第17話
さて、何で大仏建立という、それこそ幕府財政が傾きかねないことを、私が考えついたかというと。
大仏建立という大事業をやることで、その資材調達のために積極的に交易を行い、それによって富が富を生むという好循環を引き起こして、浅草寺の周辺、未来の東京を発展させようと考えたからだった。
何しろ大仏というシンボルがある以上、その資材調達が重要なのは極めて目に見えやすくなる。
更に先代の鎌倉殿(源頼朝)の追善供養の一環である、との大義名分を私が掲げれば、多くの御家人が協力しようという姿勢になり、御家人を結束させるにも効果的だ、と私は考えたのだ。
だが、その大仏を作る場所が鎌倉ではなく、浅草寺、私の意識では未来の東京ということは、北条家、具体的には北条時政と義時父子を思い切り不機嫌にさせた。
「色々と事情があるのは分かりますが、やはり大仏は鎌倉で作るべきではないでしょうか」
北条時政と義時父子は、異口同音にそう言って私を非難した。
更には、私の実母の北条政子までも、父や弟に加担した。
これに対して、私は北条義時に飴をまくことで、時政と政子、義時姉弟の間に溝を生むことにした。
後々のリスクが極めて怖いが、まずは北条家を分断する必要がある。
それに私の母の北条政子と、私からすれば義理の祖母、北条時政の後妻の牧の方は、北条家の後継者を誰にするか、ということで犬猿の仲でもあり、こういったことも北条家の分断には好都合な点だった。
(もっとも、義理の祖母といっても、牧の方は後妻であることも相まって、私の母の政子よりも実は年下なのだが)
私の母の北条政子にしてみれば、自分の同母弟であり、先妻が産んだ義時が当然に北条家の後継者になって然るべきだ、と考えている。
一方、牧の方は、先妻は謀反人として自害した伊東祐親の娘であり、その息子である義時は北条家の後継者に相応しくない、私が産んだ政範こそが北条家の後継者に相応しい、と考えており、時政は牧の方に同調して、義時を廃嫡して政範を北条家の後継者にしている。
とはいえ、廃嫡したからといって、義時を軽んじているわけではなく、時政は、義時に江間の土地を与えて御家人として身が立つように配慮はしている。
私はこの状況に目を付けて、北条義時個人に対して、梶原景時率いる鎌倉党が押さえていた相模の鉄利権を与えた。
梶原景時が日本国外の追放処分になった以上、その利権は一時的に私が預かっていた。
そして、その利権を私が誰に与えるのか、御家人達は注目していたのだが、私は義時個人に与えることで、義時個人を厚遇することを御家人達に示したのだ。
「何故に私に」
「叔父上は、北条家から分家させられております。それ故に私の母政子の同母弟にも関わらず、余り裕福ではない。母に相談したところ、義時に与えて欲しい、と言われましたので、与えたのですが」
私は叔父の義時の問いかけに、少しとぼけた返答をした。
尚、これは全くの嘘ではない。
母の政子に、この鉄利権は叔父の義時個人に与えたい、と相談したら、即座に賛成したのだ。
母にしてみれば、北条家にこの鉄利権が与えられては、気に食わない異母弟の政範が後々で、父の時政の死後に鉄利権を引き継ぐことになるので、私の提案は渡りに船だったのだ。
「しかし、このようなことをされては、父が私を恨むでしょう」
叔父の義時は、演技なのか、本音なのか、苦悩するような表情を浮かべた。
そこに母の政子が乗り込んできた。
「義時、貴方は鎌倉殿の判断にケチをつけるのですか」
「いえ、そんなことは申しません」
「それなら喜んで受け取りなさい。これは姉の私からの配慮でもあります」
「分かりました」
義時は説得された。
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