、行き違いが起きて、徐々に大きくなります。
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