第26話
この辺りは、私が本復してから、賀茂氏の娘や他の者から聞いた事実が多い。
中には私が明確にやりとりをしたと言われるものの、私自身が覚えていない事実まである。
だから、どこまで真実なのか、私にも今一つ分からないのだが。
ともかく、私が大江広元邸で意識不明僚の重体になってから1月余り、幕府内では謀略の嵐が吹き荒れる事態が起きたのだ。
7月20日に大江広元邸で私は倒れたが、重体と言っても、それなりに薬湯等は周囲の援けがあれば飲めるし、病状が良ければ、それなりに周囲と意思疎通ができる状態が1月程は続いた。
とはいえ、私の病状は一進一退どころか、日に日に悪くなっていると侍医団は診立てる状況にあり、このまま行けば、近日中に私は亡くなると多くの御家人は判断することになった。
そして、当然のことながら、私が亡くなった後のことが、御家人間で重大な問題として急浮上した。
本来からすれば、私の正室の賀茂氏の娘が産んだ善哉が私の後を継いで、次期将軍になるのが当然になるのだが、まだ数えでも4歳に過ぎず、将軍任官はとても無理というのが現実である。
そして、私の庶長子の一幡にしても6歳であり、それこそ五十歩百歩としか言いようがない。
そうなると、私の同父母弟になる千幡(実朝)はどうかといえば、12歳である。
何とか将軍任官が認められてもおかしくない年齢と言える。
こうした現実から、北条時政がまずは訴えた。
「この際、中継ぎの将軍として千幡を選ぼう。朝廷にしても千幡ならば将軍として認めるだろう。そして、善哉が元服した後で、改めて善哉を将軍にすればよい」
表面上は極めてマトモで反論の余地のない正論と言えるが。
浅草大仏の一件で、自分の私腹が肥やせるのならば、平然と寝返ると多くの御家人から見られていた北条時政の意見は、多くの御家人から懐疑的に見られた。
多くの御家人が、北条時政は本音では、善哉が元服しても千幡を将軍のままにするつもりで、もしかすると千幡が将軍の間に、何らかの疑惑を掛けて善哉を粛清するのでは、とまで勘繰ったのだ。
とはいえ、私が亡くなった場合に将軍不在のままにするわけには行かない。
こうしたことから次案として、比企能員が訴えたのが。
「この際、中継ぎの将軍として源範頼殿になっていただくべきではないだろうか。源範頼殿ならば、年齢や識見共に全く問題がない。いざという際に、先代の鎌倉殿(源頼朝)から子ども達を頼むとの託された程の御方ではないか。そして、善哉が元服すれば、善哉を将軍にすればよい」
これまた極めて正論に聞こえたが。
厄介なことに源範頼の妻は安達盛長の娘であり、つまり比企能員の義理の甥に源範頼はなる。
だから、これまた多くの御家人が勘繰ることになった。
「源範頼殿が将軍になっては、善哉に何らかの疑惑を掛けて粛清し、将来は一幡が将軍になるのでは」
更にこうした御家人間の空気を読んで、源範頼が将軍就任を断固、拒絶するという態度に出た。
源範頼にしてみれば、痛くもない腹を探られるような将軍就任等、真っ平御免だった。
そもそも比企家の財産を巡る争いでも、源範頼は一歩どころか数歩引く態度を貫いている。
下手に自分が動いては、周囲の反感を買って失脚どころか粛清されかねないとして、常に数歩引く態度を貫いている源範頼にしてみれば、将軍就任等はトンデモナイ話だったのだ。
こうした状況から瓢箪から駒が出るように急浮上したのが、平賀義信を中継ぎの将軍にしてはどうか、という提案だった。
平賀義信は御門葉筆頭の立場にあり、妻は比企尼の三女だし、息子の朝雅の嫁は北条時政と牧の方の娘という関係にある。
だから、多くの御家人が納得することになった。
ご感想等をお待ちしています。
尚、この辺りの裏話については、この一騒動が一段落した後で、割烹で補足します。
(前書きや後書きで書くには、色々と裏が多すぎるので)




