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赤いゼラニウム  作者: 桜餅
3/3

水族館デート

 真っ青な筒状の水槽の中に、クラゲが何匹かぷかぷかと浮かんでいる。

 暗い中でも青白く光って浮かび続けている様は、まさに海の月だ。

 サヤカは僕の隣で、食い入るようにクラゲを見つめている。


「……こんなに月があったら、もっと夜は明るいのに」

 

 ぼそりとサヤカは呟いた。

 確かに、月がたくさんあればもっと明るくなるかもしれないが、そんな世界は想像するだけで不気味だ。

 しかし、悲しそうに水槽を見つめる横顔を見てしまうと、そんなことは言い出せなかった。


「ユウマ、あなたはどう見える?」

「何?」

「クラゲ。私には、到底月には見えない」

「さっき、月がいっぱいあったらって言ってたじゃないか」

「それはただの字の話。で、何に見える?」


 そう聞かれても、僕には別のものには見えない。

 多分、サヤカは、月という単語以外のものを期待しているのだろうが、下手のことを言うよりは正直に伝えた方が良いのだろう。


「月以上には見えない」

「うん。明るくて便利なんだろうけど、漢字をつけた人やユウマは、そんな気味悪い世界を望んでいるの?」

「……君が何を言いたいのか、さっぱりわからないな。ちなみに聞くけど、サヤカは何に見えるの」

「ウェディングドレス。こっちの方が幸せがいっぱいで良くない?」


 笑顔でそう答えたサヤカに対して、僕はため息しか出なかった。

 ますます、僕にとって、理解しかねる人物になったのだ。

 だって、自殺志願者に、海月を見てウェディングドレスだと思う者はいないだろう。

 視線を水槽とサヤカから外すと、イルカショーのポスターがふと目に入った。


「……イルカショーやってるんだって。行かない?」

「いいアイディアね。クラゲも見飽きたし」

 

 態とらしく声を上げると、サヤカはにっこりと笑った。




「はあい! じゃあ、イルカに餌をあげてみたい人ー!」


 イルカのトレーナーであろう若い女性が、元気いっぱいに右腕を上げた。

 平日の放課後ということもあって、子供の数も少なく、あまり手を挙げる人はいない。


「サヤカ。手を挙げたら?」


 優しく声をかけると、サヤカは僕を一瞥した後、何も言わずにステージに視線を戻した。

 手を挙げる気はないらしい。

 

「……やっぱり、ユウマがやるなら、私もやる」


 数秒の沈黙の後、サヤカが僕の手を握って呟いた。

 

「……ん、じゃあ、やろうか」


 僕はそう言って、サヤカと繋いでいる手を上に突き上げると、あの若いトレーナーは、目があった途端に嬉しそうに笑い、僕たち二人を指名した。

 席と席の間を縫って進み、イルカが泳いでいるプールの前に立つと、水と獣が混じったような、独特な香りが鼻腔を抜ける。

 トレーナーから餌が入った水色のバケツを受け取り、見様見真似で餌を空高く放り投げると、イルカはプールから飛び上がり、餌を口で咥えて再び水の中へ戻った。

 バケツをサヤカに渡すと、サヤカは僕と同じように餌を投げた。餌に食らいつくイルカを、どこか冷めた目で見つめている。


「二人とも、上手ですね! この子達も嬉しそう」


 隣で見ていたトレーナーが、心底嬉しそうに笑った。

 きっと、この人は僕と一緒だ。生死についてなど、考えたこともないだろう。

 僕は愛想笑いを返し、触れ合い体験のプログラムをいくつかこなした後、再びサヤカの手を引いて席に戻った。


「……気に入らなかった?」


 最終演目、イルカが激しく水の中と空中を舞っているのを見ながら、僕はサヤカにそっと尋ねた。


「そんなこと言ったかしら」

「だって、なんだか冷めた目をしてるから」

「あのお姉さんとイルカが羨ましかったの。それだけ」

「……羨ましい、ねぇ」


 どう見ても羨望の眼差しには見えなかった。イルカに対しては、むしろ、小馬鹿にしているようにさえ見えたのだが、今はまだ黙っていた方が良いのだろう。

 イルカがバッチリとポーズを決め、まばらな拍手とともにイルカショーは閉幕した。

 それから、お揃いでキーホルダーを買って、イツキへの土産物も見繕い、閉館時間と同時に水族館を出た。

 太陽が傾きかけてオレンジ色に染まる帰り道、サヤカはおもむろに僕と目を合わせた。


「私、何のために連れてこられたの? イルカやクラゲを見たって、何の意味があるの」

「……やっぱり、気に入らなかったんじゃん。来たくなかったのなら、言ってくれたら良かったのに」


 サヤカの言葉に、思わずカッとして言葉遣いが乱暴になる。

 はっとして顔を上げると、サヤカは傷ついたとも腹が立ったとも見えない真っ黒な瞳で僕を見つめていた。

 幻滅された。直感で、そう感じた。

 気に入らないことがあったから口調が荒くなるだなんて、僕はなんて酷い駄目人間なのだろう。


「ごめん、きつい言い方で。でも、僕、サヤカと遊びに行くなんて初めてだったから、楽しみだったんだ。それで……その、サヤカの気持ちも考えずにごめん」

「……今のは、私が悪かった。気にしないで」


 ああ、違う。僕は、サヤカにそんな無機質な顔をさせたかったわけじゃない。

 僕はサヤカと楽しい時間が過ごしたかっただけ。それでも、サヤカにとっては、空疎な時間だったわけだ。水族館に行ったところで、生きる意味が見つけられるわけでもないのだから。そんなことに、帰り道になってようやく気づいた。

 僕は、牛のように言葉を口の中に出しては嚥下してを繰り返した。考えれば考えるほど、胃液と言葉が混ざって気持ち悪くなる気がする。


「……また、僕と遊んでくれる?」


 散々悩んだ挙句、出てきた言葉はこんなにも幼稚で弱々しい。

 サヤカは、一つ息を吐いて笑った。


「じゃあ、その時までは死ねないわ」

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