転生した令嬢の侍女生活
「マリー・エディグマ嬢」
「はい」
名前を呼ばれ、私は顔を上げる。
侍女頭であるマチルダ女史による点呼だ。
朝の勤務時刻開始前になると、私達侍女は廊下に並んで点呼をする。
人数確認、体調不良者がいないかの健康管理、そして今日一日のスケジュール報告。
「スヴィル嬢は……今日もお休みですか」
マチルダ女史が困った様子で名簿を眺める。
彼女が呼んだ令嬢は既に五日ほど無断で休んでいることは並んでいる侍女達全員が知っている。
中には小さいながらも笑う声が聞こえてくる。
(悪質だわ……)
スヴィル子爵家の令嬢は働き始めた頃からリゼル王子へのアプローチが凄い方だった。可愛らしい顔立ちだし、声も愛らしい小鳥のような声だった。
けれどそこは女社会。みんなが恋敵にもなる世界で飛び出る杭は打たれてしまい、結局今の彼女は表に出て来なくなってしまった。
(……どうしようもないわね……)
私自身、王子の婚約者になんてなりたくもないので関わりは少なかった令嬢だけれども心配はする。
様子を見に行ったこともあったけれど扉越しに当たり散らされ、結局そのままだった。
「……以上です。それでは始めてください」
気付けばマチルダ女史により仕事を開始する合図が始まっていた。
「マリー、今日は外をやりましょう!」
王城に来てから仲良くなったタジリア伯爵家令嬢のニキに呼ばれ、私は頷いた。
風の強い日になると、落ち葉の数が増え掃き掃除に時間が掛かるため、他の令嬢はあまり風の強い日は外での仕事をしたがらない。
そういう時はむしろ率先して私は外で掃除をしている。
天気の良い日ぐらい外に出ていたいから。
「スヴィル嬢は自領に帰られるそうよ」
掃き掃除の最中、ニキがこっそり教えてくれた。
「仲の良い方にだけ知らせて下さったみたい」
「そう……」
王宮での侍女暮らしを始めてまだ二週間程しか経っていないけれど、令嬢のように侍女を辞退する人は何人か居た。
侍女としての生活が耐えられない人もいれば、スヴィル令嬢のように嫌がらせに耐えきれず辞める人の姿もある。
「王宮って怖いわね〜せっかくこんなに綺麗なお城なのに、その中は怨念でも詰まってそう」
「そうね……ニキの言う通りかも」
そう、ここは綺麗に見えて醜い政力争いの渦が常に存在する。
その渦中に巻き込まれ、命を失った前世を思い出す。
(まさか、またここに戻ってくるなんてね……)
私はローズマリー・ユベールだった時の事を思い出していた。
それはもう、二十年も前のことなのに。
まるで物語の頁を捲るように思い出せるのだ。
王太子妃として受けてきた教育の数々。
王宮での振る舞いやマナーを毎日遅くまで習ってきた。
時々抜け出しては息抜きに騎士見習いのアルベルトに会いに行き。
そして、図書館では……
「マリー?」
回想に耽っていた私を呼ぶニキの声で我に帰る。
「ごめんなさい、違うことを考えてたわ」
「ふふふ。良い天気だもんね。あ〜あ、さっさと終わらせて街に遊びに行きたい!」
心から叫ぶニキの様子に苦笑しながら、私は箒で落ち葉の片付けを再開した。
けれど時々ふいに顔を上げては、遠くに見える図書館を眺める。
図書館には、大好きだった弟との思い出が残されている。
レイナルド・ユベール。
私の大好きだった、大切な弟との思い出が。
王城から侍女として仕えるよう手紙が送られてきた時、本音を言えば行きたくなんてなかった。
かつての私が命を喪った場所。
そして、私を裏切り陥れた人達が今も健在であることを知っている。
グレイ王……ローズマリーだった私の、かつての婚約者。
そして婚約者だったグレイ王を射止めた女性、ティア王妃。
その二人に会った時、私自身がどうなってしまうのか分からなかったからだ。
(復讐したい……なんて思うのかな)
恨むような気持ちは不思議となかった。
そもそもローズマリーだった時、処刑されるという結末をすんなり受け入れていたのだ。
(父が政力争いに敗北した時点で、王太子妃候補としての立ち位置が奪われることは分かっていたから……)
せめて追放されるぐらいだったら良かったな、なんて思うこともあるけれど。
それも結局過ぎたことだ。
王城へと向かう馬車の中で久し振りに見た城の情景は何一つ変わってなく。
悲しみの記憶は風化して、ほんの少しの郷愁に駆られるだけだった。
「マリー、図書館整理の仕事が来たけど行ってくる?」
「行く!」
嬉々として返事をする私にニキは笑う。
王宮侍女の仕事の中で一番のお気に入り、それが図書館だった。
(書物の匂いも好きだし静かな時間が好きなのよね……それに、レイナルドとの思い出もあるし)
前世のローズマリーもお気に入りだった場所の仕事となれば喜んで行きたい場所だった。悲しいことに、王宮侍女になっても足を踏み入れられる機会は無く、仕事で清掃や整理で入室するぐらいしか機会がない。
私が図書館仕事が好きなことを知っているニキは、いつも図書館の仕事が入るとこうして教えてくれる。
「いつもありがとう、ニキ」
「今度クッキー奢ってね」
「勿論!」
ご機嫌に図書館へ向かう私はニキと軽くタッチをしてから足早に向かった。
王宮の中でも端っこに建てられた図書館はとにかく広い。
更に書物も多く、管理が煩雑だったりする。
呼び出された侍女は私以外にもう一人いた。
「一名は清掃を、一名は書物の修復をお願いします」
「かしこまりました」
司書様に返事をしてからもう一名の侍女と顔を合わせる。
「どっちがいい? 私は掃除がいいのですが」
「構いません。よろしくお願いします」
穏やかな笑みを浮かべた侍女の一人は、名前までは覚えていないけれど確か伯爵家の令嬢だったはず。
修復という仕事は、言葉通り書物の修復作業だ。
大事な書物に関しては専門の修復家が行うけれど、そうではない一般書物とも呼ばれるものは侍女による手作業になる。
これがまた気を使う上に手が汚れる作業でもあって、あまり令嬢達には好まれない。
(まあ、それもそうよね……)
表紙が痛んだ書物には保護用の油を含んだ修復用糊を塗ったり、埃まみれた書物は布で拭き、カビが生えた書物には酒を含む修正液を使い状態を回復する。
つまり状態を一つ一つ確認した上でそれに対応した手作業が必要になるから、必然的に手が荒れやすい。
(それでも本が読めるもの)
普段読めないような書物の頁を捲りながら修復する作業が私は好きだった。
独特な、鼻につく臭いを逃すために僅かに小窓を開けるものの、日の光は書物を痛めるためカーテンが掛かっている。
長い時間の間に本を読みながら修復していると、今日行う分の作業が終了した。
既に日も落ちてきたらしく、カーテンを退かして外を除けば夕暮れ時となっていた。
気付けばもう一人の侍女は既に仕事を終えて退室していたらしい。
つまり、ここに居るのは司書様と私だけである。
(……ちょっとだけいいかな)
好奇心が疼き、私は作業していた部屋からそっと抜け出した。
広大な書棚が広がる図書館の中、一つだけ気掛かりがあった。
(確かここよね?)
児童書の多い書棚のコーナーへと向かい、周囲を見渡してみる。前世の記憶と何も変わらない配置だった。
相変わらずここは人気がないらしく、それこそ手入れが必要そうな書物もあったけれど後回しにされているらしい。
(だからここを選んだのよね)
ローズマリーだった私が、王城に訪れるレイナルドと交わした一つの約束。
図書館で会える機会を作りましょう。それでも駄目なら、手紙でのやり取りを。
(あの時は見つかった時の怖さよりもレイナルドとの時間を求めていたから)
本来王宮の外とのやり取りで出される手紙には必ず検問が入った。更には無事届くかすら分からなかった。
ローズマリーの父は、ローズマリーがレイナルドを可愛がることを厭っていた。家族と親睦を深めるのであれば父か兄に手紙を出せと命じるほどだった。
愛妾との子であるレイナルドに手紙を出す皇太子婚約者……そんな醜聞を嫌がっていたため、正式な場でレイナルドに手紙を贈る機会はほとんど無かった。
だから、此処での約束はローズマリーにとって貴重なものだった。
古く痛んだ一冊の絵本を手に取る。
ローズマリーが大好きだった騎士の物語。
「私も好きだったなぁ……」
私がローズマリーの記憶を取り戻したのは最近のこと。
十八の今になるまで、全く思い出さなかった。
(まさか縄が首に掛かって思い出すなんて)
処刑前の記憶がフラッシュバックしてしまったのは、なんて事はない家畜の世話をしている時に、手に持っていた縄が不慮の事故で首元を掠めただけなのに。
そんな些細なきっかけで前世を思い出してしまった。
(首に当たる縄の感覚が怖かったのね……確かにそんな機会、生まれて一度もなかったしなぁ)
それこそ大好きだった絵本を読んでも。
レイナルドが公爵位として名の知れた貴族だと知っても。
かつて幼馴染だったアルベルトという騎士団長が王城にいると知っても。
私はローズマリーの記憶なんて全く思い出さないまま生きてきた。
黙って本を眺める。
一人の騎士が攫われたお姫様を助けに行く。
そして騎士は姫に忠誠を誓う。
最後、お姫様は騎士と共に隣国の王子様と結婚をして幸せに暮らしました。
そんな絵物語に憧れていた小さな頃。
(自分が、このお姫様のようだと信じてた……)
幼馴染や弟に何度も読んで聞かせて、いつかこのお姫様みたいに助けに来てくれる? なんて約束を交わしていた日々。
結果は物語とは違い、悪の令嬢として断罪されたわけだけど……それでもやっぱり、この絵本は好きだった。
絵本の中をパラパラと捲る。内容は、暗記するぐらい覚えている。
私が探しているものはローズマリーが最期に贈ったレイナルドへの手紙。
目当ての物は見当たらなかったのでホッとした。
(レイナルドが見つけてくれたのね)
ずっと気掛かりだったけれど、確かめる機会も無かったのでこうして調べられて良かった。
父が叛逆罪で逮捕されたと聞かされた直後、自身も間も無く捕らえられると分かったローズマリーはレイナルドに手紙を書いていた。
彼にも被害が及ばないように、数少ないお金の場所や亡き母の別邸を利用できること。
そして限りある愛しているという言葉を。
その時。
「そこで何をしている?」
唐突に響く低い声に。
私は驚き、絵本をその場に落としてしまった。




