第18話
さて、そうした北条家分断工作を行いつつ、私は浅草寺の大仏建立についての具体案を13人の宿老衆に相談することにした。
その相談相手だが、大江広元、三善康信、八田知家、和田義盛、北条時政、源範頼の6人である。
尚、既に意向が分かっている比企能員と三浦義澄、北条義時の3人は外している。
これは北条時政のこの計画への反発を少しでも迎えると共に、同時に北条時政の人望というのを少しでも落とすのが裏にあるからだ。
(残り4人は?と言われそうだが、藤原親能は在京だし、安達盛長は比企能員の縁者で、足立遠元は武蔵出身なので、浅草寺のことに関しては基本的に共に賛成に回るからなのだ。
二階堂行政は大江広元の補佐役的存在なので、私は人数を絞るために入れなかった。
それに最初から13人全員が集まることが想定されていないという事情もある)
私は開口一番に言った。
「浅草寺に亡父への追善供養の一環として、大仏を建立したいと私は考えている。その方らの率直な意見を聞きたい」
「私は反対です。費えが大いに掛かることです。どうしてもと言われるのなら、鎌倉にすべきです」
私の予想通り、まずは北条時政が反対してきた。
「時政の反対ももっとも。実際、幕府の財政はそんなに余裕が無い。大仏を建立するのはどうかと」
大江広元も消極的で、三善康信はそれに無言で肯いた。
私はそれを見て考えた。
文官連中が消極的なのは無理もない。
何しろ幕府財政は、東大寺再建等をやった結果、余りよろしくない。
ここで新たな大仏建立をする等、トンデモナイという文官の意見はもっともだ。
それに対して、
「私は兄の追善供養は良いことだと考えます。大仏建立に賛成です」
源範頼が言った。
「儂も賛成だ。金が無いならば、何処かから奪ってでも、大仏を作ろうではないか」
和田義盛に至っては、そこまで言った。
何だか聞捨てならないことを、和田義盛が言った気がするが、私は敢えて無視することにする。
下手に和田義盛を注意しては、話がズレかねず、私の思惑通りにこの会議が進まない。
それにある程度、私の予想通りの意見を皆が言ってくれている。
私は八田知家を見ながら言った。
「八田殿、大仏建立の際の総勧進役を務めて頂けませぬか。声望のある八田殿が音頭を取れば、小山、宇都宮、千葉に足利といった坂東の大武士達が、挙って協力するでしょう」
「ははっ、儂は歳じゃ。総勧進の役目等、この老人には務まらぬよ」
八田知家は韜晦しようとするようだ。
「それならば、若い者を付けましょう。畠山重忠と北条義時の二人を指導していただけませぬか。畠山重忠は、重忠の伯父になる河越重頼殿が娘婿の源義経に連座して誅殺された後、武蔵国留守所総検校職に就かれています。又、北条義時は鎌倉党の鉄利権を引き継がれました。この二人の協力があれば、どうでしょうか」
(註、武蔵国留守所総検校職は、武蔵国全ての武士を率いる役職であると同時に、武蔵を始めとする東国の鍛冶鋳物師集団の長でもある)
「うーむ」
私の誘い水に、八田知家は唸りだした。
ほぼ同時に北条時政は、私の言葉に唸りだした。
北条義時は自分の息子だし、畠山重忠には義時の同母妹(つまり先妻腹)が嫁いでいる。
つまり、大仏建立に伴い、自分の息子や娘婿が大いに潤うのが目に見えている。
だが、自分の懐に入ることは無い。
そして、息子や娘婿の立場からすれば、大仏建立に協力して然るべき立場にいる。
さて、どうする。
私は決して顔には出さないようにしつつ、北条時政がどう口を開くのかを楽しみに待った。
前言を翻して賛成に転ずるか、それとも反対を貫くか。
どちらに転んでも、私は構わない。
この件の最終的な裁断権は私にあるのだから。
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