第15話
地理に疎すぎ、といわれそうですが。
この頃の浅草寺は「せんそうじ」と単に呼ばれていたようで、歴史に詳しくない主人公は武蔵、現在の東京都のあさくさ(浅草)とは、頭の中で結びついて考えられていなかった、ということで平にお願いします。
ともかくそんなゴタゴタがあった末に、十三人の宿老による合議制が始まった。
もっとも実際のところは、その十三人全員が集まることは無かった。
何故かというと。
「藤原親能は鎌倉に呼び戻さないのか」
梶原景時の事実上の追放処分が決まって、景時の代わりに源範頼が十三人の中に入ることが正式に決まってから数日後、私は大江広元に尋ねていた。
「何故に呼び戻す必要があるのですか。藤原親能には京守護という大事な役目があります」
「待て、それなら何故に十三人の宿老による合議制を敷いたのだ。合議制なのに、十三人全員が集まる必要はないというのか」
梶原景時の処遇に頭が一杯だった自分は、合議制の詳細を聞いていないことに気づいた。
大江広元は、改めて言った。
「真に申し上げにくいことながら、鎌倉殿の最大の御役目は、土地等の相論(裁判沙汰)について公正な裁きをなさることです。殿は余りにもお若い。そして、誰も彼もが殿に助言していては、殿が振り回されてしまい、良い裁き等は望めませぬ。それ故に取次役をこの十三人に絞ることにし、実際に問題が起きた際には、更にその中の数人が話し合った上で、解決案を殿に助言しようと定めた次第」
「成程な」
私は(顔に決して出さないようにしながら)不快の念を禁じえなかった。
確かに大江広元を始めとする宿老衆の考えは正しい。
満どころか、数えでも自分は20歳になっていない。
そんな若造に公正な裁きができる訳がない、と宿老衆が懸念するのも分かるが。
私は鎌倉殿、将軍として独自に裁きをしてはならない、と暗に言うのも同然ではないか。
史実の源頼家が激怒したのも無理はないな。
私はそこまで考えた。
もっともそれならそれで、別の意味では好都合になる。
「良く分かった。軽い相論については、宿老衆で判断すれば良い。だが重大と考えられる相論については必ず私に取り次ぎ判断を仰いでくれ。そうしないと相論を申し立てた者も不快に考えるだろう」
「ははっ、有難き御言葉」
私の答えに、大江広元はそう言って頭を下げた。
大江広元にしてみれば、判断の多くを部下に委ねる有難い上司に見えるのだろう。
私はそんな少しひねくれた考えをして、大江広元の姿を斜めに見た上で、言葉を継いだ。
「ところでだ。武蔵の浅草寺では姉の大姫と義兄と言ってよい源義高殿の供養の為に寄進をしているが、そのことで現地に赴き、比企能員らと現地を見ながら、数日程、話をしたいのだが、特に構わぬか。軽い相論が来たら、その方らで裁けばよいし、重大な相論が来たならば、すぐには結論を出せまい。それくらいの余裕はあるだろう」
「確かに、そうですな」
私の言葉は道理が通っており、大江広元も肯かざるを得ない。
「それでは頼む」
私はそう言って、比企能員らに声をかけて、浅草寺に赴くことにした。
だが、やはり邪魔が入った。
「叔父上が共に来るのを拒むつもりはありませぬが。仮にも宿老の一人なのですから来られなくとも」
「いえ、可愛い姪である大姫の供養とあっては、私も一度は現地を見なければ」
「だからといって、私と同行しなくとも」
私は叔父の北条義時と道中でそんなやり取りをすることになった。
比企能員に三浦義澄と他には一部の者だけで私は浅草寺に赴くつもりだったのだが、北条時政と義時父子の疑念を却って呼ぶことになり、義時が付いてくることになったのだ。
下手に断っては、更なる疑念を呼ぶのが必至なので、私としても同行を認めざるを得ないが、これは私に対する北条からの監視だな、と私は考えざるを得なかった。
現地に着いた後、私は浅草寺の周囲を見て回った際に改めて気づいた。
そうか、ここは未来の東京、何としても発展させたいものだ。
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