氷の公爵と転生した悪役令嬢
図書館は薄暗く蝋燭を大掛かりに灯すことも出来ないため自然光を頼りにしている所がある。
微かな夕暮れの光と、ほんの少しの蝋燭の灯りでは、そこに誰がいるのか私はすぐに分からなかった。
いきなり声を掛けてきたということは、図書館の関係者か爵位も上の方に違いない!
「申し訳ございません。王宮侍女のマリー・エディグマと申します。仕事が終わったため、図書館の中を散策しておりました……お叱りは受けます」
私は慌てて頭を下げた。
好奇心で本を読んでいただけで、怪しまれる行動はしてないと……残念だけど言い切れない。
図書館の出入りが厳しい理由はただ一つ。
窃盗が多いからだった。
身分が証明される爵位を持った者しか入れないこの場所は、大きい割に管理する人が少ないから盗難被害に遭いやすい。
(窃盗してると思われたら大変だわ……!)
怪しまれる行動に見えてしまったかもしれない。けど弁明しすぎてもかえって怪しいよね?
そんな考えがグルグルと私の中でよぎる。
だって今の状況。
薄暗い部屋、人の寄り付かない児童書の周辺。
そして一人きりの侍女。
(あああ……絶対に怪しまれる!)
顔をろくに上げられず、私はどなたか分からないその人に対してもう少しだけ言葉を足すことにした。
「本日は……書物修復の仕事を任されておりました。先ほど修復が終わりましたので司書様をお待ちしていたのですが、その……興味惹かれる本があったので手に取ってしまいました」
「その本が?」
示唆されたのは私が落としてしまった絵本。
落としていたこと自体に気づいて、私は慌てて絵本を拾った。
「はい、そうなんです! この絵本、小さい頃から大好き…で……」
何も悪いことをしていない!
そんな気持ちを込めて絵本を前に差し出したけれど。
私は言葉を失った。
顔を合わせた男性の顔を見て、全てが真っ白になってしまった。
ローズマリーの頃に何度も見た、レイナルドの顔が男性と重なったからだ。
(金色の髪。翡翠の目。全く同じ……)
黒服がよく似合う男性は、私よりも顔一つは余裕で高い長身だった。レイナルドによく似た男性だけれども、その背格好や年齢は全く違った。
私よりも十は歳上の男性だろうに、物腰も佇まいも若々しく見える。
ただ、私を見る視線だけがとても冷たい。
「……どうした?」
「いえっ……失礼……いたしました」
まさか。
何度も考えては否定する。
けれど、私の心は疑問を叫び続けている。
(レイナルドなの……?)
名乗られたわけではない。
けれど、どう見てもあのレイナルドに瓜二つだった。
(どうしよう)
身体が震えている。
もしや、という期待と不安から身体中が熱い。
けれど確認なんて出来る筈がない。
それに、もし彼がレイナルドだったら。
(どうしてそんなに冷たい目をしているの……?)
一瞬だけ目が合った男性の視線は、これ以上ないほどに冷たく私を見ていた。
私を不審者だと思っているからなのか、それともあの視線が男性にとって当然のものなのか。
「…………ここは本来立ち入りを禁じられている。すぐに戻るように」
「……っはい。申し訳……ございませんでした」
頭を下げるしかない私が抱き締めていた本を、男性がそっと奪った。
手元にあった絵本を失った私は呆然と男性を眺めていた。
白い手袋を身につけたその手で、書棚に絵本が戻される。
その、手袋の隅に刻まれた薔薇の刺繍。
薔薇の紋章を持つ人物はこの王城でただ一人。
「……マリー・エディグマだったな」
「…………はい……」
「覚えておく。直ぐに戻るように」
「はい……失礼いたします……」
私は顔をあげることもできないまま、足早にその場を去って。
図書館の扉を出て漸く、涙が零れ落ちた。
(レイナルド……!)
私が愛した、ただ一人の家族。
ボロボロと零れ落ちる涙は止まる気配がない。
(生きててくれた……あんなに成長してた……)
ずっと会いたかった。
けれど、会うのが怖かった。
王城に仕えていることはずっと前から知っていた。ユベールの名を捨ててローズ公爵となった話は、前世を思い出すよりも前から聞いていたから。
けれど実際に会って分かった。
(あんなに……冷たい目をしてた)
『姉様』
愛おしそうに翡翠の瞳で見つめてくれた弟の姿が微塵にも残っていない。
それが成長のためなのか、それともローズマリーの死がそうさせたのか。
(ローズマリーという過去を思い出したのに、どうして私が復讐を望まないのか分かった)
処刑台へと導いた王族へ、婚約を破棄したグレイ王へ憎しみを抱かなかったのは。
(レイナルドを不幸にするからだ)
ローズマリーという過去の私が唯一心を許した存在であるレイナルド。
そんな彼を、復讐に加担させたくなかった。
何よりそんな醜い怒りを彼に与えたくなかった。
レイナルドが幸せであれば良かった。
レイナルドが生きていてくれたら、それで良かった。
(私は前世に何一つ未練なんてない。ただ、弟が幸せであればいいと……なんて自分勝手な思いを抱いてたんだろう)
家に束縛された生き方を許容し、特に情も芽生えなかった王子との婚約を受け入れた。
それが当然だと思っていたから。
そして、父の政権が崩れ家が没落するのであれば、それもまた甘んじて受け入れる気持ちがあったから。
だからたとえ殺されても、何も思わなかった。
レイナルドという大切な存在さえ無事でいてくれるなら。
それだけで幸せだったのだ。
生まれ変わった私を見る、最愛だった人の冷たい瞳を見た時の、私が受ける痛みを。
もう、亡きローズマリーは知らないでいるのだから。




