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(間話)転生した少女のカーテシー

 エディグマ領は辺鄙な田舎町である。

 人口もそこまで多くない。農家や畜産を営む者が多く商人の出入りはほとんどない。

 そんな、鄙びた町ではあるものの、時折だが来客は訪れる。

 エディグマ領に近い領地を治める準男爵、男爵家、そして子爵家等だ。


「ようこそいらっしゃいましたモーリス男爵様」


 優美な動きでカーテシーを見せるマリーの姿に客人として訪れたモーリス男爵は息を飲んだ。

 十歳の年端もいかない少女が振舞うにはあまりにも丁寧な挨拶だったのだ。


「おお……これはこれは、小さなご婦人がいらしたものだ」

「ありがとうございます」


 顔を上げて笑う素顔は子供らしいあどけない笑顔に男爵は少しばかり安堵した。

 先ほど見たカーテシーの優雅さに驚いたせいだろう。

 それでも、自身の知る同年の少女に比べれば彼女はあまりにもマナーが行き届いていた。

 最高のおもてなしを受けた男爵は彼女の父であるトビアスに会うと絶賛した。


「エディグマ卿のご息女だが素晴らしいマナーじゃないですか! 王都から家庭教師をお呼びしているのなら、是非うちの娘にも紹介して頂きたい」

「はは……いやぁ、そういうわけでもないんですが」


 これにはトビアスも苦笑するしかなかった。

 何故なら、マリーに家庭教師などつけていないからだ。




 トビアスの妻ミリアムが亡くなって数年が経つ間に、すっかりエディグマ領の顔となったマリーはまだ十歳だというのに随分としっかりしていた。

 父を叱咤激励して励まし、町に行っては民の世話を焼く。

 かといって勉強が出来ないわけではない。むしろ優秀な方ではあるが、かといって勉強が好きなわけでもなかった。

 ただ、学ぶことを当然と思うような節がある。


(兄妹でここまで違ってくるんだねぇ)


 兄のスタンリーとそこまで大きな違いをもって育てたとは思っていない。

 ただ、男親ということもあるので女の子でもあるマリーに気を使うこともあるが、そこまで違いがあるわけではない。のだが……


「お父様。ここの数字違ってません?」

「え?」

「足し算が違います」


 率先して父の経理仕事にまで手伝いたがる娘に指摘された書類を見れば、マリーの言う通り合計値を間違えていた。


「本当だ。ありがとう、マリー」


 礼を告げるとマリーはにこやかに微笑んだ。

 褒められたことを心から喜ぶ姿はトビアスの心も癒される。

 いつも前向きで、家族のために何かと手助けしてくれる娘にトビアスも甘えてしまっているところがあるのは自覚している。

 特に母親という存在を早くに失ってしまったマリーやスタンリーを、彼女の分も愛していこうと心に誓ってはいるものの到底その壁は乗り越えられるはずもなく。

 現実は日々の業務に追われ、気付けば娘に助けられている状態である。


「…………なあ、マリー」


 黙々と数字の確認をしていたマリーが呼ばれたことで顔を上げる。

 彼女がお気に入りの三つ編みが揺れる。以前は母に結ってもらっていた三つ編みもすっかり慣れて一人で結っている。


「その……無理はしていないかい?」


 声を掛けたは良いものの、何と話すべきかまとまっておらずトビアスはとりあえず聞いてみた。


「していないわ」

「本当に?」


 確認のために聞けばマリーはコクン、と頷いた。


「お父様と一緒にお仕事するの楽しいの」

「…………そうか」


 そう言われてしまえば父冥利に尽きる。

 これ以上確認することも出来ず黙ってマリーを見つめていた。

 まだ大きい机に身長が足りていない我が子の様子は微笑ましい。


 そんな風に思っていたところで。

 ガシャン、と硝子の割れる音が響いた。

 そして外から微かに聞こえた「やべっ」という声をトビアスより早く耳に入れたマリーが立上り窓辺に走った。


「兄さん! 何やってるの!」

「弓の練習だよ」

「何で窓が割れるの!? もうっ!」


 兄の突拍子のない行動に怒気はらんで兄の元に走った娘の様子にトビアスは苦笑した。

 それこそ本来、今のマリーが座るべき場所には息子であるスタンリーが座っている予定だったのだが……


 これからあと数年の間、長男スタンリーが座ることはなく。

 結局、スタンリーが爵位を継いで王都に働きに出ても、マリーは父を手伝っていた。





 爵位も長男に継がせ、あとはちょっとした手伝いを片手間に馬の世話や趣味に没頭していたトビアスだったけれども。

 一度だけマリーに聞いてみたことがある。

 十六を目前に、妻のように美しく育った娘に。


「マリーは王都に行きたいと思わないのかい?」


 スタンリーは田舎暮らしに飽きたと言い、男爵位を継ぎながらも王都で職務を与えられてディレシアス国で働いている。

 長男の考えは最もで、かくいうトビアスも若い頃は息子と同じように王都で暮らしたこともある。

 だからこそ、若い娘であるマリーも王都に憧れるものだと思ったが。

 マリーは首を横に振る。


「私はここでの暮らしが好きなの」


 偽りのない言葉でマリーは言い切った。

 男爵の田舎娘に婚約の申し込みも少ない。

 デビュタントがあった時は、彼女の愛らしさから誘いの手紙もあったが、相手にしない娘の意思を尊重して特に動くことはしなかった。

 けれど親心。


(良い相手に恵まれるといいんだがねぇ……)


 家族想いで器量の良い娘。

 誰でも良いわけではない。

 

 誰よりも娘の幸せを願ってくれる男性が現れることを。

 寂しいと思いつつも、願わずにはいられなかった。










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